▲ 住民による「脱原発杉並宣言」
集会は加藤登紀子さんの独唱から始まった。加藤さんの娘さんは杉並に住んでいたそうだ。
◎加藤登紀子さん 独唱「貝殻のうた」
原発事故で大変な人と大変でない人がいる。その温度差は大きい。この温度差を乗り越え、どうつながりをつくるかが課題だ。こんな大変な時期に原発再稼働をいうなんでいったいどういうことかと思う。
加藤さんは、昨年4月25日福島在住の詩人和合亮一さんが作詞した「貝殻のうた」を歌った。
http://www.youtube.com/watch?v=aXd0MsVVdRw
◎開会あいさつ 熊谷博子さん(呼びかけ人代表)
熊谷さんは「三池 終わらない炭鉱(やま) の物語」で有名になった映画監督だ。わたしも3-4年前にポレポレ東中野でみた。巨大なホッパーが印象に残っている。熊谷さんは杉並在住で、本日の集会の呼びかけ人の一人だ。
熊谷さんは昨年6月、はじめて福島市に入った。その日はお母さんたちがはじめてデモをした日だった。雨が降っていた。
わたしはアフガニスタンなどに取材に入ったし修羅場は慣れている。しかし、戦場とは別の恐怖を味わった。そしてお母さんたちの放射線への深い恐怖感が伝わってきた。
以前、中性子爆弾の映画をつくったとき、自分の血液を放射線にさらすと染色体がズタズタになった。杉並は58年前、第5福竜丸事件を契機に原水爆禁止の署名活動が始まった土地だが、ここから何か起こせる気がする。
◎基調講演 原発社会の犠牲者たち 鎌田慧さん
日本の原子力政策は1950年代以来ずっと「ウソとカネと脅し」が中心だった。
原発の大量建設が始まった70年代には石油危機が叫ばれた。しかし40年たっても石油は枯渇しない。フィクションだった。50基の原発が停止しても何の不自由もない。「原発がないと生きていけない」というのはウソでありフィクションである。国民がこれだけ反対しても、なお稼働させようという理由は「カネが回らない」からだ。
六ヶ所村のような大規模開発、大量生産、大量消費、大量発電の時代は終わった。いまは、身の丈に合った生活に切り替えるちょうど転換点にさしかかっている。能登半島の珠洲市では反対運動の結果93年に建設計画を中止した。当時原発は地域発展の起爆剤といわれた。そして御用学者、評論家、作家が総動員され、「原発をつくれないと国民の1/4が死んでしまう」と説得した。
原発の立地は必ず貧しい過疎地だ。
東京電力は11面もあるサッカー場・Jヴィレッジを130億かけて福島県楢葉町に造営し、97年に完成し県に寄付した。
使用済み核燃料の中間処理施設を建設中のむつ市の市庁舎はもとはダイエーの店舗で、東京電力からの13億の寄付金で賄った。
大間のあさこハウスの故・熊谷さんは「畑と海があれば人間食っていける」と言っていた。海と畑を農民から奪うのが原発だ。
7月16日「さようなら原発10万人集会」を代々木公園で開催する。多くの人に参加していただきたい。
◎対談 未来を決めるバトル「原子力ムラvs有象無象」 雨宮処凛さん・松本哉さん
雨宮処凛:高円寺の原発反対デモには昨年4月と今年5月の2回参加した。5月のときは、わたしはウェディングドレス、松本さんは紋付き袴でオープンカーに乗った。まるで結婚披露の祝賀パレードのようだった。
わたしは原発のことはあまり知らなかったが、高円寺・素人の乱のデモをみて、一部な特殊な人のスタンスではなく、「無知でもデモをやっていいんだ」と気づいた。日本のような加害の国でデモすら起きなければ「当事者は何を考えているんだ!」ということになる。これがドイツ、イタリアなら100万人単位のデモが起こっていた。
震災当時「日本人は冷静だ」という声が海外にあったが、あれはじつはバカにされていたのだ。何もしなければ「原発賛成」にカウントされてしまう。高円寺で、デモのノウハウがあってよかった。ふだんからデモを行う人間関係ができていたから大規模なデモが可能になった。普段からそういう取組があれば原発は建設できない。」
松本哉(はじめ):ずっとデモをやり続けてきた。何もネタがないときは「お母さんを大切にしよう」デモもやったし、「JRで100円のトイレットペーパーを売るの反対!」というバカバカしいデモもやった。
今日は「市民による脱原発宣言」だ。これは完全に「一揆」だと思った。
雨宮:福島でタクシーに乗ったとき、「1人10万、4人家族なら40万。そのカネでパチンコに行き酒を飲んでいる。楽して得している」という個人的な妬みの声を聴いた。分断の方向に行くのでなく、一度ガツンとやって「ヤベェ」と思わせよう! そうしないとヤツら、ビビラない。黙っていると「(原発)容認」にカウントされる。これは危ない。行動しまくらないと仕方ない。
