つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

いつかの意欲と張りぼて

2015-09-13 10:45:55 | 日記
ピーマンをくたっとするまで酒と醤油とみりんとおかかで炒め煮にすると美味しいと、ネットで見たのでピーマン一袋5個でそれを作ったら、2,3日のおかずにしようと思っていたのに一度に全部食べてしまった。

缶詰のミックスビーンズに軽く塩胡椒して、クミンを振ったらおしゃれな豆サラダになった。
これまたフィット感のある味で、2,3日のおかずにしようと思っていたのに全部食べてしまった。

だからまた、夜の煮物をする。

じゃがいもとしめじ、切り干し大根、しらたき、シーチキン、ししとう、唐辛子。

皮を剥いたり、
石づきを切ってほぐしたり、
さっと洗ったり、
下茹でしたり、
缶を開けたり、
ヘタを切り落としたりして、
ざっと炒める。

酒をじゅわっと入れて、
かつお粉とざざっと入れて、
ぐつぐつして灰汁をすくって、
醤油をちゅうっと入れて、
みりんをだだっと入れて、
唐辛子をまるのまま一本入れて、
ひと混ぜ、ふた混ぜしながらぐつぐつして、
じゃがいもに爪楊枝がスッと通って、
火を止める。

最近、料理をするとき、「きょうの料理ビギナーズ」のハツ江さんの甲高く独特な間を持ったナレーションが私の頭の中で勝手に再生される。
随分と雑に私はそれを再現したりしなかったりする。

私からよく作り出されるこの類の料理は一体何者なのだろう。
ごった煮、なのだけれども、具材は度々入れ替わる。
まあ味付けは基本的にいつもさほど変わらない。
ししとうを入れなければ、「白い煮物」とでも名付けたかったけれど、料理に彩りが必要でそれは栄養バランスにも関わる、という私に植わっている考えでついししとうを入れてしまった。

なぜ私はちゃんと名のある料理を作らないのだろう。
敢えて避けているわけでもなければ、肉じゃがとか春巻きとかココナッツカレーとか、食べたくないわけではないしむしろ食べたい。
工程が面倒だということが第一にあるけれど、おそらくそれらよりもこのようなごった煮を食べたいと思うことが多い。

午前2時の煮物の味見はまだで、きっと食べるときに塩味の調整は必要だろう。
冷めていく過程で、具材がぎゅうっとそれぞれのうま味を抱きかかえる想像をしながら眠った。

よく仕事をして帰ったときに、こういうごった煮があるのは嬉しい。
けいこに作ってもらいたいわけではない。
けいこに作ってもらったごった煮は、そのときに食べたいかどうか分からないし、私はそれを自分の血肉にしたり感想を持ったりする責任を持てない。


街のそこら中でお祭りの太鼓と笛と御神輿をかつぐ声がする。
私にとってお祭りと言えば、海中渡御といって山車が海を渡る非常に派手な地元の祭りを思い出す。
日本酒の一升瓶を回し飲みして、サラシの男たちはアスファルトの上で泥酔して倒れている姿を、私はよく露骨に遠ざけていたように思う。
今思うに、あの祭りで過去に何人も死んでいるのではないだろうか。

幼い頃には、着物を着て足袋を履いて踊りをやったりもした。
祭りが近くなると小学校の体育館で毎晩踊りの練習があった。

お祭り当日、早朝から白塗りの化粧をして、真っ赤な口紅が落ちないよう口をつぐんでいた記憶がある。
雨が降って、衣装が濡れてしまうからと簡易なカッパを着て踊った。
このとき、けいこは飲み物を買ってきてくれたり、比較的献身的だった気がする。

決して楽しい思い出ではないのだけれど、特段嫌だった思い出もこれに関してはない。
特別な日であっただろうに、私は何を思っていたのか、全然思い出せない。
私はそのときの私の思いを知りたいのだけれど、全然思い出せない。


更紙(ざらがみ)に淡墨が落つ秋の雷(らい)