山口正紀の「言いたいことは山ほどある」第17回(レイバーネット日本)
◆ だれがウィシュマさんを殺したのか
――大日本帝国・特高警察を引き継ぐ入管体制を指宿弁護士が告発
2021年3月6日、名古屋出入国在留管理局に収容されていたスリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさんが亡くなった。特に持病もなかったウィシュマさんが、なぜ33歳という若さで命を失ったのか。
無期限収容のストレスで食事が困難になり、飢餓状態に陥ったにも拘らず、治療も受けられずに見殺しにされた。遺族の代理人・指宿昭一弁護士は11月、名古屋入管の責任者らを「未必の故意」による殺人容疑で名古屋地検に告発した。
だが、〈殺人者〉は名古屋入管の担当者だけか。
事件の真相=深層には、大日本帝国の植民地支配を総括も反省もせず、特高警察を引き継いで外国人敵視を続ける入管体制がある、と指宿さんは憤る。
12月3日、都内で開かれた集会で指宿さんの講演を聞き、植民地支配の歴史に無自覚な戦後日本社会、私たち一人一人の意識が問われていると痛感した。
◆ 収容のストレスで体調不良、食欲不振から飢餓状態に陥り、衰弱死
この集会は、私も参加する「壊憲NO!96条改悪反対連絡会議」が呼びかけ、東京・水道橋で開かれた(写真上)。
指宿さんは「ウィシュマさんの殺害の真相究明と技能実習生制度の廃止に向けて」と題し、約90分にわたって熱弁を揮い、日本の入管体制を告発した。以下、この講演をもとに、ウィシュマさん事件と入管体制・入管政策の問題点を考えてみたい。
ウィシュマさんは2017年6月、日本語学校の留学生として来日した。
ところが、同居男性からDVを受けて学校に通えなくなり、18年6月、日本語学校から除籍され、19年1月に在留資格を喪失した。
そうして20年8月、DVの相談をするため警察に駆け込んだところ、オーバーステイとして逮捕され、翌日から名古屋入管に無期限収容された。
10月、元同居男性から「スリランカに帰ったら探し出して罰を与える」という手紙が来た。帰国が怖くなった彼女は12月中旬ごろ、「在留希望」に転じた。
すると入管職員の対応は急に厳しくなり、そのストレスから食欲不振・体重低下が始まった。
21年1月、支援者が身元引受人になって仮放免許可申請を行なったが、却下。
1月中旬以降、嘔吐、食欲不振、体のしびれなどの体調不良を訴えるようになる。入管収容時に85キロだった体重は72キロに激減した。2月15日、尿検査で「飢餓状態」を示す「ケトン体+3」の異常数値が出た。しかし、点滴などの必要な治療も受けられず、放置された。
やがてベッドの上でも身動きがとれないほど衰弱が進んだが、3月4日に精神科を受診させられた以外、外部病院で診察を受けさせてもらえなかった。
精神科の医師は「仮放免すれば良くなる」と言ったが、入管は「詐病の疑いがある」として応じなかった。
3月5日、ウィシュマさんは脱力状態に陥った。だが、入管は救急車も呼ばず放置。
翌6日、ようやく病院に搬送された時、ウィシュマさんはすでに死亡していた。この時、体重は約63キロまで落ち、収容された時より22キロも激減していた。
◆ 真相究明に抵抗し、ビデオなどの情報開示を拒む入管
ウィシュマさんはなぜ亡くなったのか――真相を知りたいと来日した遺族の妹2人と指宿弁護士らは入管に対し、ウィシュマさんの「独房」に設置された監視カメラ映像の全面開示を求めた。しかし、名古屋入管と入管庁は「保安上の理由」と称して開示を拒否した。
新聞・テレビも少しずつ報じ始め、「ウィシュマさんの死」を知った市民の間で入管に対する批判の声が高まった。
8月には「ウィシュマさんの死亡事件の真相解明を求める学生、市民の会」が結成され、監視カメラのビデオ開示などを求める署名運動も始まった。
高まる批判に、入管はようやくビデオの一部開示を認めた。しかし、ビデオ映像は記録が残る3月6日までの13日分を入管庁が2時間に編集した部分開示。しかも弁護士の立ち会いを認めず、遺族の妹2人と通訳者だけに見せる、というものだった。
