◎ 東京「君が代」裁判四次訴訟 第7回口頭弁論 原告意見陳述
~「再発防止研修」は回数が増加し拷問とも言うべき様相
私は、2013年3月に前任校都立B高校で行われた卒業式で「君が代」斉唱時に起立せず、職務命令違反として戒告処分を受けました。今回で三回目の処分です。
起立斉唱の強制は敬意の表明の強制です。特に、思想・信条の理由或いは宗教上の理由を有する者にとっては、起立斉唱は「儀礼的所作」ではなく、己の全人格的な「敬意表明の所作」として正面から向き合うことになります。そして、自らの人としての尊厳を守るべきか、強制に屈して思想・信条を曲げるべきかの二者択一を迫られる窮境に陥らされるのです。
思想・信条とは、その人の人としての尊厳と不可分に関わっています。学校の式典に於いて、生徒や教師、保護者が人としての尊厳を踏みにじられることはあってはならない、私は教師としてそう考えています。
また、指導的立場にある教師の起立斉唱は強制への荷担となり、起立できない者に自ずと圧力をかけ苦しめてしまうという意味作用があるので、教師である私は起立斉唱ができません。
今、都立学校の卒業式では、式典前の「内心の自由の説明」(内心を尊重し起立しないことを認める内容)は禁じられ、進行表には「国歌斉唱」の直前の部分に「*生徒が起立しない場合には、司会より起立を促す」と書かれています。生徒への例外無き強制が既に定められているのです。
起立できないと考える少数の生徒の尊厳を守るためには、最早こうして裁判で訴えるほかありません。
国旗国歌法が国会において成立した時点で「強制はしない」と明言されたことや、つい先月にも文科省が「内心の自由」の告知について「各学校に於ける創意工夫の一つ」という見解を示したことなどを勘案すれば、やはり今の卒・入学式の在り方はおかしいのだと思います。
「戒告処分」の変化についてお話しします。今回私たちが受けた「戒告処分」は、以前の「減給処分」よりも質量共に強化されています。不起立に対する「減給」処分が2012年の最高裁判決によって否定された後に、それよりも経済的・精神的に重い内容に「戒告」という名称を被せて起立できない教員を痛め付けようとする東京都教育委員会のやり方は、我々教員の主張の軽視のみならず司法の判決をも侮ったものなのではないでしょうか。
また、「再発防止研修」は回数が増加し拷問とも言うべき様相を呈しています。再発防止研修について具体的にご説明します。
まず、2013.4.5の教職員研修センターでの研修環境ですが、地下の部屋に行くまでに、廊下に数メートルおきに何人もの複数の職員が立ってこちらを監視しており、トイレに行くときには女性職員に付き添われて行き来しました。トイレで手を洗い拭いていると女性職員が外から顔を出して覗きました。逃げたら取り押さえるぞ、という事なのでしょうか?私は自分が犯罪者として扱われていると感じました。
研修室も4月だというのに、自然に手をこすり合わせずにはいられない程の寒さでした。まさに囚人の心持ちでした。次に研修内容についてですが、まず、座っていたことは幾つもの法に違反しているのだとばかりに縷々法の説明があり、私は重罪人なのか、と思わされました。
特に繰り返し聞かされたのは、地方公務員法32条の「法令及び上司の命令に従う義務」や「教育公務員は学習指導要領に基づき、教育課程の適正な実施に向けて校長が発出した職務命令に従い教育活動を行う責務がある」という言葉でした。
そして、「服務事故を起こしたときの気持ち」や「校長が発出した職務命令に対して公務員としてどのようにしなければなりませんか」という質問を何度もされたのでした。
つまり、その職務命令が生徒の尊厳を失わせるものであっても、卒業式や入学式という祝うべき晴れの日に癒やしようのない心の苦しみを負う生徒がいても、そのようなことは一切考えずに公務員なのだから職務命令に兎に角従いなさい、ということなのです。
また、研修では、「自分の意見が退けられることは大なり小なりあるものであり、自分の考えと違っていても校長の職務命令に従わねばならない」と、単なる我儘で従うぺき校長の職務命令に背いたかのようなストーリーを一方的に作り私たちに言い聞かせるのです。これは、集合研修でも個別研修でも同じでした。
