《「春の会」ニュース》(2010年3月 28号)
◎ 当時の管理職は訴える 「起立斉唱を強いるな!」
~東京都による学校教育介入の事実を、広く都民に知らせよう!
◎ 管理職の語る真実 第3回公判の報告
東京「日の丸・君が代」裁判・一次訴訟の控訴審第三回公判(ロ頭弁論)は、一〇年三月二日に、東京高等裁判所で開かれました。わたしたち控訴人側は、当時の校長、教頭たちの証言を証拠として提出しました。
都教委は十・二三通達が必要だった理由として、校長と教職員が先鋭的に対立していたと主張していますが、この証拠では、元管理職だった方たちは、本当はそんな事実は無かったし、むしろ都教委の強制こそ行き過ぎだったと証言しています。
当時多くの良心的な校長は、職員会議等で「わたしは子どもの教育でも学校運営でも、教職員と話し合いながら一致してやってきた。でもただ一つ、国旗・国歌だけは対立せざるをえない。個人的にも実施したくないが、立場上実施せざるを得なく、何とも苦しい。」と本音をもらしたものです。
これまでに四二三名という多数の教職員に懲戒処分を課した、全国的にも、あるいは東京都のこれまでの歴史に照らしても異常な十・二三通達による都教委の押しつけ!
この通達によって抑えつけられてしまった管理職たちの生々しい本音と真実を、白井弁護士が法廷で紹介しました。
◎ 奪われた学校の裁量権
十・二三通達によって、ただ一校の例外もなく、すぺての都立学校の卒業式・入学式で、日の丸を会場正面に貼り、生徒の座席の位置も決め、教職員一人一人の座席を指定し、全ての教職員に職務命令を出し、音楽専科の教員にピアノ伴奏をさせて君が代を斉唱させるようになりました。
これらの点に関して、別のやり方で行うことは、校長にも誰にもできなくなりました。学校の裁量権の極端な限定は、第一の異常です。
★ 十・二三通達当時の高校校長A氏(証拠甲二二号)
送辞や答辞の持ち方、式の歌をどの曲にするか、せいぜいその程度のことに学校の裁量権は限られてしまいました。
★ 元都教委管理主事・指導主事B氏(証拠甲四六二号)
教育の条理は、もともと行政の学校支配にはなじまないのです。
◎ 懲戒権と人事権を振りかざした介入
生徒の生命・身体の危険の問題でもないのに、指導内容と指導方法に懲戒権と人事権を振りかざした介入をしました。これは第二の異常です。
★ 当時高校教頭Cさん(証拠甲三二七号)
職務命令と処分で教職員を縛って起立斉唱を強いる、この通達のやり方は行き過ぎた措置だと、多くの管理職は考えたのです。それは、国旗・国歌の指導に当初から熱心だった人も、さほど熱心でなかった人も、都立高校の管理職の大部分に共通する思いでした。
★ 元校長Dさん(証拠甲三一五号)
決して日の丸や君が代に賛成か反対かという問題ではありません。
問題は「処分による強制」です。現に私のように日の丸や君が代に賛成の人も、現在の東京都の状況には憂慮しているのです。
◎ 校長会で異論噴出
十・二三通達が出された当時、都教委が招集した校長連絡会全体会では、次のような意見が出されました。
★ 当時の校長Eさん(甲三一三号)
ある校長が「やれと言うなら立場上やりますよ。しかし従わなかったといって処分までするのは、(中略)行き過ぎではないか」と異論を出したのです。(中略)まさにその思いが、ほとんどの校長の思いだったと私は思います。
しかし、通達が実施されると、校長達のこうした異論も抑えつけられてしまいました。
◎ 教職員との対立はなかった
都教委は、あたかも校長と教職員とが先鋭的に対立していたかのように描き出しています。だから十・二三通達は必要だったというのです。しかし、これは東京都全体を見れば事実に反しています。
★ 元校長Fさん(甲三六八号)
教育の中立についてほとんどの教職員の態度は極めて厳正公平です。これまで、これを犯すような教職員を私は知らない。
