梅雨明けして暑い夏がやってきたので、電圧が違って費用のかかる業務用エアコンのブレーカーをやむなくオンにする。
とは言え、一日中エアコンを付けているのも嫌なので、どこか近くの場所で仕事ができるところはないだろうかと、区立の図書館に行ってみる。
家から程近くの区立図書館は、住宅の中に隠れるようにしてあって、2mは優に超える向日葵が花壇に咲いて、窓にはグリーンカーテンが繁茂していた。
新書を扱う本屋とも古本屋とも大学の図書館とも違う、人の手垢が染み込んだような古い紙の匂いが立ち込める街の図書館の匂い。
特殊なフィルムか何かでコーティングされて、手で持つときゅっとおさまりやすく、一つひとつにきっちりバーコードタグが付けられた本たちは、どれも時の空気を吸って黄ばんでいる。
あいにく、勉強室のようなところはなく、本や新聞、雑誌を閲覧するだけのスペースしかなかった。
しかし、レンタルCDコーナーというのがあって、なんと無料でCDが1回10枚まで借りられる。
確かに私の好きそうなロックミュージックの品揃えは決して良いとは言えないけれど、それでも何百枚もの中から選ぶことができる。
いつも利用しているネットレンタルになかったレニー・クラヴィッツや、自分ではおそらくお金を出して借りはしないblur、興味深いジョン・レノン、とても好きなバンドであるイーグルスの持っていないアルバム、ある人を思い出して手に取ったカイリー・ミノーグ、ある人と何か話せるようになるかなと思って借りたクラシックのオムニバスなどを借りた。
ツタヤのように、何か貸し出し袋にでも入れてくれるのかなと思っていたけれど、バーコードを読み込んでそのまま渡された。
薄いショルダーバッグが8枚のCDによっていびつに膨らんだ。
本はいくら無料と言っても、期限までに読まねばという圧迫が生じてしまうのであまり借りたくないが、CDであれば取り込んでしまえばいつでも聴ける。
生まれてこの方、学術的な文献以外であまり図書館を利用したことがないのだれど、こういう利用の仕方もあるのだなと思った。
CDが置いてあるのは普通のことなのだろうか。
久しぶりに家で缶チューハイを1本だけ開けて、酔っぱらってしまったので、勢いでもなければ敷居を跨げなさそうなクラシックを聴いてみる。
クラシックの素養は何にも、何一つないと言っていいけれど、そして「音楽の聞き方」なんて言うのも変だけれど、「音楽の聞き方」が少し分かってきたような気がするので、クラシックも何だか楽しむことができた。
モーツァルトの「ピアノソナタK.545」は小学生だったか、中学生だったかのときのピアノの発表会で弾いた曲だ。
今はまったく指が動かないけれど、出だしくらいは何となく弾ける。
今改めてプロがピアノで弾いているこの曲を聴いてみて、小さな驚愕を覚えた。
「こんな曲だったのか」と思った。
曲の流れも、強弱も、明るさも、軽快さも、快活さも、演奏の上手さに乗っかって一つひとつのピアノの音の鮮明さが、私の耳にありありと届いてきた。
幼い頃ピアノを習っていたけれど、ピアノ的にも音楽的にもあまり身になっていない。
ゆっくり五線譜の楽譜が読めるくらいはできるけれど、それならば義務教育の音楽の授業でもできるようにはなっていただろう。
思えば私はあの頃、音楽について、それがもたらす気持ちについて、その表現に対する工夫についてなど、本当に一切の発想を持っていなかった。
まだ子供だから、そんな小難しいことは考えられなかったとしても、「こんな風に弾きたい」とかはあっても良さそうなのだけれど、何にも、何にも、考えてはいなかった。
ただ指が早く動くことは大切だ、と思ってハノンは憑りつかれたようにやっていたこともあったけれど、それも1週間くらいなものだった。
音楽について小さな興味もなかったし、しかしよくもまあそんな状態で拙くとも何曲か弾くことができたものである。
私がギターを何となく音が鳴らせるのは、楽器の仕組みの大枠を理解したからだ。
それもせずに、音と楽譜だけで私はピアノを一応弾いていたのは今思うと逆にすごい。
バッハ、シューベルト、ベートーベン、ショパン、ドビュッシー、一通りオムニバスアルバムを通して聴く。
作り手の意識無意識に関わらず、音は緻密な理論の上に成り立っていて、作り手の意志や気持ちがどのように反映されているかは分からないけれど、そこには確かに意志や気持ちがある作り手が存在する。
先日買った超初心者のための音楽理論の本も読んでみる。
理論と言うと「理論武装」のような、楽しみ方や感じ方から遠ざかるように思えていたけれど、理論を知るのはとても面白い。
理論だけでも非常に面白いし、それが実際の音として現実に鳴ったとき、音楽の楽しみ方や感じ方から遠ざかるばかりか、より豊かにそうすることができるようになると思う。
私には音楽よりも大事に思っていることがあるけれど、音楽って面白いね、と思う。
