《「子どもと教科書全国ネット21ニュース」から》
★ 「学校が持たない!」教育研究者シンポ
元東京都立高校教員 杉浦孝雄(すぎうらたかお)
★ 研究者の方々の熱気があふれた
7月1日、「教員の長時間勤務に歯止めをかけ、豊かな学校教育を実現するための全国署名」(5月30日開始、以下「全国署名」)を呼びかけている教育研究者有志の方々が主催するシンポジウムが都内で開催された。
主催者挨拶に立った中島哲彦愛知工業大学教授は「全国署名」の3つの要請項目
「教員にも残業代を支給すること」
「学校の業務量に見合った教職員を配置すること」
「これらを実現すべく教育予算を増額すること」
の解説と到達点の報告を行い、数十万の署名を政府に届けるという目標を掲げた。
本稿のタイトルはその後、急遽予定外でプレゼンテーションされた広田照幸日本大学教授(前日本教育学会会長)の言葉「これでは学校が持つわけない」からとらせていただいた。
広田教授は授業準備や採点など必要な業務を勤務時間外にせざるを得ない実態に心からの怒りを込めていた。長年学校現場にあった私がまず感じたのは、学校現場のひっ迫した状況を「我が事」として語ってくださる教育研究者の方々の熱気であった。
★ 多角的に問題の所在を掘り下げたお三方の講演
第一部は3人の研究者がそれぞれの専門を踏まえた「教員の働き方改革」に関わるミニ講演だった。
学校臨床学を専門とする清水睦美日本女子大教授は「立ちすくむ教師たち/子どもたちと『出会えない』労働環境」というテーマで、外国にルーツを持つ子どもたちや震災に見舞われた子どもたちのかかわりの中から、学校が子どもたちに寄り添いともに生きる場であることの重要性を分かりつつも、「子どもと個別に話す余裕がない」「試行錯誤の余裕がない」「個別の経験を生かす余裕がない」という状況の中で教師が立ちすくむ状況がある、教師に時間的な余裕が絶対的に欲しい、1クラスの人数を減らすことで先生たちに余裕をもたらしたいと訴えた。
続いて菊池栄治早稲田大学教授から「教職から離れる若者たち/当事者の視点から見た教職の危機」と題するテーマで、当事者である大学4年生へのインタビューをもとに「教職の危機」の本質と構造を描く問題提起が行われた。
インタビューは教職をめざしていながら最終的にならなかった学生を対象としたもので、教育実習での経験やSNS上での「教職=ブラック」のコメントなどの影響が大きいという指摘がされた。
現場の過酷な状況に自信が持てない、自分が求めることができない等々、「教職の危機」の構造がリアルに浮き彫りにされ、「どんなにデータを集めても小さな声、当事者に近い側から発,せられた声はどこかで切り捨てられて本当のことが伝わっていかないので変わらない」というコメントが印象的であった。
浜田博文筑波大教授からは「『働き方改革』から教職員配置基準の基本的前提の転換へ」というテーマで問題提起がされた。
「働き方改革」という表現で先生方の一定の業務見直しがされているが、いくらやっても限界。学校・教員が担う業務の中核である教育実践に、民間や役所で行われてきたことをスライドできない。給特法の見直し・廃止が話題になっているが、それが行われたとしても私たちが求めていることが実現できるかどうか、その先を考えなければならないとして、
求められている業務を先生方の勤務時間の中でできるようにするためには、1人の先生が担当する授業のコマ数に上限を設定し、それから逆算して各学校に必要教員数を求め、学級数からの算定と組み合わせて教職員基準を設定すべきであると力説された。
★ パネルディスカッションで深められた論点
第二部のパネルディスカッションは広田教授を司会者に、講師のお三方に小玉重雄東大教授(現日本教育学会会長)が加わって行われた。
素人の目からは現前日本教育学会会長がパネルディスカッションでそろい踏みで参加されていることにも、教育研究者の方々の意気込みを改めて感じさせられた。
小玉教授は、この問題は教員の労働環境の問題として取り上げられてきたが、いまは学校を公共財として市民がどう支えるかという局面に入っているということを前提として議論したいとし、それぞれの講演者に質問を投げかけた。
