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2005年5月2日(月曜日) 青山
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1950年代、都立青山高校。M氏の書簡より抜粋。
「その頃、・・・レッドパージを避けようとした都の方針と組合の執行部が社会党員であった高教組の方針で、共産党員は離党宣言していたようです。51年になると、生徒のK君やS君らが青高細胞を作り、機関紙をよく朝早く誰もいない教室の机の中に入れていた・・・。」
時代だなあ。今では考えられない。テレビがなかったから、音楽も多様でなかったから、皆中学の頃いろいろと本を読んでいた時代だったのだろうか。中一で岩波新書の授業をしていたと言う者もいる。K君など生徒であったのに教員を多数細胞員にしたと言う。
52年、「メーデー当日、授業は午前のみ。A先生はメーデーの意義を説いて、後にそれが理由となって逮捕される。生徒の集団と教師の集団(高教組)は一緒になることもなく、生徒は広場に突入して行き、高教組は日比谷公園で解散して帰ることになっていたのですが、目の前に車が横倒しになって焼けているし広場では激しい乱闘のあとがあったので、教師たちも生徒のことが気にかかり、広場に入って行き、生徒の何人かに会って帰宅するよう伝えていたのです。」
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2005年5月3日(火曜日) 金賢姫
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前々回であったか、1952年の新聞記事を紹介した。文中、化学科教員とあったが、社会科の誤りである。新聞記事というのは、自分がよく知っていることが書いてあるとすぐ間違いに気付く。細かい点を含めて間違いが多い。知らないことが殆んどだから、誤った記事をそのまま信用してしまう。なかなかいつもいつも疑ってかかるというのもしんどいことだ。
テレビなんかそのままの映像だからすぐ信じてしまう。しかし実況でない場合は如何様にも編集できる。口に合わせて違ったことを喋らすことも出来る。仕方ない。すべて疑ってかかるしかない。
もう何年前になるであろうか。社会科室の小さいテレビをS氏が懸命に見ていた。キムヒョンヒがタラップから降りてくる場面である。「違う、髪の長さが違う、あれは偽者だ」と彼は主張していた。私はいつも信じてしまう。のち、彼女の本を読んだ。実に面白かった。面白いと言ったら不謹慎かも知れぬが。大韓航空機爆破犯である。一生償いきれぬ罪を負っている。結婚したが離婚したようだ。S氏は今でも偽者であると思っているのであろうか。
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2005年5月4日(水曜日) 堕落
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前回、社会科の教員について触れた。その社会科が消えたのだ。あっという間に。林健太郎のせいなのか。社会科が解体されてしまった。何とも腹立たしく遣る瀬なかった。公民科と地歴科に分かれたのだ。「英語の教員です」「国語です」と言うのはすぐ了解する。「公民の教員です」、なんて口が裂けても言えない。そんな時代の前に退職して良かった。
「公民」という言葉には「臣民」の匂いがする。公民館というのがあるのだからそうでもないのだが。「公地公民」、どうもいかん。
昔、「社研」というのがあったが、今はどうなっているのであろうか。公民科が流通するようになると、「公研」だ。「公研」で、公安の研究でもすればましか。
都立高校も急速に変質してしまった。校長が威張り、その走狗となった主幹とかいうのがこれまた偉そうにしているという。年間授業計画表を全生徒の保護者に配布する学校があるという。紙の無駄というか、それこそ馬鹿げている。そんなことのために多くの教員が労力を費やすという。他にすることがあるだろうに。
こういうことを真面目にすることを堕落というのだ。
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2005年5月5日(木曜日) 音楽
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今日は半世紀ぶりに音楽の授業を受けた。