これについて指宿さんは「無責任で非人道的な対応」と怒る。指宿さんは裁判所に証拠保全を申し立て、後に映像の一部を見たが、「とても残酷な映像だった」と言う。
ベッドから落ち、何度助けを求めても無視される様子。鼻から飲み物をこぼしたウィシュマさんを見て、「鼻から牛乳」などと笑いものにする職員たち。
死の前日「あー。あー」と繰り返す泣き声は、「まさに死んでいく人の声でした」と指宿さん。
姉の悲惨な映像にショックを受けた妹2人は途中で見ていられなくなり、1時間10分ほどで出てきた。
入管庁は8月10日、ウィシュマさん死亡事件に関する「調査報告書」を発表。上川陽子法相は会見で「送還することに過度にとらわれるあまり、収容施設として、人ひとりをお預かりしているという意識が少しおろそかになっていたのではないか」とコメントした。
「少し、ではないでしょう」と指宿さんは報告書の問題点を列挙した。
実際、全国の入管施設内では07年以来、17人もの死亡者が出ているという。
◆ 侵略戦争を反省せず、特高を引き継いだ日本の入管体制
こうした入管の外国人敵視・管理政策の根源は何か。指宿さんは、戦前の大日本帝国による侵略・植民地支配にまで遡って、日本の入管政策の根本的問題に迫った。
植民地における苛烈な支配、皇民化政策、安価な労働力の搾取。内地では植民地出身者を恐れ、徹底して管理・支配しつつ、一方で民族排外主義を煽り、労働者・農民を侵略戦争に動員した。「これは日本の民族的『原罪』です」と指宿さんは言う。
さらに敗戦後、日本政府は植民地出身者に国籍選択権を与えず、一方的に日本国籍を奪い、「外国人」敵視政策を続けた。
それが「特高警察を引き継いだ入管体制」だ。
日本は侵略戦争を行なった国の責任をあいまい化し、総括も反省もせず、「内なる差別=民族的原罪」を温存した。労働運動も市民運動も、それと闘ってこなかった。
その結果、植民地支配・差別の歴史に無自覚で、植民地出身者や第三世界の人々が置かれた地位に対しても無自覚になり、国家による民族差別・抑圧と闘わない市民の意識が形作られた。
外国人を敵視し、徹底して管理する入管政策が維持され続けている原因。
「それは、日本の国家体制の基本が戦前と変わっていないことにある」と指宿さんは断言した。
では、日本の入管政策を変えていくためにはどうすればよいのか。指宿さんは第一に入管収容の問題点を挙げ、その改革を訴えた。
人の命よりも強制送還を重視し、外国人を敵視、管理することを重視する制度。5月17日に名古屋入管局長と面会した時、ウィシュマさんの妹ワヨミさんはこう言ったという
◆ 日本社会のありようを照らし出すウィシュマさんの死
だが、こうした入管体制を変革する闘いは2021年、大きく進んだ、と指宿さんは言う。
2月から5月にかけ、入管法改悪を阻止した闘い。ウィシュマさん事件の真相解明の闘いでは、監視ビデオの全面開示などを求める署名が9万3000筆に達し、9月25日には全国9か所で450人が参加して集会・デモが行われた。また12月11日には、「入管の民族差別・人権侵害と闘う全国市民連合」がオンライン集会で結成された。
講演では、技能実習生制度など、外国人労働者・移民政策についてもさまざまな問題点が指摘され、指宿さんは「現代の奴隷制度、人身取引制度である技能実習生制度は国内外からの批判を受け、維持できなくなっている」と話した。
「日本が外国人労働者を受け入れていこうとするなら、これまでの移民政策を見直し、多文化共生政策を行なう必要がある。しかし、日本社会に根強く存在する外国人嫌悪、外国人敵視の思想が、多文化共生政策を骨抜きにし、変質させようとしている。その象徴的な表れが、送還忌避罪の創設、難民申請者の送還を可能とする入管法改悪です」
この入管法改悪は21年、いったん阻止されたが、法務省は微修正を加えて再提出を目論んでおり、22年はそれとの闘いが大きな課題になる。
