★ 三合労 幹福祉会労組の最高裁判決報告集会 (立川テント村通信)
十月二七日立川市柴中会公会堂で、三多摩合同労組幹(みき)福祉会分会の最高裁勝利判決報告集会が行われた。参加は四〇名を軽く越えていたようで椅子を追加し、資料も足りなくなるという盛況ぶりだった。
しかも、通常労働運動の集会というとゼッケンに腕章、鉢巻きでガチガチに身を固めて(それも悪くはないのだが)、非常に固い言葉の並ぷ基調が提起され、糾弾調のシュプレヒコールが最後に行われて終わるのである(これもいいのだけど)。しかしこれは労働運動を全く知らない人からするとかなり敷居が高い。
何らかの事情で職場で労働問題が起きて、相談を何かの労働機関(組合でも相談機関でもいい)に持ちかけたとしよう。その後いきなり具体的な職場運動をやることができるだろうか。経験として行った先の集会が固すぎれば躊躇するのではないだろうか。
この日の集会は、雰囲気といい進行といい、全く旧来の労働運動のイメージとは違うものだった。参考になるので少し長めにレポートしよう。
★ 浅川マキとくす玉割り
まず三合労・中山氏より簡単なあいさつと集会趣旨の説明があった。
幹福祉会は障害者の介護に従事する職場なのだが、団交で雇用主側は手当の問題への指摘に対して不誠実な回答に終始した。やむなく裁判闘争になり、最高裁までもつれ込んだが、組合の主張が全面的に認められて未払い賃金を勝ち取ることができたという流れである。
続いて幹福祉会の久保田氏が会場に入ったが音楽付きの入場である。浅川マキの「それはスポットライトではない」のBGMには驚いたが、その後最初にやったのがくす玉割りであゑこれも作るのが大変だっただろう。
久保田氏の報告は以下の通り。
――― 二〇一九年に組合を結成した。労基署にも相談に行ったが、「明白に労基法違反であると判断できない限りは、是正勧告は出せない」という対応だった。このため裁判闘争になった。
夜勤について理事長側は「大した労働ではない」として軽視していた。以前、私は金井康治さん(脳性マヒの障害者だったが、普通学級への編入を求め一九七〇年代後半から六年間就学闘争を行った)への支援などを行っていた。障害者運動をやっている人は労働条件でひどいことはしないと信じていたが、実際は違っていた。労基法違反の実態が職場にあったのだ。
地裁の判決報告会では今日の半分くらいしかいなかったが、たくさん参加してくれてうれしい。―――
続いてユニオンNo.6、南部労組、全国一般、連帯労組からあいさつがあった。キャバクラ・ユニオンからの連帯メッセージも読み上げられ馬多彩な共闘関係が作られていることがわかった。
★ 裁判経過と意見交換
この後で裁判を担当した谷田弁護士から裁判経過の解説があった。
裁判経過によると、二〇一九年に労基署に申告し、その後労働審判を行った。そのまま訴訟に移行し和解を進める動きがあったが法人側は応じなかった。
組合勝訴となり法人側が控訴。
二〇二三年控訴審でも控訴棄却判決となり、ここでも法人側は和解を拒否。上告となるが二〇二四年四月上告棄却、勝訴判決が確定していく。
裁判の争点は組合側が業務手当(日中手当)について深夜割り増し賃金を請求したことである。そして一日八時間を超える残業について割増賃金を請求したことだった。
業務手当(二〇一九年以降組合要求に対して日中手当と名前変更)が支払われていたが、この手当を「通常の賃金」に含めずに深夜残業代が計算されていたのだ。
変形労働時間制というものがあるが、これを適用する条件は厳しく無効にされてしまうことが多い。だが法人側はこれを主張していた。
最高裁で確定した判決では組合(原告側)の主張を認め全額を認容した。
この後は第二部で、幹福祉会結成に関わった人の発言や質疑コーナー。分会員の一言コーナーや、組合を拡大し新たなメンバーを獲得するにはどうしたらいいかという問題提起があり、参加者との意見交流が行われた。
メンバーによるラップミユージックまで飛び出して実に賑やかで明るい集会となった。労働運動をやっている人はいろいろ参考にした方がいいと思える集会だった。
『立川テント村通信 561号』(2024年11月1日)
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