7月11日は、父の命日だった。
命日だから喪に服するとか、命日だから祈りを捧げるとか、そんなつもりはないけれど、命日だから回想したりはする。
もう、私の中では、誰かに聞いてもらわないとおさまらない思いではない。
でも誰かが聞いてくれるのなら話したい事柄ではある。
大好き、ではなかった父への思いが、最近になってようやく、感謝、に変わろうとしている気がする。
私は自分の中で腑に落ちない何か象徴的な言葉を口に出すのは、意識的に避けている。
おそらく無意識的にも避けているだろうと思う。
回りまわった言葉をたくさん積み重ねて、なんとなくだけれど、感謝、という言葉がまっすぐに、ただそのものとして言えるかもしれない。
しかしながら、美化するつもりは毛頭ない。
夏だから、ナスとトマトとズッキーニを買った。
ガーリックオイルで炒めて、コンソメやら唐辛子やら塩胡椒やらを入れてそのまま適当に煮る。
これは色んな過程を省いた、適当なラタトゥイユ、だろうか。
本当に毎度まいど思うけれど、自分の料理は“絶妙に微妙な”味がする。
それは、繊細、ということとも少し違う。
ぼやけているそのゾーンの中のどこか一部分、といったようなそんな塩梅。
今の私はこれが好きなんです、以上、といったそんな塩梅。
でももっと良いものはきっとたくさんあるでしょう、それも欲しいです、とも言っておきたいそんな塩梅。
生のトマトを使った煮物はおいしいということが今回よく分かった。
私は、トマト缶の上手な扱い方が未だ分からなくて好きではない。
相変わらず私の思う面倒が取れないので、料理において見た目に美しいものはできない。
飾り切り、といった類のことはもしかすると一生やらないかもしれない。
基本、私が作るものはほとんど、ごった煮、である。
でもまあ、そのときの気分でしか作れない、ごった煮、は私の「ピタリ」を射抜けることが多い。
最近はその打率が高まってきた感じもある。
しかしながら打率が高まれば高まるほど、前と同じ、ということになって、その「ピタリ」では満足行かなくなってくる場合もある。
私は昔から料理番組が好きだ。
今でもNHKの料理番組を録画しているくらい。
塩をふって野菜に汗をかかせるように炒めます、とか、
肉の繊維をほぐすように叩きます、とか、
水で血合いを洗い流して臭みを取ります、とか、
赤唐辛子を1本入れて味を締めます、とか、
氷水で色止めして、鮮やかな緑を保ちます、とか、
冷えるときに味が染み込むので冷蔵庫でできればひと晩寝かせます、とか、
そんな料理でよく使われる言葉たちが好きで。
ただ体に合うものを見つけたくて。
「笑顔」
自分にとってこっ恥ずかしいことに立ち向かうシリーズは、字体を含め、これもやっぱりどこかくすぐったくて恥ずかしい。
夏休みの声が走る大通り
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/85/2e95d5861ccb1e71d31848ee399f9b5f.jpg)
命日だから喪に服するとか、命日だから祈りを捧げるとか、そんなつもりはないけれど、命日だから回想したりはする。
もう、私の中では、誰かに聞いてもらわないとおさまらない思いではない。
でも誰かが聞いてくれるのなら話したい事柄ではある。
大好き、ではなかった父への思いが、最近になってようやく、感謝、に変わろうとしている気がする。
私は自分の中で腑に落ちない何か象徴的な言葉を口に出すのは、意識的に避けている。
おそらく無意識的にも避けているだろうと思う。
回りまわった言葉をたくさん積み重ねて、なんとなくだけれど、感謝、という言葉がまっすぐに、ただそのものとして言えるかもしれない。
しかしながら、美化するつもりは毛頭ない。
夏だから、ナスとトマトとズッキーニを買った。
ガーリックオイルで炒めて、コンソメやら唐辛子やら塩胡椒やらを入れてそのまま適当に煮る。
これは色んな過程を省いた、適当なラタトゥイユ、だろうか。
本当に毎度まいど思うけれど、自分の料理は“絶妙に微妙な”味がする。
それは、繊細、ということとも少し違う。
ぼやけているそのゾーンの中のどこか一部分、といったようなそんな塩梅。
今の私はこれが好きなんです、以上、といったそんな塩梅。
でももっと良いものはきっとたくさんあるでしょう、それも欲しいです、とも言っておきたいそんな塩梅。
生のトマトを使った煮物はおいしいということが今回よく分かった。
私は、トマト缶の上手な扱い方が未だ分からなくて好きではない。
相変わらず私の思う面倒が取れないので、料理において見た目に美しいものはできない。
飾り切り、といった類のことはもしかすると一生やらないかもしれない。
基本、私が作るものはほとんど、ごった煮、である。
でもまあ、そのときの気分でしか作れない、ごった煮、は私の「ピタリ」を射抜けることが多い。
最近はその打率が高まってきた感じもある。
しかしながら打率が高まれば高まるほど、前と同じ、ということになって、その「ピタリ」では満足行かなくなってくる場合もある。
私は昔から料理番組が好きだ。
今でもNHKの料理番組を録画しているくらい。
塩をふって野菜に汗をかかせるように炒めます、とか、
肉の繊維をほぐすように叩きます、とか、
水で血合いを洗い流して臭みを取ります、とか、
赤唐辛子を1本入れて味を締めます、とか、
氷水で色止めして、鮮やかな緑を保ちます、とか、
冷えるときに味が染み込むので冷蔵庫でできればひと晩寝かせます、とか、
そんな料理でよく使われる言葉たちが好きで。
ただ体に合うものを見つけたくて。
「笑顔」
自分にとってこっ恥ずかしいことに立ち向かうシリーズは、字体を含め、これもやっぱりどこかくすぐったくて恥ずかしい。
夏休みの声が走る大通り
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/85/2e95d5861ccb1e71d31848ee399f9b5f.jpg)
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