isseyと愉快な仲間達

日々謝罪と反省なり。

東京に行った時の話し3

2018年05月06日 00時08分15秒 | 現地調査
どうも、こんばんは。

GWを如何お過ごしでしょうか?
高速道路の帰省ラッシュを満喫してますか?

さて、私事になりますが、今回久しぶりに東京に行ってきました。
震災の年に行った以来です。

前回は神戸空港から格安航空で行きましたが、今回は早起きして夜明けから動いて新幹線に乗りました。
案の定、寝不足になりました。
朝から不機嫌でした。

新幹線ではウォークマンを聞きながらルンルンで過ごす予定が、大半を仮眠で過ごしました。
それでもまだ眠い!

午前9時に東京に着いて、絶えず人が往来する駅に圧倒されました。
朝の大阪駅も凄いけど、朝の東京の某駅も凄いですね。

懐かしい思い出の場所や、初めて行った場所にも行きました。
ほんの少しだけ安くなるサイトで予約したので、駅から近くのホテルに宿泊しました。

今回の東京視察で思い付いた事を列挙します。
皆さんの人生の糧にして頂けると幸いです。

・JR山手線の広告は女性向けの脱毛が異常に多い。(関西はサラ金が多い)
・皆さん急いでる割に歩くのが遅い。
・都内の喫茶店には必ず「意識高い系」の男性がノートパソコンで何らかの作業をしている。
・飲食店に英語表記をすれば、外人は並んでくれる。
・浅草寺の車夫(人力車ドライバー)は関西の風俗店・居酒屋の客引きより執拗で下品。

特筆すべきは、喫茶店のPC男です。
一体何の作業をしているのでしょうか?
仕事?
他人に見られるかも知れないリスクがあるのに社外で仕事しますか?
それとも友人への連絡?

素敵ですね東京。
私腹を肥やす為に上京して、喫茶店でも仕事をして
浅草寺では品性下劣な車夫が誰彼構わず強引な客引きを繰り返し・・・


今回の東京視察で今の自分が住んでいる場所が如何に素晴らしいかがよく分かりました。
ありがとう東京。
いつまでも世界に誇れる日本人に相応し首都であり続けて下さい。

何でもかんでも「大人の事情」で片付ける卑怯は辞めて下さいね。



2泊3日で合計6万歩ほど歩きました。

都内在住の方で平均何歩ほど歩くのでしょうね?



東京に行った時の話し1

2011年10月01日 00時27分45秒 | 現地調査
節電の都合で、7月から9月までの3ヶ月間、木曜と金曜が休日になりました。

10月から通常通りの土日が休日に戻ります。

つまり、9月29・30日と10月1・2日は休日になります。

そうです。4連休です。


どうせ4連休を過ごすなら、何処かに行こうと思うのが健全な人の暮らしです。

4日間も家にこもってゲームしたり、日曜日を4回過ごすような事は致しません。



んで、今回の4連休の内2日間を使って東京に行ってみようと思いました。

初めての東京です。

違います。

でも数年ぶりの東京です。

大学が東京だったので、割と土地勘はあると思うかたも多いでしょうが
実はそんなに土地勘はありません。

今のように自動車やバイクを持ってなかったし
今のようにアクティブな性格ではありませんでした。

お金が無かったので、電車代を惜しんで自転車で動く生活でしたので
殆ど家と学校の往復でした。


話しは戻ります。

実はいま勤めてる会社の本社で勤務していた方がお産の為に退職する事になり
私は今まで電話でしか話した事のなかったので
この4連休を使って挨拶に行く事にしました。

通常、大阪から東京までは新幹線を使って行きます。

でも今回は数年前に開港した神戸空港を使ってみようと思い
神戸空港から出てる格安料金の飛行機に乗りました。


午前9時出発の便を予約しました。

パシコンで家から神戸空港までの距離を検索してみたら約2時間半掛かると出ました。

なので、朝6時に家を出ました。

それなのに、最も距離の出せる道路が事故で渋滞していたのです。

車のカーナビの到着予定時刻が離陸時間を越え
「あぁ、こらアカンわ」と思い、やってはいけないのですが
停車中に携帯で飛行機の予約変更をしました。

13時発の飛行機に乗って東京に向かいました。

前途多難な出発でした。


朝が早かったので飛行機を待ってる間は眠たかったです。

飛行機に乗って直ぐに寝てしまいました。
離陸したのがいつなのか覚えてませんでした。



東京に着いてモノレールに乗り、浜松町で乗り換えて気が付きました。

待ち合わせしてる人から京急に乗れば乗り換えせずに待ち合わせ場所に着く事を。

乗り換えに次ぐ乗り換えでやっと待ち合わせ場所に着きました。

いい汗かきました。


初めて会う本社の人。

さて、その内容は・・・


内容はプライバシーに関わる為、内緒にさせて頂きます。

相手がいる事なので、こと細かに記載するのは割愛させて頂きます。


色々と社内の人の噂話や噂話をしました。

夕方に解散して私は予約していたホテルに向かいました。



東京に行った時の話し2

2011年10月01日 00時27分35秒 | 現地調査
ホテルに1人で宿泊すると言うのは、かなり暇を持て余すもので
普段家での生活なら、ご飯を作ったり、茶碗を洗ったりと
する事は多種多様に展開するのですが、ホテルだとする事がありません。

