つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

がじゃいもちょうだい

2014-07-09 19:53:48 | 日記
ウィキペディアへの寄付のお願いメッセージが、ウィキペディアを開くたびに出てくる。
ネットの世界のこういったものへの不信感は拭えないのだけれど、あまりに私がこのメッセージを目にしていることに気付いて、寄付をすることにした。

あまりにこのメッセージを目にしているということは、私が毎日のように何らかウィキペディアを見ているということで、事実私はかなりウィキペディアユーザーである。
もちろん全部の内容が真実ではないとは思うが、私はある程度の信頼性を置いて利用している。
私が新しくバンドなどを知るとき、大抵はそのバンドのオフィシャルサイトではなくウィキペディアの情報から読む。
それはある程度情報を信頼しているという点と、基本フォーマットに則り系統立ててまとめて書いてくれているので把握しやすい。
それに、誰がいつ、どのように編集しているのか詳しく知らないけれど、ファンにしか知り得ないような細かい情報も載っていることが多々ある。

というわけで、多大な恩恵を受けているし、価値にはお金を払いたいので、寄付をすることにしたのである。
別に私が払った小さなお金で存続が決まるなんてことは絶対にあり得ないけれど、しかし、価値にお金を払うということは最近の私の中で美化されてしまっていることもあって、払わずにはいられなかったのである。

お金というのは、価値に対する敬意の表明として一つの分かりやすい方法だ。
この寄付を集うやり方は賛否、というか否定意見が多いようだけれども、払いたい人は個人的に自発的に払うだろう。
それでいうと、YouTubeにもあんな形で寄付を迫られたら私は間違いなく払ってしまうだろうなと思う。

インターネットは情報の海だし、一つの情報を一面的に見て鵜呑みにするわけにもいかない。
しかし、何かを調べるにあたり、基礎情報として大枠を把握する百科事典というのはありがたい。
そこからまた調べていけばいいわけだし、物事への思考の端を発する大元としてはウィキペディアは非常に有意義だと思っている。

ウィキペディアのことをクソ情報だとかなんとか言う人は、私よりもたくさん厳密にウィキペディアを読んでいるのかもしれない。

あのメッセージが実はウィキペディアの運営者ではなく、何か悪意のある人がウィキペディアへの寄付と見せかけた詐欺行為をしているのではないと良いけれど。


今日は7月3日くらいの感覚でいたけれど、9日だった。
夜風は十分に涼しくて、この空気が7月であるという実感が持てない。
毎年、梅雨明け前はこんなものなのだったろうか。

一刀両断に処理された思いと、きっとずっと私の胸に残っていくだろう思い。
想像以上に複雑で、想像以上にシンプルな。

“本物の死”は、誰にも、そう、この地球上にいる誰にも分からないから、生きているという事実しか存在しない。
生きているという事実もまた、自分の認識下にしか存在し得ない。

分類して、分割して、分け入って、潜って。
そこで目を見開いたら、何が見えるのだろう。

奥田民生 「人の息子」