<転送歓迎>(少し長いです)
「都教委包囲首都圏ネットワーク」、「千葉高教組」、「新芽ML(germinal)」会員の渡部です。
本日(3月23日)夜、「2・23『君が代不起立』東京大上映会」が開かれ、350人の参加がありました。
全国の仲間の皆さんの中には、すでにご覧になった方もいると思いますが、『君が代不起立~ひとりから始まる~』(ビデオプレス製作、90分)という映画は、私たちが今どういう時代に生きているか、私たちはどう生きて行けばよいのか、を深く考えさせてくれる映画だと思います。
映画では、根津さんや河原井さんをはじめとする多くの人々の闘いが描かれています。しかし、それは何もこぶしを振り上げたような一本調子のものではありません。
彼女たちをはじめとする東京の教員たちが、どのような思いで「不起立」闘争を闘っているか、その現場の様子やそれぞれの思いを淡々と描いたものです。
また、彼女たちをとりまく人々(生徒、保護者、教職員など)の生の声も紹介されています。
そして決して暗くはありません。
登場する人々の淡々とした表情の中に、人間に対する「信頼」、自分たちの闘いに対する「確信」、未来への「希望」、を見出すことができます。
同時代に生きる者として、大変勇気づけられる映画でした。
映画終了後、「制作者と当事者によるパネルディスカッション」がありました。
その中で次のような言葉が印象的でした。
<制作者の松原さん>
時代がここまで来た。何人かの方に出演を断られた。
モノを言うのが難しくなってきた時代だ。
英語版、フランス語版も作成することになった。
「君が代」を英語に訳すと驚く。
「天皇の支配が何千年も続くように」となる。
こんな歌を平気で歌っているのは日本くらいだ。
<制作者の佐々木さん>
これを撮らなければと思ったきっかけは、根津さんが1ヶ月の停職になり、校門前出勤の決意を述べた時だった。
ついに闘いが始まったと思った。
外に身を晒すのは勇気・決意が必要だ。
しかし、根津さんは自然体だった。
また、国際基督教大学に行っている根津さんの教え子がこの上映会を計画したところ、80名の学生が観に来て50名のアンケートが集まった。
アンケート用紙にはびっしり、中には裏まで感想を書いてきてくれた。
「生き方が問われている」という声が多かった。
マスコミは知らせないが、伝えていけば人間は変わる、人間が変われば社会も変えられると思った。
<根津さん>
この間妨害の連続だった。それでもへこたれていない。
特別なことをやっているわけではない。
「日の丸・君が代」強制に対し、みんなはおかしいと思っている。
しかし、おかしいことをおかしいと言えなくなった状態は、恐い社会だ。ますます恐ろしい社会になる。
なんとか食い止めなければと思っている。
これは「踏み絵」のようなものだ。
一度最初に立つときに「いいわけ」を言う。
そうすると、おかしいと思っても、反対と言わなくなる。
だから都教委は「君が代」を「踏み絵」にする。
そして一度応じると、すべての生活で次々に応じてしまうようになる。
私が私でなくなることには我慢ができない、
生きる屍にはなりたくない、と思った。
逆に一つ一つやってくる中で、幸せなことが沢山あった。
ある生徒は私が門前に立っている姿を見て、「おかしいと思ったときには立ち上がっていい、ということを教えられた。自分も理不尽なことに対しては立ち上がる」と言ってくれた。
これは私が身体をはってできる教育だと思った。
教員のみなさん、自分の気持ちに正直に不起立を貫こう、その方が幸せです。
<河原井さん>
阪神地区の上映会で市立高校の生徒、教員にあった。
そこは「障害」者を受け入れた学校だった。
廃校になるというので、『母校を残す』を合言葉に立ち上がった。
自分の「不起立」も日常の教育活動の一つだ。
「おかしい」という思いは共通のものだった。
そこでも一人の生徒が『へんだ』と言って立ち上がったことから運動が広がった。
「10・23通達」の時、職場の多くの教員は「おかしい」と思った。
しかし、「NO!」という態度表明をしなかった。
『茶色の朝』の状況と今の東京の状況が似ている。
「おかしい」「へんだ」ということを見過ごすと、とんでもない結果をもたらすことになる。
命までとられる状況を作っていく。
一人一人が「NO!」と言うことがとても大事だ。
以上です。
なお、東京の卒業式は3月1日ころから始まります。
「都教委包囲首都圏ネットワーク」では、今年も都立高校校長への要請文を出し、校門前でのビラまきもやります。