◎リレートーク
10歳、7歳、2歳の3人の子の母であるTさん(保育園を考える親の会)「2週間前から保育園での空間線量測定が始まった。今後は線量測定と給食の仕組み、たとえば旬の野菜の線量を測定するというように、うまくつなぐ方法に取り組みたい。子どもに負の遺産を残さないようにという思いでやっている」と述べた。
子どもたちの未来と自然エネルギーを考える八王子市民講座のHさんは「昨年5月の第1回講座を皮切りに6回市民講座を開催した。また4月から1回1000円の格安な市民放射能測定室を設置した。春休みには福島の子どもを招いて保養をやった。夏休みにもふたたび実施する予定だ。5月には脱原発市民宣言を採択し、エネルギーシフトをしていこうと話している。つい最近「シェーナウの想い」というドキュメンタリー映画をみた。これはドイツの市民が自分たちで電力会社をつくった話だった。八王子でもがんばっているので、ぜひ連帯して頑張っていきましょう」とスピーチした。
第一原発から8キロの富岡町出身で現在水戸の避難中のKさんは、経産省や首相官邸前でアピールしている。仕事の都合で4人家族はバラバラに暮らしている。5月30日の深夜、東海村から14台の車が核燃料を柏崎に運ぶため出発した。わたしたちは阻止はできなかったが監視をした。国も役人も悪いが、しかし一番悪いのは電力会社だ。情けないのはマスコミ、報道だ。
最後に、今日のメインイベントである「宣言」の朗読と採択があった。
◎宣言朗読 中里雅子さん (元テレビ朝日アナウンサー 杉並区在住)
http://uzomuzo.com/event/2013/
『多面体F』より(2012年06月12日 集会報告)
http://blog.goo.ne.jp/polyhedron-f/e/74252c79d9121738dd92b3bdb0fd9a47
集会は加藤登紀子さんの独唱から始まった。加藤さんの娘さんは杉並に住んでいたそうだ。
◎加藤登紀子さん 独唱「貝殻のうた」
原発事故で大変な人と大変でない人がいる。その温度差は大きい。この温度差を乗り越え、どうつながりをつくるかが課題だ。こんな大変な時期に原発再稼働をいうなんでいったいどういうことかと思う。
加藤さんは、昨年4月25日福島在住の詩人和合亮一さんが作詞した「貝殻のうた」を歌った。
この星より重たい命、命のはかなさを知って泣いているあなた、(どんな歌かはこのサイトで聞くことができる。加藤さんの声ではないけれど。ソプラノ・見角悠代さん、ピアノ伴奏は作曲者・伊藤康英さんご本人)
わたしもともに泣きましょう。 あなた、あなた、大切なあなた
http://www.youtube.com/watch?v=aXd0MsVVdRw
◎開会あいさつ 熊谷博子さん(呼びかけ人代表)
熊谷さんは「三池 終わらない炭鉱(やま) の物語」で有名になった映画監督だ。わたしも3-4年前にポレポレ東中野でみた。巨大なホッパーが印象に残っている。熊谷さんは杉並在住で、本日の集会の呼びかけ人の一人だ。
熊谷さんは昨年6月、はじめて福島市に入った。その日はお母さんたちがはじめてデモをした日だった。雨が降っていた。
わたしはアフガニスタンなどに取材に入ったし修羅場は慣れている。しかし、戦場とは別の恐怖を味わった。そしてお母さんたちの放射線への深い恐怖感が伝わってきた。
以前、中性子爆弾の映画をつくったとき、自分の血液を放射線にさらすと染色体がズタズタになった。杉並は58年前、第5福竜丸事件を契機に原水爆禁止の署名活動が始まった土地だが、ここから何か起こせる気がする。
◎基調講演 原発社会の犠牲者たち 鎌田慧さん
日本の原子力政策は1950年代以来ずっと「ウソとカネと脅し」が中心だった。
原発の大量建設が始まった70年代には石油危機が叫ばれた。しかし40年たっても石油は枯渇しない。フィクションだった。50基の原発が停止しても何の不自由もない。「原発がないと生きていけない」というのはウソでありフィクションである。国民がこれだけ反対しても、なお稼働させようという理由は「カネが回らない」からだ。
六ヶ所村のような大規模開発、大量生産、大量消費、大量発電の時代は終わった。いまは、身の丈に合った生活に切り替えるちょうど転換点にさしかかっている。能登半島の珠洲市では反対運動の結果93年に建設計画を中止した。当時原発は地域発展の起爆剤といわれた。そして御用学者、評論家、作家が総動員され、「原発をつくれないと国民の1/4が死んでしまう」と説得した。
原発の立地は必ず貧しい過疎地だ。
