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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

板橋高校藤田裁判第7回公判(9/29)速報

2005年09月30日 | 板橋高校卒業式
卒業生の不起立は校長の指導力不足が最大の原因!?

秋の気配を感じさせる穏やかな日和。加藤・澤藤弁護士らは、昨日の「再発防止研修取消訴訟」に続く法廷で、さぞかしお疲れだったかと思います。傍聴券を求める列は長く続き、本日もほぼ満席の傍聴者が集まりました。
冒頭、弁護側から出された証拠請求は、全体に関わるものとして採用になりました。

1,北爪幸夫板橋高校学校長への反対尋問の続き

(1)横山弁護士から(13:30~)

Q:証人が会場に入った時、藤田氏と教頭が居た場所は。
A:会場中央、保護者席の最前列あたり。
Q:何をしていたか。声は聞こえたか。なぜ分かったか。
A:話をしていた。聞こえないが様子で判断した。こちらに背中を向けていたわけではないから。
Q:実況検分の書面では、場所が保護者席の中程となっているが。
A:今の記憶では、保護者席の前だった。
Q:実況検分の写真では、真後ろを向いていて、背中を見せている。
A:横顔とか、見えていたという方が正しい。
Q:供述調書では、教頭と藤田氏が、怒鳴り合いをしていたとなっている。
A:正確には、私が近づいてから、怒鳴り合いが始まった。その前は、聞こえなかった。
Q:校長が近づいた後にも、藤田氏は君が代斉唱に反対する演説をしたか。
A:それはしていない。
Q:既に演説が終わった後、近づいていったのではないか。
A:然り。証言に当たって、改めてTBSのビデオやICレコーダで確認し、記憶が間違っていたことに気がついた。
Q:ICレコーダは、いつ、誰から聞かされたか。
A:検事との事前打ち合わせで、或いは都教委が作ったコピーで。
Q:土屋都議と藤田氏が接触した場面で、「私が責任者だ」と言ったか。
A:記憶にない。
Q:会場配置図で、教職員席の最後尾はもっと後ろではなかったか。
A:この図面よりも、保護者席の半ばかもう少し後ろだった。
(2)小沢弁護士から(14:10~)
Q:実況検分の写真で、藤田氏を演じている人物が、手に白い紙を持っている。
A:直後は持っていたと思った。ビデオを見て、持っていなかったと知った。
Q:教頭が、ビラ配布を制止するのを見たか。
A:見ていない。
Q:佐々木指導主事が、会場の様子を伝えに来たのをどこで聞いたか。
A:校長室前の廊下に、来賓を整列させている時。
(3)猿田弁護士から(14:15~)
都教委と連絡を取り合い、連名で「被害届」を出した。
卒業式の翌日3月12日の夜に都教委に出向いた。
13日は、佐々木・金子指導主事が来校した。
15日付けで「報告書」を作成し、都教委に持参したが、事前にメールや電話で何度もやり取りをして完成した。
警察は、12日午後に学校に来て最初の相談。19日には、佐々木指導主事と二人で板橋警察署に出向いた。
19日は、都教委から11名ほど来校して事情聴取を行った。校長・教頭・3年担任以下12名が対象だった。
「被害届」を書いたのは、26日の朝10時頃。書いたのは自分。
本文に「『供述書』の通り」としかないのは、長くて書ききれなかったから。
26日も警察の取り調べを受けたが、12日以来何度も話しているので、どの「供述書」かはっきり言えない。
26日は、実況検分が行われた。指導主事は2~3名来たが、地区担当の佐々木以外は覚えていない。佐々木氏が何時に来て、何をして、何時に帰ったか一々見ていたわけではない。
「被害届」を出すに当たって、職員会議で説明をした。先生方に意思表示を求めたわけではないので、反対意見がどれだけあったか覚えていない。
土屋都議は、式終了直後、生徒の不起立には教員の関わりを感じたように言っていた。
都教委指導部から6月頃に、校長は「注意」、教頭は「厳重注意」、担任団は校長から「注意」の指導を受けた。