「都教委包囲首都圏ネットワーク」、「千葉高教組」、「新芽ML(germinal)」会員の渡部です。
本日(3月23日)夜、「2・23『君が代不起立』東京大上映会」が開かれ、350人の参加がありました。
全国の仲間の皆さんの中には、すでにご覧になった方もいると思いますが、『君が代不起立~ひとりから始まる~』(ビデオプレス製作、90分)という映画は、私たちが今どういう時代に生きているか、私たちはどう生きて行けばよいのか、を深く考えさせてくれる映画だと思います。
映画では、根津さんや河原井さんをはじめとする多くの人々の闘いが描かれています。しかし、それは何もこぶしを振り上げたような一本調子のものではありません。
彼女たちをはじめとする東京の教員たちが、どのような思いで「不起立」闘争を闘っているか、その現場の様子やそれぞれの思いを淡々と描いたものです。
また、彼女たちをとりまく人々(生徒、保護者、教職員など)の生の声も紹介されています。
そして決して暗くはありません。
登場する人々の淡々とした表情の中に、人間に対する「信頼」、自分たちの闘いに対する「確信」、未来への「希望」、を見出すことができます。
同時代に生きる者として、大変勇気づけられる映画でした。
映画終了後、「制作者と当事者によるパネルディスカッション」がありました。
その中で次のような言葉が印象的でした。
<制作者の松原さん>
時代がここまで来た。何人かの方に出演を断られた。
モノを言うのが難しくなってきた時代だ。
英語版、フランス語版も作成することになった。
「君が代」を英語に訳すと驚く。
「天皇の支配が何千年も続くように」となる。
こんな歌を平気で歌っているのは日本くらいだ。
<制作者の佐々木さん>
これを撮らなければと思ったきっかけは、根津さんが1ヶ月の停職になり、校門前出勤の決意を述べた時だった。
ついに闘いが始まったと思った。
外に身を晒すのは勇気・決意が必要だ。
しかし、根津さんは自然体だった。
また、国際基督教大学に行っている根津さんの教え子がこの上映会を計画したところ、80名の学生が観に来て50名のアンケートが集まった。
アンケート用紙にはびっしり、中には裏まで感想を書いてきてくれた。
「生き方が問われている」という声が多かった。
マスコミは知らせないが、伝えていけば人間は変わる、人間が変われば社会も変えられると思った。
<根津さん>
この間妨害の連続だった。それでもへこたれていない。
特別なことをやっているわけではない。
「日の丸・君が代」強制に対し、みんなはおかしいと思っている。
しかし、おかしいことをおかしいと言えなくなった状態は、恐い社会だ。ますます恐ろしい社会になる。
なんとか食い止めなければと思っている。
これは「踏み絵」のようなものだ。
一度最初に立つときに「いいわけ」を言う。
そうすると、おかしいと思っても、反対と言わなくなる。
だから都教委は「君が代」を「踏み絵」にする。
そして一度応じると、すべての生活で次々に応じてしまうようになる。
私が私でなくなることには我慢ができない、
生きる屍にはなりたくない、と思った。
逆に一つ一つやってくる中で、幸せなことが沢山あった。
ある生徒は私が門前に立っている姿を見て、「おかしいと思ったときには立ち上がっていい、ということを教えられた。自分も理不尽なことに対しては立ち上がる」と言ってくれた。
これは私が身体をはってできる教育だと思った。
教員のみなさん、自分の気持ちに正直に不起立を貫こう、その方が幸せです。
<河原井さん>
阪神地区の上映会で市立高校の生徒、教員にあった。
そこは「障害」者を受け入れた学校だった。
廃校になるというので、『母校を残す』を合言葉に立ち上がった。
自分の「不起立」も日常の教育活動の一つだ。
「おかしい」という思いは共通のものだった。
そこでも一人の生徒が『へんだ』と言って立ち上がったことから運動が広がった。
「10・23通達」の時、職場の多くの教員は「おかしい」と思った。
しかし、「NO!」という態度表明をしなかった。
『茶色の朝』の状況と今の東京の状況が似ている。
「おかしい」「へんだ」ということを見過ごすと、とんでもない結果をもたらすことになる。
命までとられる状況を作っていく。
一人一人が「NO!」と言うことがとても大事だ。
以上です。
なお、東京の卒業式は3月1日ころから始まります。
「都教委包囲首都圏ネットワーク」では、今年も都立高校校長への要請文を出し、校門前でのビラまきもやります。