久しぶりに春のような陽気でしたね。
実家に行ってきました。彼岸以来です。
(実家へは、「行く」というのか、「帰る」というのか・・・「てっぱん」であかりが大阪へ帰るというと父親がぼやいていたが、今となっては当然「行く」のほうでしょうかね)
今年99歳になる母親は、耳も聞こえ話も良くする。
「退屈だけど100歳までは生きるよ」と言っていた。
3年ほど前に骨折して以来寝たきりになってしまったが、週2,3回車椅子でデイサービスには行けているようで、その際に風呂にも入れてもらっているといっていた。
足の悪い兄嫁がよく面倒を見てくれている、申し訳ない。
陽気に誘われて懐かしい田舎道を辿ってみた。
私の通ったころは木造2階建だった田舎の小学校、当時は一学年30人×2クラスもありギュウギュウ詰めだった。
いまは立派な校舎になっているが、全校生徒20人弱だというから信じられないほどの様変わりである。 →
近く統合されて廃校になる運命らしい。それにしても立派過ぎる・・・
← 子供のころに遊んでいた大川(頓田川)は堆積土で川床が上がり枯れた葦に覆われていた。
昔はとうとうと流れる清流で、溺れるほど深い場所もあって、夏には泳いでいたなぁ・・・
上流にダムが出来ると下流の川は荒廃してしまう。これでは洪水になれば左岸の田圃は冠水するだろう。ダムは要らないね。
故郷のシンボルであった笠松山は、一昨年の山火事で全山すっかり丸焼けになって、いまだ見る影も無い有様。 →
冬枯れのせいもあるが・・なぜか故郷は錆びたような景色で淋しかった。
夕方の帰り道、遠くに晴れ上がった石鎚山系が夕日に照らされている。
やはり私の住む場所も骨を埋める地も、あの山の向こうの町へと移っているのだと思った。