◆ 韓国徴用工 正義の観念に反する (週刊新社会)
◆ 植民地支配の歴史に向き合うことなくして本質的解決なし
「今回の大法院判決をあたかも暴挙であるかのごとく言い立てて非難するのは慎むべきではないか。
請求権協定で放棄したのは外交保護権であり個人の損害賠償請求権は消滅していないとしてこの判決の論理運びを支持するかの論調も、我が国の一部の識者から示されており、そもそも日本政府は個人の請求権は消滅していないという立場を維持し続けていたはずである。
国家間の条約、協定で個人の請求権を一方的に消滅させ、裁判上請求することが出来ないとするのが自明の理なのか、この辺りの基本に立ち返って考えるべきではないかと思われる。
被害事実が認められ、被害者個人に対する権利侵害があって救済の必要があると認められるが、大きな壁があるという場合、
裁判官としては、壁より先に進めないとして請求を認めないという安易な決着に走ることはあり得るが、壁を突き破るための理論構成を組み立てる、あるいは壁があるのはやむを得ないとしつつ、これを迂回して他の解決方法を探る等の選択肢も考えられるところであって、花岡の和解は後者、韓国大法院判決は前者の道を取ったといえよう。」(新村正人氏・『世界』2019年2月号「戦後補償管見 記憶の承継と和解をめぐって」)
韓国大法院徴用工判決を巡って、国家間の合意に反すると、一斉に反発した日本社会の中で、冷静に問題の本質を突いた傾聴すべき見解である。
新村正人氏とは、2000年11月29日、中国人強制連行・強制労働花岡(鹿島建設)について東京高裁が和解を成立させた時の裁判長で、定年退官後、弁護士をされている方である。
◆ 個人の請求権を国家は放棄できない
前記韓国大法院判決理由の論旨は、
①本件徴用工らによる賠償請求など植民地支配に掛かる問題については、1965年の請求権協定には含まれていなかった。
②1965年の請求権協定で放棄されたのは国家の外交保護権であり、個人の請求権は放棄されていない。
というものであるが、これは、この問題を巡るこれまでの日本政府の公式見解と全く同一である。
のみならず、前新村論稿が述べるように、今日では、そもそも、国家が個人の請求権を個人に無断で勝手に放棄できるのかという根源的な問いかけもある。
条約がどうであれ、法律がどうであれ、被害者の救済がなされないままに放置されていているのは正義の観念に反する。
そもそも、1965年の請求権協定は、ベトナム戦争の解決に呻吟する米国の強い「指導」によってなされたものであり、日韓における国力の圧倒的な差のある中で、10年以上の長きにわたって、延々と議論してきた植民地支配の清算間題を棚上げして、日本側が韓国側を押し切る形でなされたものであった。
そのことは、1965年請求権協定の「1910年8月22日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効であることが確認される(2項)」と、2002年日朝平壌宣言の「日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の苦痛と損害与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した」とを比較してみれば分かる。
1995年8月15日の村山首相談話を踏襲した後者では、植民地支配に対する反省とお詫びが謳われてている。
須之部量三元外務省事務次官は、「外交フォーラム」1992年2月号で日韓請求権協定について、「(これらの賠償は)日本経済が本当に復興する以前のことで、どうしても日本の負担を『値切る』ことに重点がかかっていた」のであって、「条約的、法的には確かに済んだけれども何か釈然としない不満が残つてしまう」と語っている。
◆ 西独の「記憶・責任・未来」基金に学べ
徴用工問題の本質である、植民地支配の歴史に向き合うことなくしてこの問題の真の解決はあり得ない。
具体的にはどうすべきか。
同じ強制連行・強制労働の歴史に向き合い、2001年、国家と企業が各50億マルク、合計100億マルク(約7000億円)を拠出して「記憶・責任・未来」基金を設け、約140万人の受難者に補償金を支給した西ドイツ(当時)の例に学ぶべきだ。
武器爆買の資金を基金の財源とすればよい。歴史問題の解決は、安全保障の問題でもあることを理解すべきである。
『週刊新社会』(2019年7月16日)
弁護士 内田雅敏