清水教授に対しては、先生方の間で「生徒にいろいろやろうと思ってもカリキュラムに余裕がない」という声があることについて、マイノリティの問題であるとかインクルーシブ教育など多様な生徒に出会うことを保障するために少人数学級にしていくのは重要だが、一方で「働き方改革」の議論の中で、カリキュラムや業務内容の精選があがっていて、マイノリティの問題などが整理の対象になる可能性はないかと質問、またご自分の考えとして教育内容の決定権限を学校単位に下ろしていくことを考えるべきではないかという問題提起もされた。
菊池教授に対しては、先生が学校現場で主体的に働けておらず、教育委員会や管理職の末端みたいなところに位置付けられていること、さらにSNSなどで学校に負のイメージが流布されているが、教育学者にも責任の一端があるのではないか、もっと生徒や教師が元気になるような教育学の打ち出し方、教員自身を学校づくりの主体に位置付けていくような打ち出しをすべきではないかと投げかけた。
濱田教授に対しては、1958年の標準法・教職員の配置基準の前提を転換しなければならないという濱田教授の指摘を踏まえ、1971年の給特法の抜本的見直しが本日の議論になっているが、それと並んで58年の標準法こそ抜本的に変えるべきだと思うがどうか、中教審や与党にその視野があるのかという問いかけがなされた。
以下、紙幅の関係で詳細なやり取りは紹介しきれないが、小玉教授の問いかけとそれに対する応答、会場からの発言はこのシンポジウムの内容をより深めるものとなった。
講師からの応答を要約すると、清水教授からは「学校にカリキュラムの決定権を下ろしていくことには同感」「その時に気をつけなければいけないのは個別最適化というロジック。距離を置く必要がある」として、外国ルーツの子どもが、子どもたちとの関係の中で学び成長していった事例が紹介された。
菊地教授からは「文科省とやり取りする中で、やはり学校の先生の声は聴かれていない、聴く興味もない、そういう基本的な考え方があるということを感じた。忙しいという発信の中で、そこに先生方が関与しているのか、関与する余地があるのかを掘り起こすことが必要」「それでも止まらないのは構造的な問題がある。そこに研究者は切り込んでいく必要がある」「教員のエンパワーメントが必要だが、90年代の終わりから縦のラインが非常に強くなって声が下から上がりにくい、共有されないという構造がつくられてしまったということが大きい」「一緒に考えていこうという教育学者をもっと増やしたい」というコメントがあった。
浜田教授からは「教員の業務負担をどう軽減するか、そのことが実は子どもにとっても教育条件の質を高めることになる」「教員が持つコマ数にこれまで関知してこなかったことが問題。教員の配置の中で持ちコマ数を位置付けていくことが必要」との再確認があった。
議論の中では「残業代について国が対処することは必要条件だが、それは最終目的ではない」「岸田政権が打ち出す『異次元の少子化対策』は個別の手当支給などの『デマンドサイド』に議論が集まっていて、施設や人員の充実のような『サプライサイド』に議論が向いていない」等々、シンポジウム全体のまとめにあたるような発言もなされた。
★ 研究者の呼びかけに応え運動を大きく広げよう
中嶋教授は冒頭あいさつの中で、「私たちの中でも様々な意見があったが、これからの取り組みの中で様々な問題提起をしていきたい」と語った。確かに「有志」の皆さんのメンバーは多様で幅広いし、呼びかけ文の作成にあたって様々な調整が必要だったと聞く。
教職員組合にとって、教員の労働条件は教育条件とも結んで一丁目一番地である。
日教組は7月18日、記者会見を行って7項目の「提言」を発表した。全教も独自の勤務実態調査に基づき、精力的にシンポジウムの開催などを行っている。これらの力を大きく結集して小手先ではない「教員の働き方改革」を実現したいものだと強く思う。
その点で研究者の方々が意見の違いを乗り越えで署名活動やシンポジウム開催に踏み切ったことの意義は大きい。その精神を生かし、教職員組合が様々な経緯を乗り越えて「教員の働き方改革」の一点で共同していくためにも大きな力を発揮していただけることを心から願う。
また、この報告原稿を私に依頼してくださった「教科書ネット」も様々な立場の方から揺るがぬ信頼を得てきた運動体であり、同じくご尽力をお願いしたいと思う。
『子どもと教科書全国ネット21ニュース 151号』(2023年8月)
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