2013.7.11のセンター研修も同じような内容の繰り返しで、私が精神的に苦痛であることを訴えても聞き入れてはもらえませんでした。
質問に答えないでいると次第に高圧的な言い方になり、「質問に答えて下さい!」と怒鳴られる場面もあったので、心臓がどきどきして一人でその場を耐える苦しみが私の中で増幅しました。
説諭のおしまいには「法令に違反したということを最後まで理解頂けなかったと判断しています。」と、今後の待遇に何か不利益が生じる可能性があるかのような厳しい調子の言葉を投げつけられました。
その後、チェックシートを渡され、「国旗・国歌の指導について、教師自ら範を示すことが大切であることが理解できた」「今後、服務事故を起こさないために、校長の職務命令に従うべきであることが理解できた」等にチェックを入れるよう言われました。
次に、研修部長室に移動し、そこでの話をメモにとっていると、教育経営課長のイシヤマ氏から「そうやってメモをとっていてコミュニケーションが取れない」と、きつい口調でメモを注意されました。
また、この再発防止研修の日時は、東京都教育委員会が指定し変更さえ許されないものですが、その日授業を自習にしてきていることについては、「本研修も受講することで生徒と関わる大事な時間が少なくなってしまいますよね。非違行為がなければ研修は行いません。」と言って、私の責任にされてしまいました。
この再発防止研修のあった2013の春頃から、私は原因不明の頭痛など体調に異変がありました。センター研修を終えた秋頃になってようやく回復しました。
「服務事故再発防止研修実施要項」を開示したところ、「説諭の内容を振り返らせ、自身の将来の教員生活に対する決意を表明させる」といった文言がありました。
ボディブローのようないじめ「研修」のある「戒告処分」で、私のような不起立の教員を精神的に参らせ、自らの思想信条や教師としての信念を捨てて起立を「決意」させることが東京都教育委員会の狙いなのだと思いました。
裁判所におかれましては、この戒告処分の実態も視野に入れてご判断下さいますようお願い致します。
~「再発防止研修」は回数が増加し拷問とも言うべき様相
2015.9.25 A(4次原告)
私は、2013年3月に前任校都立B高校で行われた卒業式で「君が代」斉唱時に起立せず、職務命令違反として戒告処分を受けました。今回で三回目の処分です。
起立斉唱の強制は敬意の表明の強制です。特に、思想・信条の理由或いは宗教上の理由を有する者にとっては、起立斉唱は「儀礼的所作」ではなく、己の全人格的な「敬意表明の所作」として正面から向き合うことになります。そして、自らの人としての尊厳を守るべきか、強制に屈して思想・信条を曲げるべきかの二者択一を迫られる窮境に陥らされるのです。
思想・信条とは、その人の人としての尊厳と不可分に関わっています。学校の式典に於いて、生徒や教師、保護者が人としての尊厳を踏みにじられることはあってはならない、私は教師としてそう考えています。
また、指導的立場にある教師の起立斉唱は強制への荷担となり、起立できない者に自ずと圧力をかけ苦しめてしまうという意味作用があるので、教師である私は起立斉唱ができません。
今、都立学校の卒業式では、式典前の「内心の自由の説明」(内心を尊重し起立しないことを認める内容)は禁じられ、進行表には「国歌斉唱」の直前の部分に「*生徒が起立しない場合には、司会より起立を促す」と書かれています。生徒への例外無き強制が既に定められているのです。
起立できないと考える少数の生徒の尊厳を守るためには、最早こうして裁判で訴えるほかありません。
国旗国歌法が国会において成立した時点で「強制はしない」と明言されたことや、つい先月にも文科省が「内心の自由」の告知について「各学校に於ける創意工夫の一つ」という見解を示したことなどを勘案すれば、やはり今の卒・入学式の在り方はおかしいのだと思います。
「戒告処分」の変化についてお話しします。今回私たちが受けた「戒告処分」は、以前の「減給処分」よりも質量共に強化されています。不起立に対する「減給」処分が2012年の最高裁判決によって否定された後に、それよりも経済的・精神的に重い内容に「戒告」という名称を被せて起立できない教員を痛め付けようとする東京都教育委員会のやり方は、我々教員の主張の軽視のみならず司法の判決をも侮ったものなのではないでしょうか。