講演を聞いて胸に刺さったのは、ウィシュマさんの死や外国人労働者をめぐるさまざまな問題が、実は私たち日本社会のありようを照らし出す鏡ではないか、との思いだった。
天皇制を頂点とした侵略戦争推進システムが、政治、経済、司法、教育、メディアなどあらゆる分野で戦後もそのまま温存され、アジア侵略・植民地支配・戦争に対して「加害責任を取らない国」であり続けた。それが、敗戦から76年、アべ政治に象徴される「何をしても責任を取らない・問われない」政治が続く根本的な原因となっている。
講演後の質疑で、入管体制の報道に消極的なメディアについて指宿さんはこう語った。
「メディアもまた日本社会の一員として、侵略戦争を総括しないできた。記者たちは『不法滞在』の言葉に縛られ、入管の実態を知ろうともしないでいます。法務省・入管のリークを垂れ流す記者が各社にいて、報道がコントロールされている。ただ、ウィシュマさんの事件をきっかけに、その壁が少しずつ突破されてきました」
侵略戦争・植民地支配に全面加担したメディアの責任も問い直すことが迫られている。あらためて問おう――ウィシュマさんを殺したのはだれか。それは私たちだ。(了)
『レイバーネット日本』(2021/12/15)
http://www.labornetjp.org/news/2021/1215yama
◆ だれがウィシュマさんを殺したのか
――大日本帝国・特高警察を引き継ぐ入管体制を指宿弁護士が告発
2021年3月6日、名古屋出入国在留管理局に収容されていたスリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさんが亡くなった。特に持病もなかったウィシュマさんが、なぜ33歳という若さで命を失ったのか。
無期限収容のストレスで食事が困難になり、飢餓状態に陥ったにも拘らず、治療も受けられずに見殺しにされた。遺族の代理人・指宿昭一弁護士は11月、名古屋入管の責任者らを「未必の故意」による殺人容疑で名古屋地検に告発した。
だが、〈殺人者〉は名古屋入管の担当者だけか。
事件の真相=深層には、大日本帝国の植民地支配を総括も反省もせず、特高警察を引き継いで外国人敵視を続ける入管体制がある、と指宿さんは憤る。
12月3日、都内で開かれた集会で指宿さんの講演を聞き、植民地支配の歴史に無自覚な戦後日本社会、私たち一人一人の意識が問われていると痛感した。
◆ 収容のストレスで体調不良、食欲不振から飢餓状態に陥り、衰弱死
この集会は、私も参加する「壊憲NO!96条改悪反対連絡会議」が呼びかけ、東京・水道橋で開かれた(写真上)。
指宿さんは「ウィシュマさんの殺害の真相究明と技能実習生制度の廃止に向けて」と題し、約90分にわたって熱弁を揮い、日本の入管体制を告発した。以下、この講演をもとに、ウィシュマさん事件と入管体制・入管政策の問題点を考えてみたい。
ウィシュマさんは2017年6月、日本語学校の留学生として来日した。
ところが、同居男性からDVを受けて学校に通えなくなり、18年6月、日本語学校から除籍され、19年1月に在留資格を喪失した。
そうして20年8月、DVの相談をするため警察に駆け込んだところ、オーバーステイとして逮捕され、翌日から名古屋入管に無期限収容された。
10月、元同居男性から「スリランカに帰ったら探し出して罰を与える」という手紙が来た。帰国が怖くなった彼女は12月中旬ごろ、「在留希望」に転じた。
すると入管職員の対応は急に厳しくなり、そのストレスから食欲不振・体重低下が始まった。
21年1月、支援者が身元引受人になって仮放免許可申請を行なったが、却下。
1月中旬以降、嘔吐、食欲不振、体のしびれなどの体調不良を訴えるようになる。入管収容時に85キロだった体重は72キロに激減した。2月15日、尿検査で「飢餓状態」を示す「ケトン体+3」の異常数値が出た。しかし、点滴などの必要な治療も受けられず、放置された。