小学校の時は記憶がない。だいたい校舎が足りなくて、授業は午後からだったりしたものだ。中学で一応音楽の時間があった。悪餓鬼で、ピアノの蓋の中に鼠の皮など入れたりしていたもんだからどうにもならない。お蔭で今でも徹底した音痴である。
今日は音楽の岸田静枝氏の授業であった。三回も処分を受けている。ごう(五黄)の寅であるから剛の者である。他の三回目の処分を受けた三人も皆五黄の寅だという。なんともまあ、意味あるようなないような。
金敏基作詞、作曲の「アチミスル(朝露)」を歌ってくれた。実に美しい歌声であった。そのおっかない風貌からは隔絶していた。韓国語で歌った。訳詞によると、「長い夜をあかし 青葉に宿る 真珠より美しい朝露のように 心に悲しみが実るとき・・・・・・哀しみ振り捨て 私は行く」。 「行く」、強い決意を秘めて旅立つのだ。
もう一曲は「ナルゲルルタルゴ」(翼をください)であった。「・・・ヒムチャン ナルゲ ヂスロ ナン ナルゴ シポ」美しい旋律であった。隣席の人に「お金をください」と冗談を言ったら怒られた。
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2005年5月6日(金曜日) 感動
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魚沼産コシヒカリより美味い「初星」が送られてきた。コシヒカリの何代か前の品種、粘土質の土壌で作った「初星」は、日本最高の米である。
今年は夜の冷え込みがまだ残り、苗の育ちがとても悪くてまだ田植えが出来ないという。S君よりの便りと米の到来である。「初星」とは洒落た名だ。初春、初夏、初秋、初冬、・・・。頼りない感もする。
「苗代から根の脇を指でかき取って、根の土を水洗いし、藁で束ねます。36mの水糸を一間の中に張った田んぼに、苗束を放り投げます。田植足袋を履いて田んぼに入り、左手にほぐした苗束を掴み、右手の三本の指を添えて植えていきます。」とある。
とても手伝えそうもない。今年は行くのは止めだ。来年はどうしようか。草取りなら出来そうだが・・・。
「土の色を透かして、水を湛えた田んぼに緑が広がる」、感動的な光景であるという。仕事に感動を覚えるのは、人生にとってまことに至福である。今日、どれ程の人が自分の仕事で「感動」を覚えていることであろうか。
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2005年5月2日(月曜日) 青山
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1950年代、都立青山高校。M氏の書簡より抜粋。
「その頃、・・・レッドパージを避けようとした都の方針と組合の執行部が社会党員であった高教組の方針で、共産党員は離党宣言していたようです。51年になると、生徒のK君やS君らが青高細胞を作り、機関紙をよく朝早く誰もいない教室の机の中に入れていた・・・。」
時代だなあ。今では考えられない。テレビがなかったから、音楽も多様でなかったから、皆中学の頃いろいろと本を読んでいた時代だったのだろうか。中一で岩波新書の授業をしていたと言う者もいる。K君など生徒であったのに教員を多数細胞員にしたと言う。
52年、「メーデー当日、授業は午前のみ。A先生はメーデーの意義を説いて、後にそれが理由となって逮捕される。生徒の集団と教師の集団(高教組)は一緒になることもなく、生徒は広場に突入して行き、高教組は日比谷公園で解散して帰ることになっていたのですが、目の前に車が横倒しになって焼けているし広場では激しい乱闘のあとがあったので、教師たちも生徒のことが気にかかり、広場に入って行き、生徒の何人かに会って帰宅するよう伝えていたのです。」
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2005年5月3日(火曜日) 金賢姫
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前々回であったか、1952年の新聞記事を紹介した。文中、化学科教員とあったが、社会科の誤りである。新聞記事というのは、自分がよく知っていることが書いてあるとすぐ間違いに気付く。細かい点を含めて間違いが多い。知らないことが殆んどだから、誤った記事をそのまま信用してしまう。なかなかいつもいつも疑ってかかるというのもしんどいことだ。
テレビなんかそのままの映像だからすぐ信じてしまう。しかし実況でない場合は如何様にも編集できる。口に合わせて違ったことを喋らすことも出来る。仕方ない。すべて疑ってかかるしかない。