個人として大いに語るる教師も、教室での自分を厳しく自制・自偉しています。
★ 元校長Gさん(甲三六九号)
都教委ぱ一審に、対立があったという元校長の陳述書を提出していますが、このような対立が本当にあったとすれば、むしろ学校経営のあり方が民主的に行われていなかったのではないかということを反省すべきでしょう。
★ 当時の校長Hさん(甲五三五号)
教職員が君が代を歌わないといって、苦情を言う保護者はいません。他の学校の話としても聞いたことがありません。
圧倒的大多数の常識的な保護者にとって最も大事なのは生徒であって、国旗国歌があるかどうかなどそもそも関心事ではなかったのです。
◎ 特定の価値観を押しつける都教委
元管理職のこうした証言を踏まえて、白井弁護士は次のように訴えました。
十・二三通達の異常さの本質は、《多元的価値を認めない》ということにあります。
都教委は裁判の準備書面に「将来生徒が社会に出て、国歌斉唱をする場に臨んだとき、一人だけ起立もしない、歌うこともしない.そして周囲から批判を受ける、そのような結果にならないよう指導すべきだ。」と書いています。
君が代を立って歌うのが正しいという価値観を生徒達に教え、その価値観を受け入れなければ「周囲から批判を受ける」と教える、それが十・二三通達のねらいだと言うのです。
国旗国歌法が成立したとき(一九九九年)、条文に国旗国歌の尊重義務は入れられませんでした。法案作成過程で検討のすえはずされたのです。
それでも事実上の強制にならないかという危惧から、国会では議論が沸騰しました。
法案作成チームの實任者であった当時の副官房長官は、朝日新聞にこう述べています。
「尊重義務などを書けぱ、罰則が無くても『義務を守らないのはけしからん』などと言い出す人がいるかもしれない。そうした余地はなくしたほうがいい。」(甲五五〇号、甲五六四号一~十)
もし十・二三通達が都教委のねらいとおりに効果を上げれば、尊重義務規定がなくても、君が代を歌わない人は「けしからん」と「周囲から批判を受ける」ことになりかねません。
十・二三通達は事実上、国旗国歌法に尊重義務を入れたと同じ効果を社会にもたらすことになります。
これは法案作成者も、国会もしなかったこと、政府も断念したことです。
そのことを国会審議も国民的議論も回避しておこなうことが、はたして地方教育委員会の権限でできるでしょうか。
そういう根源的なところから、もう一度吟味してほしいと思います。
日の丸・君が代の押しつけに反対し、春口さんの処分の撤回を目指す
『「春の会」ニュース』(2010年3月 28号)
連絡先 国分寺市本町 4-17-3-306 稲邑孔志方
TEL・FAX 042-324-1439
◎ 当時の管理職は訴える 「起立斉唱を強いるな!」
~東京都による学校教育介入の事実を、広く都民に知らせよう!
◎ 管理職の語る真実 第3回公判の報告
東京「日の丸・君が代」裁判・一次訴訟の控訴審第三回公判(ロ頭弁論)は、一〇年三月二日に、東京高等裁判所で開かれました。わたしたち控訴人側は、当時の校長、教頭たちの証言を証拠として提出しました。
都教委は十・二三通達が必要だった理由として、校長と教職員が先鋭的に対立していたと主張していますが、この証拠では、元管理職だった方たちは、本当はそんな事実は無かったし、むしろ都教委の強制こそ行き過ぎだったと証言しています。
当時多くの良心的な校長は、職員会議等で「わたしは子どもの教育でも学校運営でも、教職員と話し合いながら一致してやってきた。でもただ一つ、国旗・国歌だけは対立せざるをえない。個人的にも実施したくないが、立場上実施せざるを得なく、何とも苦しい。」と本音をもらしたものです。
これまでに四二三名という多数の教職員に懲戒処分を課した、全国的にも、あるいは東京都のこれまでの歴史に照らしても異常な十・二三通達による都教委の押しつけ!
