どうも、こんばんは。
今年の冬は例年より寒くなるみたいですね。
風邪引かないよう気を付けて下さい。
さて今日は“見てもないのに偽シネマ情報”です。
本日の槍玉に上がるのは「線は、僕を描く」です。
俳優の横浜流星氏が主演の映画です。
ご存知ですか?
テレビでは感動して泣いている女性の姿が放送されたり好評を得ているようです。
これは、作品が素晴らしいのか、演者が素晴らしいのか検証してみました。
結論としては、演者たる俳優が素晴らしいのであって、作品の内容は大した事はありません。
作品自身は毎年手を変え品を変えて配給される使い回された青春映画の一遍です。
絶対に感動するよう仕組まれたストーリーに大なり小なり味付けをしただけです。
例えるなら、某サザンオールスターズの曲が特定のメロディーラインから外れず
絶対にヒットするのと同じ仕組みです。
映画を見てもないのに、どうしてそんな事を断言できるのかと言いますと
主演の横浜流星氏とヒロインの清原果耶氏を別の人に入れ替えたとして考えるとよく分かります。
横浜流星氏の代わりに、芸人の三四郎・小宮氏だったら同じように泣けますか?
真面目に水墨画に打ち込めば打ち込む程、滑稽に見える筈です。
横浜流星氏の代わりに、松岡修造氏だったら同じように泣けますか?
見てる側は「また感動の押し付けか?」「パワハラが始まるんか?」としか見えませんよね?
ヒロインの清原果耶氏の代わりに・・・。
演者を入れ替えて考えた時にその作品の内容が違って見えるのなら、それは演者が素晴らしいのです。
物事には適材適所があるのは確かですが。
そういえば、統一教会の問題で解散命令が可能であるなら
創価学会に対しても解散命令は可能になるんでしょうか?
創価学会の人達も多かれ少なかれ盲信した信者たちが人の意見も聞き入れずに
小学校時代の旧友に執拗に公明党に投票するよう命令してきたり
信者になるよう喫茶店が閉店時間になるまで延々と勧誘している反社会的勢力ですよね?
統一教会で解散命令が可能で、創価学会が不可能である理由を誰か明確に説明できる人はいるのですか?
もうすぐハロウィンだからって浮かれるなよ!
おやすみなさい。