◆ 植民地支配の歴史に向き合うことなくして本質的解決なし
「今回の大法院判決をあたかも暴挙であるかのごとく言い立てて非難するのは慎むべきではないか。
請求権協定で放棄したのは外交保護権であり個人の損害賠償請求権は消滅していないとしてこの判決の論理運びを支持するかの論調も、我が国の一部の識者から示されており、そもそも日本政府は個人の請求権は消滅していないという立場を維持し続けていたはずである。
国家間の条約、協定で個人の請求権を一方的に消滅させ、裁判上請求することが出来ないとするのが自明の理なのか、この辺りの基本に立ち返って考えるべきではないかと思われる。
被害事実が認められ、被害者個人に対する権利侵害があって救済の必要があると認められるが、大きな壁があるという場合、
裁判官としては、壁より先に進めないとして請求を認めないという安易な決着に走ることはあり得るが、壁を突き破るための理論構成を組み立てる、あるいは壁があるのはやむを得ないとしつつ、これを迂回して他の解決方法を探る等の選択肢も考えられるところであって、花岡の和解は後者、韓国大法院判決は前者の道を取ったといえよう。」(新村正人氏・『世界』2019年2月号「戦後補償管見 記憶の承継と和解をめぐって」)
韓国大法院徴用工判決を巡って、国家間の合意に反すると、一斉に反発した日本社会の中で、冷静に問題の本質を突いた傾聴すべき見解である。
新村正人氏とは、2000年11月29日、中国人強制連行・強制労働花岡(鹿島建設)について東京高裁が和解を成立させた時の裁判長で、定年退官後、弁護士をされている方である。
◆ 個人の請求権を国家は放棄できない
前記韓国大法院判決理由の論旨は、
①本件徴用工らによる賠償請求など植民地支配に掛かる問題については、1965年の請求権協定には含まれていなかった。
②1965年の請求権協定で放棄されたのは国家の外交保護権であり、個人の請求権は放棄されていない。
というものであるが、これは、この問題を巡るこれまでの日本政府の公式見解と全く同一である。
のみならず、前新村論稿が述べるように、今日では、そもそも、国家が個人の請求権を個人に無断で勝手に放棄できるのかという根源的な問いかけもある。
条約がどうであれ、法律がどうであれ、被害者の救済がなされないままに放置されていているのは正義の観念に反する。
そもそも、1965年の請求権協定は、ベトナム戦争の解決に呻吟する米国の強い「指導」によってなされたものであり、日韓における国力の圧倒的な差のある中で、10年以上の長きにわたって、延々と議論してきた植民地支配の清算間題を棚上げして、日本側が韓国側を押し切る形でなされたものであった。
そのことは、1965年請求権協定の「1910年8月22日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効であることが確認される(2項)」と、2002年日朝平壌宣言の「日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の苦痛と損害与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した」とを比較してみれば分かる。
1995年8月15日の村山首相談話を踏襲した後者では、植民地支配に対する反省とお詫びが謳われてている。
須之部量三元外務省事務次官は、「外交フォーラム」1992年2月号で日韓請求権協定について、「(これらの賠償は)日本経済が本当に復興する以前のことで、どうしても日本の負担を『値切る』ことに重点がかかっていた」のであって、「条約的、法的には確かに済んだけれども何か釈然としない不満が残つてしまう」と語っている。
◆ 西独の「記憶・責任・未来」基金に学べ
徴用工問題の本質である、植民地支配の歴史に向き合うことなくしてこの問題の真の解決はあり得ない。
具体的にはどうすべきか。
同じ強制連行・強制労働の歴史に向き合い、2001年、国家と企業が各50億マルク、合計100億マルク(約7000億円)を拠出して「記憶・責任・未来」基金を設け、約140万人の受難者に補償金を支給した西ドイツ(当時)の例に学ぶべきだ。
武器爆買の資金を基金の財源とすればよい。歴史問題の解決は、安全保障の問題でもあることを理解すべきである。
『週刊新社会』(2019年7月16日)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます