先月から受講を始めた「開塾指導講座」
縦線、横線、払い、点、基本の「永」などを朱墨で書く。
私の通っている教室の普段の授業では基本的に朱墨での指導はない。
あくまで朱墨は子ども向けに塾を開くときのグッズのような取扱いのようだ。
朱墨の色は、艶やかで強くて潔い色をしている。
私はちょうど朱墨と色の同じマニキュアを塗っていた。
幼い頃、「先生のもの」だった朱墨を手にして、それで字を書くとなんだか少し上手くなったような気がした。
そして、私があの朱墨で字を書いている!という興奮に近いものさえ感じた。
しかしながら一方で、基礎的なことからすでにだいぶ遠のいたことをやっているがために、思うようには書けない、ということも痛いほどに感じる。
筆の入り方、角度、線の止め方、紙に対する字の大きさなど、「きっちり」が一番難しい。
ここ数か月、やっと自分の創作を通っている教室に沿って始めてみたのだけれど、実は私は自分に少し心配をしていた。
私は書道が好きだけれど、創作意欲が沸き上がるほど、またそれが持続するほど好きではないかもしれない、と思っていたからだ。
自分の中の、「もう少し自分を傾けて入り込んで何かをしたい」ということが、ひとつ書道であることはそうだとは思っていたけれど、そこまでの何かが私の中にあるだろうか、ということは分からなかった。
そこまでの何かでないとなったなら、それは私が時間もお金も費やせなくなるかもしれないということだ。
それはそれなのだけれど、それは残念なことだ。
ただ、普段の教室に加えて「開塾指導講座」を受けてみて、爆発しそうなとかそういうことではないけれど私自身がもっと掘り下げてみたいと思っていることに気が付いた。
それは創作の分野だけではなくて、所謂楷書についてや、「上手な字」について、そもそも筆文字ってどういうものなのだろう、ということなど。
また、今まで発想にもなかった「人に教える」ということについても。
また、今まで避けてきた「子どもに接する」ということについても。
書道でなくとも、どんな形であれ、私はおそらく自分の「思いの露出」をしたいのだと思う。
そのひとつの方法やひとつの技術としての書を改めて学びたいと思う。
いつからこんなにもアクティブになったのか、土日に予定が入り過ぎていて、「お休み」なのにも関わらず少しも休息ができていない。
まあ今は部屋探しに奔走し続けているということも大きいのだが。
楽しいとか何かありそうとかこれをやりたいとか、そういうことと自分の疲労との折り合いが今の私には付けづらい。
エルビス・プレスリーとか、チャック・ベリーとか、サムクックとか、ローリング・ストーンズとか、クイーンとか。
聴くとすごいなあと手放しに思ったりするのだけれど、私にはちょっと古い感じがしてしまって私の“今”を煽るものではない。
一方で、トム・ロビンソンやオアシスなんか聴きながら仕事などできない。
引っ張られてしまう、すごく。
貸してもらったジャムのアルバムと、買ったCDをiTunesに入れる。
色んなことを教えてもらって、チャゲアンドアスカとジミ・ヘンドリックスを借りてみたりなんかして。
ついでに私が中学生の時に好きだったラルク・アン・シエルも借りてみたりなんかして。
手にしてみる、手にしたいもの全部。
やりたいことがありすぎて、聴きたいものがありすぎて、観たいものがありすぎて。
知れば知るほど、それには際限など全くなくて。
深呼吸、しんこきゅう。
縦線、横線、払い、点、基本の「永」などを朱墨で書く。
私の通っている教室の普段の授業では基本的に朱墨での指導はない。
あくまで朱墨は子ども向けに塾を開くときのグッズのような取扱いのようだ。
朱墨の色は、艶やかで強くて潔い色をしている。
私はちょうど朱墨と色の同じマニキュアを塗っていた。
幼い頃、「先生のもの」だった朱墨を手にして、それで字を書くとなんだか少し上手くなったような気がした。
そして、私があの朱墨で字を書いている!という興奮に近いものさえ感じた。
しかしながら一方で、基礎的なことからすでにだいぶ遠のいたことをやっているがために、思うようには書けない、ということも痛いほどに感じる。
筆の入り方、角度、線の止め方、紙に対する字の大きさなど、「きっちり」が一番難しい。
ここ数か月、やっと自分の創作を通っている教室に沿って始めてみたのだけれど、実は私は自分に少し心配をしていた。
私は書道が好きだけれど、創作意欲が沸き上がるほど、またそれが持続するほど好きではないかもしれない、と思っていたからだ。
自分の中の、「もう少し自分を傾けて入り込んで何かをしたい」ということが、ひとつ書道であることはそうだとは思っていたけれど、そこまでの何かが私の中にあるだろうか、ということは分からなかった。
そこまでの何かでないとなったなら、それは私が時間もお金も費やせなくなるかもしれないということだ。
それはそれなのだけれど、それは残念なことだ。
ただ、普段の教室に加えて「開塾指導講座」を受けてみて、爆発しそうなとかそういうことではないけれど私自身がもっと掘り下げてみたいと思っていることに気が付いた。
それは創作の分野だけではなくて、所謂楷書についてや、「上手な字」について、そもそも筆文字ってどういうものなのだろう、ということなど。
また、今まで発想にもなかった「人に教える」ということについても。
また、今まで避けてきた「子どもに接する」ということについても。
書道でなくとも、どんな形であれ、私はおそらく自分の「思いの露出」をしたいのだと思う。
そのひとつの方法やひとつの技術としての書を改めて学びたいと思う。
いつからこんなにもアクティブになったのか、土日に予定が入り過ぎていて、「お休み」なのにも関わらず少しも休息ができていない。
まあ今は部屋探しに奔走し続けているということも大きいのだが。
楽しいとか何かありそうとかこれをやりたいとか、そういうことと自分の疲労との折り合いが今の私には付けづらい。
エルビス・プレスリーとか、チャック・ベリーとか、サムクックとか、ローリング・ストーンズとか、クイーンとか。
聴くとすごいなあと手放しに思ったりするのだけれど、私にはちょっと古い感じがしてしまって私の“今”を煽るものではない。
一方で、トム・ロビンソンやオアシスなんか聴きながら仕事などできない。
引っ張られてしまう、すごく。
貸してもらったジャムのアルバムと、買ったCDをiTunesに入れる。
色んなことを教えてもらって、チャゲアンドアスカとジミ・ヘンドリックスを借りてみたりなんかして。
ついでに私が中学生の時に好きだったラルク・アン・シエルも借りてみたりなんかして。
手にしてみる、手にしたいもの全部。
やりたいことがありすぎて、聴きたいものがありすぎて、観たいものがありすぎて。
知れば知るほど、それには際限など全くなくて。
深呼吸、しんこきゅう。