ビジネスホテルなので、部屋に台所もないので外に外食しかありません。
内に外食というのは何でしょう?

ご飯食べに行って部屋に戻ってタバコ吸って屁こいて
それでも時間はまだ午後9時前です。

そこで学生時代にお世話になったスーパーに行ってみました。
徒歩20分です。

20分歩いてスーパーで缶ビール買って20分歩いてホテルに戻りました。

部屋で一人酒の始まりです。

あまり楽しくはないですね。


翌朝、チェックアウトして一駅隣の池袋まで歩いてみました。

この日は少し気温が高く、池袋に着いた頃には汗だくになってました。

夏でなくて良かったです。


池袋にある某百貨店の地下売り場に行ってみました。

そしたら内装が大幅に変わっていました。

以前ここでバイトしてたので懐かしい場所だと思ったら

はぁ思ったら

床も壁も白く新しくなって、バイトしてた時の売り場がお酒売り場になってて

店員さんに聞いたら「向こうに移動した」と教えてくれました。

バイトしてた頃から約10年。

もう当時の人はいないだろうと思って移動した売り場に行ってみたら

当時の店長が店番してました。

定年を迎え、今は嘱託勤務だそうです。

周りのお客様の邪魔にならないよう少し手短に雑談しました。


店長と雑談した後、今度は母校に行ってみました。

徒歩で約1時間半の距離です。

190円払って地下鉄に乗りました。

人からルックスが似てると言われますが、天竺を目指す三蔵法師ではありません。



千代田区にある大学で割りと学生街です。

行った時間が丁度昼休みになる時間だった為か
無数の学生が次々とコンビニやラーメン屋に列をなしてました。

私は取り合えず学生時代に友達とよく行った喫茶店に入りました。

喫茶店を出てから大学の回りをウロウロして再び百貨店に戻りました。

実は先ほど店長から隣の売り場(漬物屋)の人が昼から出勤するとの話しを聞き
その人にも挨拶をしようと思い、百貨店に戻りました。

その人にも会えました。
先の東日本大震災の話など結構立ち話をしてしまいました。

店長も一緒になって立ち話をし、そろそろ空港に行く時間になったので
また遊びに来ますと言って売り場を後にしました。



【数年ぶりに東京に行って思ったこと】

日本一の経済都市である東京は淘汰も激しく
気が付けば別の店になってる事があります。

移動手段として折りたたみ自転車を持って行くと便利。

あるいはバイクで東京に行ってみるのも楽しいかも。

荷物を担いで歩くと変な歩き方になって後でお尻が痛くなる。

旅費は安く上がるけど、神戸空港まで行くのは遠い。



久しぶりの東京は楽しかったです。

また行きたいと強く思いました。

でも住みたいとは思いません。

人が多すぎる。

私には田舎暮らしをして、屁をこいても大量のマイナスイオンが
全てを中和してくれる場所で住むという壮大な野望があるのです。


あと、大学やバイトしてた場所に行きましたが
「懐かし~」と強く思いませんでした。

きっと現状に強い不満が無いからだと思いました。

今を一生懸命に生きてると、過去を懐かしんだりする気持ちが減るんでしょうね。

でも東京は好きです。


ありがとう東京。


何か色々勉強になりました。

まだまだ勉強させられる街ですね。




沖縄

2006年10月31日 23時13分51秒 | 現地調査
1年振りに現地調査に行って来ました。

場所は沖縄県2泊3日です。



大阪空港から那覇空港まで飛行機で約2時間

車だと何時間掛かるのだろうか?

高速バスで行くと どの位かかるのだろうか?


レンタカー借りて行って来ました 美ら海水族館(ちゅらうみ・すいぞくかん)

那覇市から車で3時間以上掛かります。

我々は名護市内に宿泊したのですが、それでも1時間は掛かりました。

周りには何もありません。

でも水族館は綺麗でした。

ジンベイザメやサメの仲間が沢山いました。

修学旅行生の中にジャイアンみたいな女の子がいたのが印象的でした。


昼からは那覇市に戻って

ひめゆりの塔(糸満市)に行って来ました。

物凄く怖かったです。

高校の修学旅行でも訪れたのですが、やっぱり怖かったです。

戦争の恐怖を感じました。

戦争は無能な為政者が行う最低の行為です。


観光名所ばかり行った訳ではありません。

那覇市内を1時間以上歩き回ったりもしました。

何故か崩れた山を登って滑ったりもしました。

滞在中は ずっと雨でした。


沖縄の人は豚をよく食べると言いますが

豚牧場は何処にあるのでしょうか?