音楽が好きです、と人に名言するほど私は音楽そのもののことが分からないけれど、音楽って面白いね、と思う。

とは言え、一日中エアコンを付けているのも嫌なので、どこか近くの場所で仕事ができるところはないだろうかと、区立の図書館に行ってみる。
家から程近くの区立図書館は、住宅の中に隠れるようにしてあって、2mは優に超える向日葵が花壇に咲いて、窓にはグリーンカーテンが繁茂していた。
新書を扱う本屋とも古本屋とも大学の図書館とも違う、人の手垢が染み込んだような古い紙の匂いが立ち込める街の図書館の匂い。
特殊なフィルムか何かでコーティングされて、手で持つときゅっとおさまりやすく、一つひとつにきっちりバーコードタグが付けられた本たちは、どれも時の空気を吸って黄ばんでいる。
あいにく、勉強室のようなところはなく、本や新聞、雑誌を閲覧するだけのスペースしかなかった。
しかし、レンタルCDコーナーというのがあって、なんと無料でCDが1回10枚まで借りられる。
確かに私の好きそうなロックミュージックの品揃えは決して良いとは言えないけれど、それでも何百枚もの中から選ぶことができる。
いつも利用しているネットレンタルになかったレニー・クラヴィッツや、自分ではおそらくお金を出して借りはしないblur、興味深いジョン・レノン、とても好きなバンドであるイーグルスの持っていないアルバム、ある人を思い出して手に取ったカイリー・ミノーグ、ある人と何か話せるようになるかなと思って借りたクラシックのオムニバスなどを借りた。
ツタヤのように、何か貸し出し袋にでも入れてくれるのかなと思っていたけれど、バーコードを読み込んでそのまま渡された。
薄いショルダーバッグが8枚のCDによっていびつに膨らんだ。
本はいくら無料と言っても、期限までに読まねばという圧迫が生じてしまうのであまり借りたくないが、CDであれば取り込んでしまえばいつでも聴ける。
生まれてこの方、学術的な文献以外であまり図書館を利用したことがないのだれど、こういう利用の仕方もあるのだなと思った。
CDが置いてあるのは普通のことなのだろうか。
久しぶりに家で缶チューハイを1本だけ開けて、酔っぱらってしまったので、勢いでもなければ敷居を跨げなさそうなクラシックを聴いてみる。
クラシックの素養は何にも、何一つないと言っていいけれど、そして「音楽の聞き方」なんて言うのも変だけれど、「音楽の聞き方」が少し分かってきたような気がするので、クラシックも何だか楽しむことができた。
モーツァルトの「ピアノソナタK.545」は小学生だったか、中学生だったかのときのピアノの発表会で弾いた曲だ。
今はまったく指が動かないけれど、出だしくらいは何となく弾ける。
今改めてプロがピアノで弾いているこの曲を聴いてみて、小さな驚愕を覚えた。
「こんな曲だったのか」と思った。
曲の流れも、強弱も、明るさも、軽快さも、快活さも、演奏の上手さに乗っかって一つひとつのピアノの音の鮮明さが、私の耳にありありと届いてきた。
幼い頃ピアノを習っていたけれど、ピアノ的にも音楽的にもあまり身になっていない。
ゆっくり五線譜の楽譜が読めるくらいはできるけれど、それならば義務教育の音楽の授業でもできるようにはなっていただろう。
思えば私はあの頃、音楽について、それがもたらす気持ちについて、その表現に対する工夫についてなど、本当に一切の発想を持っていなかった。
まだ子供だから、そんな小難しいことは考えられなかったとしても、「こんな風に弾きたい」とかはあっても良さそうなのだけれど、何にも、何にも、考えてはいなかった。
ただ指が早く動くことは大切だ、と思ってハノンは憑りつかれたようにやっていたこともあったけれど、それも1週間くらいなものだった。
音楽について小さな興味もなかったし、しかしよくもまあそんな状態で拙くとも何曲か弾くことができたものである。
私がギターを何となく音が鳴らせるのは、楽器の仕組みの大枠を理解したからだ。
それもせずに、音と楽譜だけで私はピアノを一応弾いていたのは今思うと逆にすごい。
バッハ、シューベルト、ベートーベン、ショパン、ドビュッシー、一通りオムニバスアルバムを通して聴く。
作り手の意識無意識に関わらず、音は緻密な理論の上に成り立っていて、作り手の意志や気持ちがどのように反映されているかは分からないけれど、そこには確かに意志や気持ちがある作り手が存在する。
先日買った超初心者のための音楽理論の本も読んでみる。
理論と言うと「理論武装」のような、楽しみ方や感じ方から遠ざかるように思えていたけれど、理論を知るのはとても面白い。
理論だけでも非常に面白いし、それが実際の音として現実に鳴ったとき、音楽の楽しみ方や感じ方から遠ざかるばかりか、より豊かにそうすることができるようになると思う。
私には音楽よりも大事に思っていることがあるけれど、音楽って面白いね、と思う。
音楽が好きです、と人に名言するほど私は音楽そのもののことが分からないけれど、音楽って面白いね、と思う。

