じいじのひとりごと

高齢者の悲哀と愚痴を綴っています
唯一の相棒、mシュナウザーのベルが残り人生を伴走してくれます

故郷の景色

2011年01月08日 | 日々のこと

久しぶりに春のような陽気でしたね。

実家に行ってきました。彼岸以来です。

(実家へは、「行く」というのか、「帰る」というのか・・・「てっぱん」であかりが大阪へ帰るというと父親がぼやいていたが、今となっては当然「行く」のほうでしょうかね)

  

今年99歳になる母親は、耳も聞こえ話も良くする。

「退屈だけど100歳までは生きるよ」と言っていた。

3年ほど前に骨折して以来寝たきりになってしまったが、週2,3回車椅子でデイサービスには行けているようで、その際に風呂にも入れてもらっているといっていた。

足の悪い兄嫁がよく面倒を見てくれている、申し訳ない。

  

  

陽気に誘われて懐かしい田舎道を辿ってみた。

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私の通ったころは木造2階建だった田舎の小学校、当時は一学年30人×2クラスもありギュウギュウ詰めだった。 

いまは立派な校舎になっているが、全校生徒20人弱だというから信じられないほどの様変わりである。 →

近く統合されて廃校になる運命らしい。それにしても立派過ぎる・・・

 

 

 

1101087 ← 子供のころに遊んでいた大川(頓田川)は堆積土で川床が上がり枯れた葦に覆われていた。

昔はとうとうと流れる清流で、溺れるほど深い場所もあって、夏には泳いでいたなぁ・・・

上流にダムが出来ると下流の川は荒廃してしまう。これでは洪水になれば左岸の田圃は冠水するだろう。ダムは要らないね。

  

  

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故郷のシンボルであった笠松山は、一昨年の山火事で全山すっかり丸焼けになって、いまだ見る影も無い有様。 →

   

  

冬枯れのせいもあるが・・なぜか故郷は錆びたような景色で淋しかった。 

 

 

  

  

 

夕方の帰り道、遠くに晴れ上がった石鎚山系が夕日に照らされている。

やはり私の住む場所も骨を埋める地も、あの山の向こうの町へと移っているのだと思った。

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コメント (6)
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