やがてベッドの上でも身動きがとれないほど衰弱が進んだが、3月4日に精神科を受診させられた以外、外部病院で診察を受けさせてもらえなかった。
精神科の医師は「仮放免すれば良くなる」と言ったが、入管は「詐病の疑いがある」として応じなかった。
3月5日、ウィシュマさんは脱力状態に陥った。だが、入管は救急車も呼ばず放置。
翌6日、ようやく病院に搬送された時、ウィシュマさんはすでに死亡していた。この時、体重は約63キロまで落ち、収容された時より22キロも激減していた。
◆ 真相究明に抵抗し、ビデオなどの情報開示を拒む入管
ウィシュマさんはなぜ亡くなったのか――真相を知りたいと来日した遺族の妹2人と指宿弁護士らは入管に対し、ウィシュマさんの「独房」に設置された監視カメラ映像の全面開示を求めた。しかし、名古屋入管と入管庁は「保安上の理由」と称して開示を拒否した。
新聞・テレビも少しずつ報じ始め、「ウィシュマさんの死」を知った市民の間で入管に対する批判の声が高まった。
8月には「ウィシュマさんの死亡事件の真相解明を求める学生、市民の会」が結成され、監視カメラのビデオ開示などを求める署名運動も始まった。
高まる批判に、入管はようやくビデオの一部開示を認めた。しかし、ビデオ映像は記録が残る3月6日までの13日分を入管庁が2時間に編集した部分開示。しかも弁護士の立ち会いを認めず、遺族の妹2人と通訳者だけに見せる、というものだった。
これについて指宿さんは「無責任で非人道的な対応」と怒る。指宿さんは裁判所に証拠保全を申し立て、後に映像の一部を見たが、「とても残酷な映像だった」と言う。
ベッドから落ち、何度助けを求めても無視される様子。鼻から飲み物をこぼしたウィシュマさんを見て、「鼻から牛乳」などと笑いものにする職員たち。
死の前日「あー。あー」と繰り返す泣き声は、「まさに死んでいく人の声でした」と指宿さん。
姉の悲惨な映像にショックを受けた妹2人は途中で見ていられなくなり、1時間10分ほどで出てきた。
入管庁は8月10日、ウィシュマさん死亡事件に関する「調査報告書」を発表。上川陽子法相は会見で「送還することに過度にとらわれるあまり、収容施設として、人ひとりをお預かりしているという意識が少しおろそかになっていたのではないか」とコメントした。
「少し、ではないでしょう」と指宿さんは報告書の問題点を列挙した。
①尿検査で飢餓状態に陥ったのに治療をせず死なせてしまった責任を回避報告書が掲げた「改革」方針も、問題を「医療問題」に矮小化するなど欺瞞そのものであり、「このままでは第2、第3のウィシュマさん事件が起きる」と指宿さんは訴えた。
②3月5、6日に救急搬送しなかった責任を回避
③収容中の虐待についての責任を回避
④仮放免不許可を、帰国意思を変えさせるための拷問として使ったこと
⑤DV被害者として扱わなかった責任を回避――。
実際、全国の入管施設内では07年以来、17人もの死亡者が出ているという。
◆ 侵略戦争を反省せず、特高を引き継いだ日本の入管体制
こうした入管の外国人敵視・管理政策の根源は何か。指宿さんは、戦前の大日本帝国による侵略・植民地支配にまで遡って、日本の入管政策の根本的問題に迫った。
植民地における苛烈な支配、皇民化政策、安価な労働力の搾取。内地では植民地出身者を恐れ、徹底して管理・支配しつつ、一方で民族排外主義を煽り、労働者・農民を侵略戦争に動員した。「これは日本の民族的『原罪』です」と指宿さんは言う。
さらに敗戦後、日本政府は植民地出身者に国籍選択権を与えず、一方的に日本国籍を奪い、「外国人」敵視政策を続けた。
それが「特高警察を引き継いだ入管体制」だ。
日本は侵略戦争を行なった国の責任をあいまい化し、総括も反省もせず、「内なる差別=民族的原罪」を温存した。労働運動も市民運動も、それと闘ってこなかった。
その結果、植民地支配・差別の歴史に無自覚で、植民地出身者や第三世界の人々が置かれた地位に対しても無自覚になり、国家による民族差別・抑圧と闘わない市民の意識が形作られた。
