自由な社会を奪われないために ぶれない あきらめない おそれない
◆ かつては生徒に「日の丸・君が代」を強制、今は反対する教員
大能清子 (『週刊金曜日』STOP!壊憲)
「先生は形ばっかり。私の頑張ってる所を見ないで、欠点ばっかり見ている!」-この言葉が大能清子(おおのきよこ)さん(58歳)の胸に突き刺さった。
東京都内の私立女子高校で、大能さん(国語科)は生徒指導の一環として生徒が髪にパーマをかけていないかチェックをしていた。
「パーマかけたでしょ」
生徒は反発した。大能さんは「ハッ」と気づいた。「私は生徒の心に寄り添っていなかった……」。
だが、その高校は服装や頭髪などの生徒指導がきびしいことがウリで、「給料をもらっている以上、学校の方針には従うべきだ」と大学を出たての大能さんは考えていた。
敗戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が行なった政教分離によって解体されたはずの国家神道が、その高校の建学の理念だった。「女が家の中で神に祈ることが国の根本だ」というのが校是だ。
舞台正面に大きな神棚が設置され、その上に「日の丸」が貼ってある体育館で毎日朝礼が行なわれ、祝詞(のりと)を唱えた。今はやめたが、大能さんがいた1982年ごろは天皇を「現人神(あらひとがみ)」と呼んでいた。戦前に祝われていた四大節(しだいせつ)のうち、明治節は、創立者の記念祭に代えていたが、それらの日には式典が開かれ、「君が代」を歌った。
4月の新学期が始まると、天皇誕生日の式典準備のため、「天長節の歌」を生徒に指導する。
♪今日の吉き日は 大君の うまれたまひし 吉き日なり
大能さんは筆者の前で最初の一節を歌ってくれた。メロディはともかく、歌詞は時代錯誤もはなはだしい。
この「ダサい」歌を生徒は嫌がって歌わない。
「自分が生徒でも歌わないよな」と大能さんは思ったが、生徒にば強制せざるをえなかった。
「今東京都教育委員会がやっていること(「君が代」斉唱の強制)と同じことを、私はやっていたんです」
自分でもおかしいと思う指導を生徒に強制する。生徒は反発する。でも給料をもらっているからやらざるをえない。
その矛盾がストレスで貧血がひどくなり、通勤する電車で立っていられないほどになった。
結局、3年でその高校を辞め、85年に都立高校に替わったら、1週間で症状は治まった。
その都立高校は「ホームルーム学校」と呼ばれるほど、何事も教師が強制するのではなく生徒が話しあって決めていた。
出身中学校での成績は下位の生徒が多く、入学当初は「オレ馬鹿だから……」と劣等感を吐露していた者が、ホームルームでの話し合いで自分と他者に対する信頼が持てるようになり、学校に誇りを持ち、胸を張って卒業していった。
◆ 広がる愛国心教育
2003年10月23日、都教委は入学式、卒業式の「国歌斉唱」で教職員に起立斉唱するよう義務付けた「10・23通達」を出す。このままでは自由な都立高校があの国家神道の女子高校のようになってしまう……、大能さんはそう思ったという。
そして06年12月、教育基本法が改正され、「我が国と郷土を愛する心を育てる」という「愛国心条項」が盛り込まれた。
今年、学校法人森友学園が経営する塚本幼稚園で、園児に戦争になっだら天皇に命を捧げよという教育勅語を暗唱させている報道に接し、大能さんは「私が勤めていた女子高校と同じ教育をしている所がもう一つあったんだ」と思った。
安倍内閣は今年4月1日、憲法や教育基本法に反しない限り授業で教育勅語を使うことを認める閣議決定をした。自民党改憲草案は「日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない」としている。
04年4月、「10・23通達」後初の入学式で、大能さんは起立しなかった。「国歌斉唱」と司会が発声、みんながザッと立った。1人だけ座っていた大能さんは圧迫感に押しつぶされるようで、過呼吸が始まった。そのとき、あの女子高校の朝礼の一光景が脳裏に浮かんだ。
1300人の生徒が座っている講堂。後ろから出席簿をかかえて見張っている自分。「私は、ひどい目にあっているのではなくて、かつて生徒をひどい目にあわせていたんだ」
