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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

再雇用2次意見陳述<3>

2011年09月15日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 《再雇用拒否撤回2次訴訟第9回口頭弁論(2011/9/12)陳述》<3>
 ◎ 異文化理解や国際理解の一歩を実践
   ~生徒たちの権利を踏みにじることになる職務命令には従えない
原告 S
 1.略歴

     (略)

 2.教育実践
 私は授業で英語を担当してきましたが、異文化理解や国際理解ということも授業のテーマに入ります。
 異文化理解や国際理解では、単に外国の文化や言葉などを知識として得ることのみが大事なことではありません。自分とは異質なものを理解し、たとえ、異質なものを受け入れられなくても、それを受け止めるという姿勢や相手の立場にたって物事を考える態度こそが大切です
 生徒たちに毎日の生活の中で自分と違う考えや少数者の意見に耳を傾けることから異文化・多文化を理解することができ、国際理解というものの第一歩が始まり、共に生きる道が開けるのだろうと話してきました。
 10.23通達が出るまでは、本当に自由な雰囲気のもとで、のびのびと活動や授業ができました。
 例えば以前ならHRで生徒たちが卒業式で発表したいことやその方法、そのための舞台や段取りなど、各クラスで話し合い、生徒の委員会がまとめ、担任団の係りから職員会議へ出されていました。
 しかしもう校長の提案する授与式のみですから、結局こういうHRの活動は無くなるわけです。
 10.23通達が出るまでのことを振り返ると、自由闊達な環境を築いて来て下さった先輩諸氏に感謝せざるをえません。学校行事も生徒の意向を生かし、彼らの創意工夫をもとに教職員の間でも活発な議論をして生徒を支える形で実行してきました。
 3.通達後の現場で
 2003年10月に、10.23通達が出ました。10月の末頃から話題になる大きな学校行事は卒業式です。そしてこの通達も主に卒業式やその後の入学式にタイミングを合わせて出されたものと思われました。
 管理職から伝えられた10.23通達の趣旨は、自分の考えとは相容れないものでした。国旗・国歌に対する個々の考え方、態度、姿勢は自由なのが当然であるというのが私の考えです。
 10.23通達は、今までの学校の在り方を変えるもの、さらにいえば教育基本法を、そして憲法を、この国の在り方を変えるものになるかもしれないと思いました。
 10.23通達について校長と職員会議で話し合いを重ねる中で、校長の、すなわち都教委の意向がはっきり分かってきました。都教委の意向は、個々の考えや思想はどうであれ、全員を起立させて有無言わせずに「君が代」を歌わせるというものでした。
 そして、職員会議も話し合いの場ではなく、管理職の意向の単なる伝達機関にしようという意図がはっきりとみえてきました。
 伝えられた卒業式の式次第は姑息なもので、開式の辞で一同をいったん起立させると着席させずにそのまま国歌斉唱へと続く流れでした。私には生徒、保護者を含め会場にいるもの全員に起立して国歌の斉唱を強制する手段としか映りませんでした。
 今までの式次第の慣行では、開式の辞で司会者が起立を促し、一同が礼をした後着席します。もっとも、誰もいない壇上に向かってお辞儀をするのも奇異なものですが。次に「国歌斉唱、ご起立ください」と進行していました。しかし、この新しい式次第では、「起立したくない」、「君が代を歌いたくない」と思っている生徒は、よほど強靭な精神を持っていなければ着席は出来ないでしょう。
 校長、教頭は職員会議の場では、生徒には思想良心の自由を保障する、起立して「君が代」を歌いたくないものは起立しなくてもよいと言いながら、そのことについて式の前までに生徒達に話すことはせず、私たちにも教室でその話題に触れることを禁じました。
 そして当日の式そのものも、今までは生徒の工夫で各クラスが自分たちの思いを数分に凝縮して発表をし、感動的なものになっていましたが、ただ時間が流れていくだけの形式的なものに変わってしまいました
 4.不起立の理由
 このような状況のもとでは、「起立したくない」、「君が代を歌いたくない」と思っている生徒達が自分の考えに従って行動しようとすると苦しい立場に追い込まれることになるのは明らかでした。
 私は、この数人の生徒達に少しでも力になれることは何だろうかと考えると、その答えは一つしかありませんでした。
 また、私は、憲法を逸脱する内容を含む職務命令に従うことは、憲法を遵守する立場の公務員としては出来ないと考えました。そう考えた時、私は起立せずに着席したままで居ようと思いました。
 先ほど述べましたように、私は、これまで授業の中で、異なる立場の少数者を排除するのではなく、受け止めることが異文化理解や国際理解の一歩だと生徒たちに話してきました。少数者がプレッシャーを感じることなく、自分の立場を主張できる環境を作ることが大切であり、その実現のための実践をしなければ、私が生徒たちに教えてきたことの意味はなんだったのか、私自身、生徒達への責任がとれない、私の授業への背信となる、そして、それは生徒達が学校へ不信感を持つことにもなりうる、そう考えました。そして卒業式が近づくにつれて、そのような思いがますます強くなっていきました。
 卒業式当日、私は国歌斉唱の際、着席しました。大部分の生徒、教員、保護者が、もちろん少なからぬ人が苦渋の選択を強いられて起立している中で各々何人かは着席し、その数人の生徒達一人は自分が賛美して歌を歌うのは神様に対してですと話していた子や、一人は市民講座で在日の方の話を聞いたと言っていた子、他のクラスの数人の生徒たちも着席しました。
 私は内心ほっとしました。また、節を変えずに、自分に忠実に行動できたことにも安堵しました。
 そして、私は処分を受けました。校長の今までの話から予想はしていましたが、たった1分にも満たない40秒足らずの不起立によって、職務命令違反で戒告処分になるとはなんとも不可解です。
 私は、憲法を遵守しなければならないという義務の中で、それまで仕事をしてきました。そして、卒業式当日の不起立も憲法で保障されている*思想・良心の自由を生徒たちに保障するための行動であり、今までも立てないという生徒がクラスの中にいればとってきた行動です。
 結局は、生徒たちの保障されている権利をも踏みにじることになる事柄をなぜ職務命令で私たちに強制できるのか納得できません。
 5.不採用による損害・苦痛
 この処分から4年後に定年退職を迎えました。まだ現場で仕事をしたいという思いと、年金が全額出るまでの生活のために、非常勤教員になることを希望していました。しかし、不合格となりました。
 非常勤教員制度は、希望者は全員採用されるのが基本なので、退職時の勤務校の校長による定期評価や面接試験の参考にと渡された選考のための推薦文の要旨からは、不採用になる理由が思い当たりません。
 そして不合格を私に告げるとき、校長が、この不合格はひどいですねと言う趣旨のことを言われたことが印象に残っています。
 唯一考えられる理由は、10.23通達に基づく職務命令に対する私の対応だったと思われます。
 この不採用により、教員不適格と言うレッテルを貼られたわけで、名誉を傷つけられ、職を求めるのにも支障となりました。このことによって、経済的損失は勿論ですが、それ以上に精神的な苦痛を受けることになりました。
 私は、退職後2年間、派遣で私立高校の非常勤講師をしましたが、教室での話など、自分に貼られたレッテルがいつも意識にあって、あまりのびのびと持ち味を出せずに、辛い思いをしました。
 憲法違反と考えられる職務命令に従わなかったせいぜい40秒足らずの行為のみを理由とした不当な不採用について名誉回復のため公平な判断を仰ぎたいと思います。
以上

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