また、「再発防止研修」は回数が増加し拷問とも言うべき様相を呈しています。再発防止研修について具体的にご説明します。
まず、2013.4.5の教職員研修センターでの研修環境ですが、地下の部屋に行くまでに、廊下に数メートルおきに何人もの複数の職員が立ってこちらを監視しており、トイレに行くときには女性職員に付き添われて行き来しました。トイレで手を洗い拭いていると女性職員が外から顔を出して覗きました。逃げたら取り押さえるぞ、という事なのでしょうか?私は自分が犯罪者として扱われていると感じました。
研修室も4月だというのに、自然に手をこすり合わせずにはいられない程の寒さでした。まさに囚人の心持ちでした。次に研修内容についてですが、まず、座っていたことは幾つもの法に違反しているのだとばかりに縷々法の説明があり、私は重罪人なのか、と思わされました。
特に繰り返し聞かされたのは、地方公務員法32条の「法令及び上司の命令に従う義務」や「教育公務員は学習指導要領に基づき、教育課程の適正な実施に向けて校長が発出した職務命令に従い教育活動を行う責務がある」という言葉でした。
そして、「服務事故を起こしたときの気持ち」や「校長が発出した職務命令に対して公務員としてどのようにしなければなりませんか」という質問を何度もされたのでした。
つまり、その職務命令が生徒の尊厳を失わせるものであっても、卒業式や入学式という祝うべき晴れの日に癒やしようのない心の苦しみを負う生徒がいても、そのようなことは一切考えずに公務員なのだから職務命令に兎に角従いなさい、ということなのです。
また、研修では、「自分の意見が退けられることは大なり小なりあるものであり、自分の考えと違っていても校長の職務命令に従わねばならない」と、単なる我儘で従うぺき校長の職務命令に背いたかのようなストーリーを一方的に作り私たちに言い聞かせるのです。これは、集合研修でも個別研修でも同じでした。
2013.7.11のセンター研修も同じような内容の繰り返しで、私が精神的に苦痛であることを訴えても聞き入れてはもらえませんでした。
質問に答えないでいると次第に高圧的な言い方になり、「質問に答えて下さい!」と怒鳴られる場面もあったので、心臓がどきどきして一人でその場を耐える苦しみが私の中で増幅しました。
説諭のおしまいには「法令に違反したということを最後まで理解頂けなかったと判断しています。」と、今後の待遇に何か不利益が生じる可能性があるかのような厳しい調子の言葉を投げつけられました。
その後、チェックシートを渡され、「国旗・国歌の指導について、教師自ら範を示すことが大切であることが理解できた」「今後、服務事故を起こさないために、校長の職務命令に従うべきであることが理解できた」等にチェックを入れるよう言われました。
次に、研修部長室に移動し、そこでの話をメモにとっていると、教育経営課長のイシヤマ氏から「そうやってメモをとっていてコミュニケーションが取れない」と、きつい口調でメモを注意されました。
また、この再発防止研修の日時は、東京都教育委員会が指定し変更さえ許されないものですが、その日授業を自習にしてきていることについては、「本研修も受講することで生徒と関わる大事な時間が少なくなってしまいますよね。非違行為がなければ研修は行いません。」と言って、私の責任にされてしまいました。
この再発防止研修のあった2013の春頃から、私は原因不明の頭痛など体調に異変がありました。センター研修を終えた秋頃になってようやく回復しました。
「服務事故再発防止研修実施要項」を開示したところ、「説諭の内容を振り返らせ、自身の将来の教員生活に対する決意を表明させる」といった文言がありました。
ボディブローのようないじめ「研修」のある「戒告処分」で、私のような不起立の教員を精神的に参らせ、自らの思想信条や教師としての信念を捨てて起立を「決意」させることが東京都教育委員会の狙いなのだと思いました。
裁判所におかれましては、この戒告処分の実態も視野に入れてご判断下さいますようお願い致します。
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