大能さんは戒告処分を受けた。取り消しを求め、東京君が代裁判の原告(第1次訴訟・原告172人)になった。地裁では全面棄却だったが、高裁は原告の求める憲法19条(思想・良心の自由)などによる違憲判断はしなかったが懲戒権の逸脱濫用で戒告を含む全処分を取り消した。しかし12年1月、最高裁は1人の減給処分だけは裁量権逸脱濫用で取り消したが、戒告処分は違法ではないとして高裁判決を破棄した。
1次訴訟後、2次訴訟(原告67人)、3次訴訟(原告50人)が続いて提訴され、最高裁まで争った。
起立斉唱を命じた職務命令は思想・良心の自由を「間接的に制約するが、違憲とは言えない」という理屈で戒告処分は容認する一方、減給と停職処分は「相当性を基礎つける具体的事情」がないと認めないという結果だった。
大能さんは、卒業学年の担任になった13年と今年の卒業式も不起立で、いずれも戒告処分を受けた。13年の処分は翌14年に提訴した4次訴訟になった。
原告は14人。3次訴訟と同じ佐々木宗啓(ささきむねひら)裁判長だったので、大能さんは大きな期待はしなかった。ただ、原告の都立特別支援、学校で美術を教える田中聡史さん(48歳)の減給処分の判断には注目していた。
都教委は、最高裁判決に挑戦するかのように田中さんの4回目と5回目の不起立に減給処分を科した。
田中さんは「都教委は不起立の回数が一定限度を超えれば減給や停職にする累積加重システムを作りたいんです」と話す。
田中さんの5回の不起立が「相当性を基礎づける具体的事情」と判断されるかが焦点だった。
今年9月15日、判決はその「事情」を認めず、田中さんを含む6人の減給と停職を取り消した。原告らが「思想転向強要システム」と呼ぶ都教委の目論みは崩れた。
だが判決は、戒告は違法ではないとした。都教委は執念深く、田中さんについてだけ控訴した。大能さんら原告も戒告の取り消しを求めて控訴した。
「戒告は最高裁も違法ではないと言っているのに取り消しにチャレンジするのは大馬鹿者ですよ。でもやりたい。かつての都立高校の自由な教育を取り戻したいから」
まとめ・写真/永尾俊彦・ルポライター
『週刊金曜日(1160号)』2017.11.10
◆ かつては生徒に「日の丸・君が代」を強制、今は反対する教員
大能清子 (『週刊金曜日』STOP!壊憲)
「先生は形ばっかり。私の頑張ってる所を見ないで、欠点ばっかり見ている!」-この言葉が大能清子(おおのきよこ)さん(58歳)の胸に突き刺さった。
東京都内の私立女子高校で、大能さん(国語科)は生徒指導の一環として生徒が髪にパーマをかけていないかチェックをしていた。
「パーマかけたでしょ」
生徒は反発した。大能さんは「ハッ」と気づいた。「私は生徒の心に寄り添っていなかった……」。
だが、その高校は服装や頭髪などの生徒指導がきびしいことがウリで、「給料をもらっている以上、学校の方針には従うべきだ」と大学を出たての大能さんは考えていた。
敗戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が行なった政教分離によって解体されたはずの国家神道が、その高校の建学の理念だった。「女が家の中で神に祈ることが国の根本だ」というのが校是だ。
舞台正面に大きな神棚が設置され、その上に「日の丸」が貼ってある体育館で毎日朝礼が行なわれ、祝詞(のりと)を唱えた。今はやめたが、大能さんがいた1982年ごろは天皇を「現人神(あらひとがみ)」と呼んでいた。戦前に祝われていた四大節(しだいせつ)のうち、明治節は、創立者の記念祭に代えていたが、それらの日には式典が開かれ、「君が代」を歌った。
4月の新学期が始まると、天皇誕生日の式典準備のため、「天長節の歌」を生徒に指導する。
♪今日の吉き日は 大君の うまれたまひし 吉き日なり
大能さんは筆者の前で最初の一節を歌ってくれた。メロディはともかく、歌詞は時代錯誤もはなはだしい。
この「ダサい」歌を生徒は嫌がって歌わない。
「自分が生徒でも歌わないよな」と大能さんは思ったが、生徒にば強制せざるをえなかった。
「今東京都教育委員会がやっていること(「君が代」斉唱の強制)と同じことを、私はやっていたんです」
自分でもおかしいと思う指導を生徒に強制する。生徒は反発する。でも給料をもらっているからやらざるをえない。