東京電力は11面もあるサッカー場・Jヴィレッジを130億かけて福島県楢葉町に造営し、97年に完成し県に寄付した。
使用済み核燃料の中間処理施設を建設中のむつ市の市庁舎はもとはダイエーの店舗で、東京電力からの13億の寄付金で賄った。
大間のあさこハウスの故・熊谷さんは「畑と海があれば人間食っていける」と言っていた。海と畑を農民から奪うのが原発だ。
7月16日「さようなら原発10万人集会」を代々木公園で開催する。多くの人に参加していただきたい。
◎対談 未来を決めるバトル「原子力ムラvs有象無象」 雨宮処凛さん・松本哉さん
雨宮処凛:高円寺の原発反対デモには昨年4月と今年5月の2回参加した。5月のときは、わたしはウェディングドレス、松本さんは紋付き袴でオープンカーに乗った。まるで結婚披露の祝賀パレードのようだった。
わたしは原発のことはあまり知らなかったが、高円寺・素人の乱のデモをみて、一部な特殊な人のスタンスではなく、「無知でもデモをやっていいんだ」と気づいた。日本のような加害の国でデモすら起きなければ「当事者は何を考えているんだ!」ということになる。これがドイツ、イタリアなら100万人単位のデモが起こっていた。
震災当時「日本人は冷静だ」という声が海外にあったが、あれはじつはバカにされていたのだ。何もしなければ「原発賛成」にカウントされてしまう。高円寺で、デモのノウハウがあってよかった。ふだんからデモを行う人間関係ができていたから大規模なデモが可能になった。普段からそういう取組があれば原発は建設できない。」
松本哉(はじめ):ずっとデモをやり続けてきた。何もネタがないときは「お母さんを大切にしよう」デモもやったし、「JRで100円のトイレットペーパーを売るの反対!」というバカバカしいデモもやった。
今日は「市民による脱原発宣言」だ。これは完全に「一揆」だと思った。
雨宮:福島でタクシーに乗ったとき、「1人10万、4人家族なら40万。そのカネでパチンコに行き酒を飲んでいる。楽して得している」という個人的な妬みの声を聴いた。分断の方向に行くのでなく、一度ガツンとやって「ヤベェ」と思わせよう! そうしないとヤツら、ビビラない。黙っていると「(原発)容認」にカウントされる。これは危ない。行動しまくらないと仕方ない。
◎リレートーク
10歳、7歳、2歳の3人の子の母であるTさん(保育園を考える親の会)「2週間前から保育園での空間線量測定が始まった。今後は線量測定と給食の仕組み、たとえば旬の野菜の線量を測定するというように、うまくつなぐ方法に取り組みたい。子どもに負の遺産を残さないようにという思いでやっている」と述べた。
子どもたちの未来と自然エネルギーを考える八王子市民講座のHさんは「昨年5月の第1回講座を皮切りに6回市民講座を開催した。また4月から1回1000円の格安な市民放射能測定室を設置した。春休みには福島の子どもを招いて保養をやった。夏休みにもふたたび実施する予定だ。5月には脱原発市民宣言を採択し、エネルギーシフトをしていこうと話している。つい最近「シェーナウの想い」というドキュメンタリー映画をみた。これはドイツの市民が自分たちで電力会社をつくった話だった。八王子でもがんばっているので、ぜひ連帯して頑張っていきましょう」とスピーチした。
第一原発から8キロの富岡町出身で現在水戸の避難中のKさんは、経産省や首相官邸前でアピールしている。仕事の都合で4人家族はバラバラに暮らしている。5月30日の深夜、東海村から14台の車が核燃料を柏崎に運ぶため出発した。わたしたちは阻止はできなかったが監視をした。国も役人も悪いが、しかし一番悪いのは電力会社だ。情けないのはマスコミ、報道だ。
最後に、今日のメインイベントである「宣言」の朗読と採択があった。
◎宣言朗読 中里雅子さん (元テレビ朝日アナウンサー 杉並区在住)
1 現在停止している、すべての原発の再稼働には反対します。(全文はかなり長いが、このサイトで聞くことができる。またこの日のイベント全体も、このサイトでみることができる)
2 原発の新・増設を中止し、すべての原発を廃炉にすることを求めます。
3 電気に頼り過ぎていた暮らしを見直し、安全で再生可能なエネルギーを中心にした政策への転換を求めます。
http://uzomuzo.com/event/2013/
『多面体F』より(2012年06月12日 集会報告)
http://blog.goo.ne.jp/polyhedron-f/e/74252c79d9121738dd92b3bdb0fd9a47
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