外国人を敵視し、徹底して管理する入管政策が維持され続けている原因。
「それは、日本の国家体制の基本が戦前と変わっていないことにある」と指宿さんは断言した。
では、日本の入管政策を変えていくためにはどうすればよいのか。指宿さんは第一に入管収容の問題点を挙げ、その改革を訴えた。
①逃亡の恐れがなくても収容する「全件収容主義」。拷問としての長期収容、無期限収容「そうして行われているのが、外国人嫌悪、ゼノフォビアを背景にした徹底した管理・抑圧です。入管庁の調査報告書は、ウィシュマさんに対して不適切な発言をした職員を擁護した。しかし、これはヘイトスピーチであり、それを免罪することは絶対に許せません」
②裁判所など第三者のチェックのない収容により、入管の独善的体質を助長
③入管業務の中で人間性を殺す「教育」が行われ、職員に人としての当然の認識・意識が欠けていること、などなど。
人の命よりも強制送還を重視し、外国人を敵視、管理することを重視する制度。5月17日に名古屋入管局長と面会した時、ウィシュマさんの妹ワヨミさんはこう言ったという
「お姉さんがスリランカ人で、貧しい国の人だから、このようなことをするのですか。アメリカ人でも同じことをしましたか」
◆ 日本社会のありようを照らし出すウィシュマさんの死
だが、こうした入管体制を変革する闘いは2021年、大きく進んだ、と指宿さんは言う。
2月から5月にかけ、入管法改悪を阻止した闘い。ウィシュマさん事件の真相解明の闘いでは、監視ビデオの全面開示などを求める署名が9万3000筆に達し、9月25日には全国9か所で450人が参加して集会・デモが行われた。また12月11日には、「入管の民族差別・人権侵害と闘う全国市民連合」がオンライン集会で結成された。
講演では、技能実習生制度など、外国人労働者・移民政策についてもさまざまな問題点が指摘され、指宿さんは「現代の奴隷制度、人身取引制度である技能実習生制度は国内外からの批判を受け、維持できなくなっている」と話した。
「日本が外国人労働者を受け入れていこうとするなら、これまでの移民政策を見直し、多文化共生政策を行なう必要がある。しかし、日本社会に根強く存在する外国人嫌悪、外国人敵視の思想が、多文化共生政策を骨抜きにし、変質させようとしている。その象徴的な表れが、送還忌避罪の創設、難民申請者の送還を可能とする入管法改悪です」
この入管法改悪は21年、いったん阻止されたが、法務省は微修正を加えて再提出を目論んでおり、22年はそれとの闘いが大きな課題になる。
講演を聞いて胸に刺さったのは、ウィシュマさんの死や外国人労働者をめぐるさまざまな問題が、実は私たち日本社会のありようを照らし出す鏡ではないか、との思いだった。
天皇制を頂点とした侵略戦争推進システムが、政治、経済、司法、教育、メディアなどあらゆる分野で戦後もそのまま温存され、アジア侵略・植民地支配・戦争に対して「加害責任を取らない国」であり続けた。それが、敗戦から76年、アべ政治に象徴される「何をしても責任を取らない・問われない」政治が続く根本的な原因となっている。
講演後の質疑で、入管体制の報道に消極的なメディアについて指宿さんはこう語った。
「メディアもまた日本社会の一員として、侵略戦争を総括しないできた。記者たちは『不法滞在』の言葉に縛られ、入管の実態を知ろうともしないでいます。法務省・入管のリークを垂れ流す記者が各社にいて、報道がコントロールされている。ただ、ウィシュマさんの事件をきっかけに、その壁が少しずつ突破されてきました」
侵略戦争・植民地支配に全面加担したメディアの責任も問い直すことが迫られている。あらためて問おう――ウィシュマさんを殺したのはだれか。それは私たちだ。(了)
『レイバーネット日本』(2021/12/15)
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