もう何年前になるであろうか。社会科室の小さいテレビをS氏が懸命に見ていた。キムヒョンヒがタラップから降りてくる場面である。「違う、髪の長さが違う、あれは偽者だ」と彼は主張していた。私はいつも信じてしまう。のち、彼女の本を読んだ。実に面白かった。面白いと言ったら不謹慎かも知れぬが。大韓航空機爆破犯である。一生償いきれぬ罪を負っている。結婚したが離婚したようだ。S氏は今でも偽者であると思っているのであろうか。
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2005年5月4日(水曜日) 堕落
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前回、社会科の教員について触れた。その社会科が消えたのだ。あっという間に。林健太郎のせいなのか。社会科が解体されてしまった。何とも腹立たしく遣る瀬なかった。公民科と地歴科に分かれたのだ。「英語の教員です」「国語です」と言うのはすぐ了解する。「公民の教員です」、なんて口が裂けても言えない。そんな時代の前に退職して良かった。
「公民」という言葉には「臣民」の匂いがする。公民館というのがあるのだからそうでもないのだが。「公地公民」、どうもいかん。
昔、「社研」というのがあったが、今はどうなっているのであろうか。公民科が流通するようになると、「公研」だ。「公研」で、公安の研究でもすればましか。
都立高校も急速に変質してしまった。校長が威張り、その走狗となった主幹とかいうのがこれまた偉そうにしているという。年間授業計画表を全生徒の保護者に配布する学校があるという。紙の無駄というか、それこそ馬鹿げている。そんなことのために多くの教員が労力を費やすという。他にすることがあるだろうに。
こういうことを真面目にすることを堕落というのだ。
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2005年5月5日(木曜日) 音楽
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今日は半世紀ぶりに音楽の授業を受けた。
小学校の時は記憶がない。だいたい校舎が足りなくて、授業は午後からだったりしたものだ。中学で一応音楽の時間があった。悪餓鬼で、ピアノの蓋の中に鼠の皮など入れたりしていたもんだからどうにもならない。お蔭で今でも徹底した音痴である。
今日は音楽の岸田静枝氏の授業であった。三回も処分を受けている。ごう(五黄)の寅であるから剛の者である。他の三回目の処分を受けた三人も皆五黄の寅だという。なんともまあ、意味あるようなないような。
金敏基作詞、作曲の「アチミスル(朝露)」を歌ってくれた。実に美しい歌声であった。そのおっかない風貌からは隔絶していた。韓国語で歌った。訳詞によると、「長い夜をあかし 青葉に宿る 真珠より美しい朝露のように 心に悲しみが実るとき・・・・・・哀しみ振り捨て 私は行く」。 「行く」、強い決意を秘めて旅立つのだ。
もう一曲は「ナルゲルルタルゴ」(翼をください)であった。「・・・ヒムチャン ナルゲ ヂスロ ナン ナルゴ シポ」美しい旋律であった。隣席の人に「お金をください」と冗談を言ったら怒られた。
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2005年5月6日(金曜日) 感動
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魚沼産コシヒカリより美味い「初星」が送られてきた。コシヒカリの何代か前の品種、粘土質の土壌で作った「初星」は、日本最高の米である。
今年は夜の冷え込みがまだ残り、苗の育ちがとても悪くてまだ田植えが出来ないという。S君よりの便りと米の到来である。「初星」とは洒落た名だ。初春、初夏、初秋、初冬、・・・。頼りない感もする。
「苗代から根の脇を指でかき取って、根の土を水洗いし、藁で束ねます。36mの水糸を一間の中に張った田んぼに、苗束を放り投げます。田植足袋を履いて田んぼに入り、左手にほぐした苗束を掴み、右手の三本の指を添えて植えていきます。」とある。
とても手伝えそうもない。今年は行くのは止めだ。来年はどうしようか。草取りなら出来そうだが・・・。
「土の色を透かして、水を湛えた田んぼに緑が広がる」、感動的な光景であるという。仕事に感動を覚えるのは、人生にとってまことに至福である。今日、どれ程の人が自分の仕事で「感動」を覚えていることであろうか。
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