泡盛の原材料である米穀は何処で生産してるのでしょうか?

自転車に乗ってる人を余り見掛けませんでした。

変わった鳴き声をする蝉が鳴いていました。

乗客に日本人はいませんでした。

とても楽しい旅になりました。



おしまい。



国境を越えろ

2005年10月14日 00時29分51秒 | 現地調査
山口県の旅も大詰めを迎えた2日目。

山口県下最大級のショッピングモールを散策した。
しかし10時開店までまだ1時間半以上あった。

そこでバスに乗って漁港に向かった。
観光名所としても有名な唐戸市場である。
卸売市場の一部を観光用に解放してあり、
朝から血の気の多いオバチャン達が魚を売っていた。

人目の付かない所で捌いたのだろうか、
大量の寿司が各屋台で売っていた。
幾つか買って食べてみたが結構美味しかった。

唐戸市場を後にし、バスに乗って壇ノ浦に向かった。
源平合戦の名所だったらしく、平安時代の武士の石像があった。
また巌流島も近くにあるらしく、多くの歴史がここで刻まれてきた。

そのすぐ近くには関門海峡が見えていた。
これこそが今回の旅の最大の目的である。

エレベーターで地下に入り、北九州市に繋がる
地下道があるのである。距離にして1~2kmだろうか?
味も素っ気も無い通路だった。自動販売機でも置けばいいのに。
自転車も通れるらしく、親子連れが自転車に乗っていた。

歩行者の誰もが見落としがちだが、地下道の中間辺りに
「福岡県-山口県」と書いた標識が地面に書いてある。

遂に福岡県に入った。
単独飛行に成功したのである。
有人飛行に成功したのである。

自分が何に成功したのか分からないが、
北九州市に上陸して関門海峡を見ると、
さっきまで向こう側にいたのかと感心してしまう。

バスに乗って門司港に着くと、明治~大正を匂わせる建物が多くあった。
また港に面しており、海や船が見えて非常に感じの良い街並みだった。

門司港で昼飯を食べ、旅は終わりを迎えた。
小倉まで移動し、新幹線で新大阪へ。

慌ただしくドタバタした旅行だった。
本当は海岸沿いとかでボーッとしたかったのに歩き回ってばかりいた。
僧侶の檀家回りも、これくらい早かったら高収入を狙えるはず。

たまには一人旅もええもんや。
色々勉強になったし、面白かった。
毎月はムリやろうけど、2~3ヶ月に一度位は
現実逃避の旅も悪くない。



第4回 現地調査 完了。




小次郎にとって、武蔵との決闘は己のプライドを賭けた闘いだった。

武蔵は、何でこいつは俺に決闘を申し込んだんだ?と思っていた。

中学・高校も違うし、近所に住んでる訳でもない。

もしかして似てる人と間違ってるんと違うやろか?

小次郎の気迫と眼差しは本物だった。鍛え方が違うのが分かる。

うわ、来た! こいつ本気や! めっちゃ危ないって!

…! …!?

武蔵の一撃は、小次郎の股間に命中し、小次郎は敗れた。

武蔵は最後に「自分、竹下君やんな?」と言い残し、島を後にした。

それを聞いた小次郎は無念と悔しさの中、瓦解していった。

彼等の決闘は、後世に語り継がれて、伝説となった。







下関へ

2005年10月13日 10時07分02秒 | 現地調査
岩国市と下関市は同じ山口県だが、場所が大きく離れている。
兵庫県で例えるなら、尼崎市と相生市ぐらい違う。

JRの駅員さんは新幹線の利用を薦めてくれたが、
料金と時間を考えるとローカル線の方が割安だったので
各駅停車のローカル線を選んだ。

伝説によるとローカル線で岩国から下関まで約3時間掛かると言う。
駅員さんは遠くを見詰めながら言っていた。
だからと言って新幹線(こだま)に乗る金銭的余裕は無い。


3時間も同じ電車に乗ってると様々な人間模様が伺える。

特に目立ったのが中学生だった。

偏見かも知れないが、山口県の中学生は勤勉だった。
1人でいようと友達といようと、誰もが参考書を開いていた。
偶然塾の帰りの時間帯だったのかも知れないが、
都心部の携帯電話を操作する人より利口に見えた。