その矛盾がストレスで貧血がひどくなり、通勤する電車で立っていられないほどになった。
結局、3年でその高校を辞め、85年に都立高校に替わったら、1週間で症状は治まった。
その都立高校は「ホームルーム学校」と呼ばれるほど、何事も教師が強制するのではなく生徒が話しあって決めていた。
出身中学校での成績は下位の生徒が多く、入学当初は「オレ馬鹿だから……」と劣等感を吐露していた者が、ホームルームでの話し合いで自分と他者に対する信頼が持てるようになり、学校に誇りを持ち、胸を張って卒業していった。
◆ 広がる愛国心教育
2003年10月23日、都教委は入学式、卒業式の「国歌斉唱」で教職員に起立斉唱するよう義務付けた「10・23通達」を出す。このままでは自由な都立高校があの国家神道の女子高校のようになってしまう……、大能さんはそう思ったという。
そして06年12月、教育基本法が改正され、「我が国と郷土を愛する心を育てる」という「愛国心条項」が盛り込まれた。
今年、学校法人森友学園が経営する塚本幼稚園で、園児に戦争になっだら天皇に命を捧げよという教育勅語を暗唱させている報道に接し、大能さんは「私が勤めていた女子高校と同じ教育をしている所がもう一つあったんだ」と思った。
安倍内閣は今年4月1日、憲法や教育基本法に反しない限り授業で教育勅語を使うことを認める閣議決定をした。自民党改憲草案は「日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない」としている。
04年4月、「10・23通達」後初の入学式で、大能さんは起立しなかった。「国歌斉唱」と司会が発声、みんながザッと立った。1人だけ座っていた大能さんは圧迫感に押しつぶされるようで、過呼吸が始まった。そのとき、あの女子高校の朝礼の一光景が脳裏に浮かんだ。
1300人の生徒が座っている講堂。後ろから出席簿をかかえて見張っている自分。「私は、ひどい目にあっているのではなくて、かつて生徒をひどい目にあわせていたんだ」
大能さんは戒告処分を受けた。取り消しを求め、東京君が代裁判の原告(第1次訴訟・原告172人)になった。地裁では全面棄却だったが、高裁は原告の求める憲法19条(思想・良心の自由)などによる違憲判断はしなかったが懲戒権の逸脱濫用で戒告を含む全処分を取り消した。しかし12年1月、最高裁は1人の減給処分だけは裁量権逸脱濫用で取り消したが、戒告処分は違法ではないとして高裁判決を破棄した。
1次訴訟後、2次訴訟(原告67人)、3次訴訟(原告50人)が続いて提訴され、最高裁まで争った。
起立斉唱を命じた職務命令は思想・良心の自由を「間接的に制約するが、違憲とは言えない」という理屈で戒告処分は容認する一方、減給と停職処分は「相当性を基礎つける具体的事情」がないと認めないという結果だった。
大能さんは、卒業学年の担任になった13年と今年の卒業式も不起立で、いずれも戒告処分を受けた。13年の処分は翌14年に提訴した4次訴訟になった。
原告は14人。3次訴訟と同じ佐々木宗啓(ささきむねひら)裁判長だったので、大能さんは大きな期待はしなかった。ただ、原告の都立特別支援、学校で美術を教える田中聡史さん(48歳)の減給処分の判断には注目していた。
都教委は、最高裁判決に挑戦するかのように田中さんの4回目と5回目の不起立に減給処分を科した。
田中さんは「都教委は不起立の回数が一定限度を超えれば減給や停職にする累積加重システムを作りたいんです」と話す。
田中さんの5回の不起立が「相当性を基礎づける具体的事情」と判断されるかが焦点だった。
今年9月15日、判決はその「事情」を認めず、田中さんを含む6人の減給と停職を取り消した。原告らが「思想転向強要システム」と呼ぶ都教委の目論みは崩れた。
だが判決は、戒告は違法ではないとした。都教委は執念深く、田中さんについてだけ控訴した。大能さんら原告も戒告の取り消しを求めて控訴した。
「戒告は最高裁も違法ではないと言っているのに取り消しにチャレンジするのは大馬鹿者ですよ。でもやりたい。かつての都立高校の自由な教育を取り戻したいから」
まとめ・写真/永尾俊彦・ルポライター
『週刊金曜日(1160号)』2017.11.10
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