(4)大迫弁護士から(14:50~)
赴任した最初の入学式では、起立する教職員はほとんどいなかった。新入生も一人も起立しなかった。「ご協力いただける方はご起立下さい」と司会が言っていた。
生徒にキチンと指導する必要を感じ、予行の時に指導した。
その時、「君たちには内心の自由がある」と言ったが、その前提で「立って歌って欲しい」と言った。
生徒に「立つことの重要性」が伝わる指導をしたつもりだが、結果として不十分だった。
3年生にとっては1年間だけの校長だったから、付き合いが浅かったことは認める。
生徒からどう評価されていたかは直接聞いていないが、教員が「今度の校長は困った」と悪口を言っている噂を聞いた。
「ムカついたから立たなかった」という声は知らない。「つられて坐った」のが多かったと聞いている。
校長の指導に従わなかった生徒が、2年前に退職し授業も持っていなかった教員の呼びかけに応じたとは考えにくいが、そのこととは別にビラ配布行為を問題にした。
当日、教員から不起立のことだけしか聞き取りをしなかったのは、都教委の指示に従ったまで。私は、最初から2つが問題だと考えていた。
指導部から教頭が「厳重注意」を受けたのは、生徒に起立を呼びかけた時「思想信条のある者以外は立ちなさい」と言ったのが、教育公務員としてふさわしくないとされたから。
(5)/加藤弁護士から(15:15~)
Q:3/16の都議会で、土屋都議・横山教育長が「校長の制止にも関わらず」と言っているが、そのような「報告書」を提出したのか。
A:いま文書が手許に無いので正確ではないが、そういう報告はしていない。
(6)只野弁護士から(15:25~)
Q:12日、午後早い時間に、警察2名、呼んだのはなぜ。
A:朝、担任5人が、前日の聞き取りの内容を訂正に来たので。13日はこちらから出向いた。12日夜に、始めて都教委に出向き、指導部のトップに直接説明した。
(7)検事の再尋問(15:30~)
会場で、藤田氏・教頭に近づいていったのと、教頭が大声を上げたのと、10月11日の調書では、順序が逆だった。
実況検分の時、位置関係などの説明は、校長が主導的役割を果たしたわけではない。
教職員の座席指定は、都教委の実施指針に従っただけ。
当日警察を呼ぶことに積極的でなかったのは、式典に外部の力が入るのを極力避けたかったから。
(8)弁護士の再尋問(15:50~)
ICレコーダを聞いたのは、4月ではないが、10月よりは前だったかも知れない。
藤田氏に近づいて、腕をつかむ前に「退場してください」と言った。
調書に「何するんだ、触るんじゃない」と答えたのは、記憶違いだった。
(9)左陪審から(15:55~)
座席表は、当日朝、都教委に示した。それ以前には示していない。
藤田氏が退席するとき、荷物は、校長が来賓席から持ってきて高野主事に渡した。その先は分からない。

     〔休憩 16:00~16:20〕

2,田中一彦教頭への主尋問(16:20~)

藤田氏から式の1週間くらい前に電話があり、校長の指示に従って案内状を送った。
何か魂胆があると校長に進言し、指導主事が5名に増員された。
来賓は、校長室を9:40に出発する予定。
卒業生は、生徒会室前から9:45に移動予定。
TBSカメラは、土屋都議が来賓席に着席したら、生徒入場口とは別の出口から退出予定。
卒業生入場の合図は、教頭が教職員全員の着席を確認して、司会から誘導係に。
10時前でも、入場整列が完了したら、開始するつもりだった。
当日藤田氏が、8:15に車で来たのを見た。セーター姿を見て、式典にふさわしくないと思った。
9:40に、来賓を会場に案内しようと校長室前廊下に並んだところに、佐々木指導主事が駆けつけた。小走りで会場に行くと、藤田氏が保護者席にいるのが見えた。
(16:55終了)


次回も、田中一彦教頭への主尋問が続く。引き続き反対尋問の予定。
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