この通達によって抑えつけられてしまった管理職たちの生々しい本音と真実を、白井弁護士が法廷で紹介しました。
◎ 奪われた学校の裁量権
十・二三通達によって、ただ一校の例外もなく、すぺての都立学校の卒業式・入学式で、日の丸を会場正面に貼り、生徒の座席の位置も決め、教職員一人一人の座席を指定し、全ての教職員に職務命令を出し、音楽専科の教員にピアノ伴奏をさせて君が代を斉唱させるようになりました。
これらの点に関して、別のやり方で行うことは、校長にも誰にもできなくなりました。学校の裁量権の極端な限定は、第一の異常です。
★ 十・二三通達当時の高校校長A氏(証拠甲二二号)
送辞や答辞の持ち方、式の歌をどの曲にするか、せいぜいその程度のことに学校の裁量権は限られてしまいました。
★ 元都教委管理主事・指導主事B氏(証拠甲四六二号)
教育の条理は、もともと行政の学校支配にはなじまないのです。
◎ 懲戒権と人事権を振りかざした介入
生徒の生命・身体の危険の問題でもないのに、指導内容と指導方法に懲戒権と人事権を振りかざした介入をしました。これは第二の異常です。
★ 当時高校教頭Cさん(証拠甲三二七号)
職務命令と処分で教職員を縛って起立斉唱を強いる、この通達のやり方は行き過ぎた措置だと、多くの管理職は考えたのです。それは、国旗・国歌の指導に当初から熱心だった人も、さほど熱心でなかった人も、都立高校の管理職の大部分に共通する思いでした。
★ 元校長Dさん(証拠甲三一五号)
決して日の丸や君が代に賛成か反対かという問題ではありません。
問題は「処分による強制」です。現に私のように日の丸や君が代に賛成の人も、現在の東京都の状況には憂慮しているのです。
◎ 校長会で異論噴出
十・二三通達が出された当時、都教委が招集した校長連絡会全体会では、次のような意見が出されました。
★ 当時の校長Eさん(甲三一三号)
ある校長が「やれと言うなら立場上やりますよ。しかし従わなかったといって処分までするのは、(中略)行き過ぎではないか」と異論を出したのです。(中略)まさにその思いが、ほとんどの校長の思いだったと私は思います。
しかし、通達が実施されると、校長達のこうした異論も抑えつけられてしまいました。
◎ 教職員との対立はなかった
都教委は、あたかも校長と教職員とが先鋭的に対立していたかのように描き出しています。だから十・二三通達は必要だったというのです。しかし、これは東京都全体を見れば事実に反しています。
★ 元校長Fさん(甲三六八号)
教育の中立についてほとんどの教職員の態度は極めて厳正公平です。これまで、これを犯すような教職員を私は知らない。
個人として大いに語るる教師も、教室での自分を厳しく自制・自偉しています。
★ 元校長Gさん(甲三六九号)
都教委ぱ一審に、対立があったという元校長の陳述書を提出していますが、このような対立が本当にあったとすれば、むしろ学校経営のあり方が民主的に行われていなかったのではないかということを反省すべきでしょう。
★ 当時の校長Hさん(甲五三五号)
教職員が君が代を歌わないといって、苦情を言う保護者はいません。他の学校の話としても聞いたことがありません。
圧倒的大多数の常識的な保護者にとって最も大事なのは生徒であって、国旗国歌があるかどうかなどそもそも関心事ではなかったのです。
◎ 特定の価値観を押しつける都教委
元管理職のこうした証言を踏まえて、白井弁護士は次のように訴えました。
十・二三通達の異常さの本質は、《多元的価値を認めない》ということにあります。
都教委は裁判の準備書面に「将来生徒が社会に出て、国歌斉唱をする場に臨んだとき、一人だけ起立もしない、歌うこともしない.そして周囲から批判を受ける、そのような結果にならないよう指導すべきだ。」と書いています。
君が代を立って歌うのが正しいという価値観を生徒達に教え、その価値観を受け入れなければ「周囲から批判を受ける」と教える、それが十・二三通達のねらいだと言うのです。
国旗国歌法が成立したとき(一九九九年)、条文に国旗国歌の尊重義務は入れられませんでした。法案作成過程で検討のすえはずされたのです。
それでも事実上の強制にならないかという危惧から、国会では議論が沸騰しました。
法案作成チームの實任者であった当時の副官房長官は、朝日新聞にこう述べています。
「尊重義務などを書けぱ、罰則が無くても『義務を守らないのはけしからん』などと言い出す人がいるかもしれない。そうした余地はなくしたほうがいい。」(甲五五〇号、甲五六四号一~十)
もし十・二三通達が都教委のねらいとおりに効果を上げれば、尊重義務規定がなくても、君が代を歌わない人は「けしからん」と「周囲から批判を受ける」ことになりかねません。
十・二三通達は事実上、国旗国歌法に尊重義務を入れたと同じ効果を社会にもたらすことになります。
これは法案作成者も、国会もしなかったこと、政府も断念したことです。
そのことを国会審議も国民的議論も回避しておこなうことが、はたして地方教育委員会の権限でできるでしょうか。
そういう根源的なところから、もう一度吟味してほしいと思います。
日の丸・君が代の押しつけに反対し、春口さんの処分の撤回を目指す
『「春の会」ニュース』(2010年3月 28号)
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