岩国から数えること108駅、遂に下関駅が見えた。
思えば長い電車の旅だった。
途中で天安門広場や西洋の古城を見た気がする。
2回ぐらい日付が変わった気がする。


駅を出て表に出ると、噂に聞いていた下関大丸が目の前に。
山口県下最大級のショッピングモールである。
しかし時刻は21時を回っていたので閉館していた。

地元警察の協力の下、私はホテルにチェックイン出来た。
晩御飯を食べて部屋にいる間、私はアクビばかりしていた。
そのうち部屋中が二酸化炭素だらけになると思う程アクビをしていた。

寝ないのではない、寝れないのだ。
直線距離にするとシルクロードに至るほど歩き、
錦帯橋やら白ヘビなどの超常現象を目の当たりにして
興奮して眠れないのである。

何より缶ビールを残り半分飲まないと
捨てるのが勿体ないから寝ないのである。



つづく…


佐々木小次郎は巌流島で待っている間にカメと出会った。

カメに武蔵は事故に遭ったと聞かされ、不安になっていた。

しかし元気な姿で登場した武蔵を見て、小次郎は喜んだ。

僅かな心の油断が勝負に大きく影響したかどうかは分からない。

ただ小次郎を斬った武蔵は後に、緑色の泡になって溶ける

人間を見たのは初めてだったと言っていたとか…。






白い大蛇

2005年10月12日 10時46分01秒 | 現地調査
10月8~10日の3日間、私は3連休でした。

8日(土)は月一恒例の空手の練習があったので
夕方から近くの公民館に練習に行きました。

普段は組手の練習しかしない中学生の後輩が
珍しく型を教えてくれと言ってきたので
本人の希望する十八手と言う型を教えました。

久々の練習だったのと人に型を教えたのもあって
両足の太股が激しい筋肉痛になりました。

練習が終わって家に帰り、洗濯機を回して、ある準備を始めました。
それは9月下旬から企てていた「計画」を実行する為の準備を…。


翌朝9時前に起床。
ヨタヨタしながら着替えて最寄り駅に向かう。
新幹線に乗って目指すは広島駅。

新大阪から約1時間、広島に着きました。
そこからローカル線に乗り換えて約40分、
JR岩国駅に着いたのです。

そこからバスで数分の所に、
妙に反り返った形状で有名な
錦帯橋に着きました。

渡橋代で300円徴収する所が観光名所の特権。
わずかな抵抗とばかりに5千円を差し出す。

錦帯橋は台風か何かで、最近になって立て替えがあったらしい。
しかし何で分度器を並べたような形をしてるのだろうか?
どう考えても物資の輸送には不向きな形をしている。

錦帯橋の向こうにある岩国城の人達が
攻められにくくする為の策略やったんやろか?
しかし川底は浅く、その気になれば走って渡れなくもない。

錦帯橋の風景が、京都の嵐山の渡月橋に似てる印象を受けつつ
岩国名物の白ヘビを見に先を急いだ。

白ヘビはアオダイショウの突然変異か何からしく、
余り見掛けない種だと係員のオジサンは話してくれた。
しかし白ヘビの子供は白ヘビである事は
突然変異種は優性遺伝してる訳であって…

白ヘビは宮崎県でも見た事があったので、高い関心を示さなくなった私は
山の頂上にある岩国城に向かうべく、ロープウェイに乗り込んだ。

ロープウェイ山頂から5分程歩いた所に岩国城はあった。
岩国城を建てた人は何でこんな山に建てたのだろうか?
山城は攻めにくいからか?
もしかして引き籠もりの気があったのでは?

拝観料270円、拝観時間10分と非常に回転率の良い岩国城だった。

ロープウェイで来た道を戻っても良かったが
山道があったので歩いてみる事にした。

途中で別れ道があり、下山する道と護館神なる
非常に興味を引く道標があった。
せっかくなので護館神に行ってみる事にした。

道標では1km先と書いてあったが20分歩いても辿り着かなかった。
それ所か民間人が見てはいけない政府の施設を見てしまった。
国営放送の電波中継施設(無人)を見てしまった。

そこから更に5分、護館神に辿り着いた。
鳥居は立派だったが、肝心の祠は波板に覆われていた。
資材置場に鳥居がある方が正しい表現かも知れない。

がっかりして来て道を戻り、岩国駅に戻った。
腹は減っていたが先を急がねばならない。
予約してるビジネスホテルは下関にある。


つづく…。



宮本武蔵は巌流島に向かう前に浜辺でカメに出会っている。

カメから貰った重箱の所為で時間に遅れたのである。

それが佐々木小次郎との決闘にどう影響を与えたかは

彼の著書・五輪書に詳しく書いてあると言うが…。