◆ 「神勅主義」に基づく「国のかたち」を受け入れることはできない
-「生前退位」に伴う儀式めぐって- (教科書ネット)
◆ 「生前退位」
一昨年(2016年)7月13日のNHK午後7時のニュース及び8月8日の午後3時に一斉に放映された「象徴としてのお務めについての天皇陛下の御言葉」と題するビデオメッセージに端を発した天皇の「生前退位」問題は、翌年(2017年)6月9日に「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」(以下「特例法」と略)が国会を通過することによって一応の決着を見た。
近代以降、天皇の交替(以下「代替わり」と略)はその絶対性を高めるために唯一、前天皇の死去を前提とし、戦後の皇室典範も第4条で「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」とそれを受け継いでいたが、この「特例法」は、この4条の特例として「生前の退位」による「代替わり」を認めようとするものであった。
◆ 開かれた議論が行なわれなかった「平成の代替わり」儀式
「特例法」に基づき、17年12月1日安倍首相を議長とする皇室会議が開かれ、退位の日(法律の施行日)を来年2019年4月30日とすることがまとめられ、閣議決定を経てそれが公布された。
これに伴い2019年4月30日に現天皇の退位、5月1日に新天皇(現皇太子)の即位と改元(平成に代わる新しい元号になる)が行なわれることになった。
そして、この退位と即位の式典・儀式をどのように行うのかを検討する「天皇陛下の退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典準備委員会」(委員長 菅義偉内閣官房長官、以下「準備委員会」と略)が2018年1月9日に設置され、初会合も行われた。
この初会合で重要な発言があった。それは、1989年に行われた昭和天皇の死去に伴う現明仁天皇への「代替わり」(以下「平成の代替わり」と略)に伴って行なわれた式典・儀式は「現憲法下において十分な検討が行われた上で挙行されたものであるから、今回の式典においても基本的な考え方や内容は踏襲されるべきである」と来るべき全体の式典・儀式の枠組みを決めるような発言である。
これを受けて、マスコミは新天皇の即位にあたっても「平成の代替わり」と同じ様に「剣璽等承継の儀」や「即位後朝見の儀」等があたかも国事行為として当然の如く行なわれるかのような報道を行なった。
しかし、これは事実と異なる。昭和天皇が重態になり「代替わり」が予測された時、野党議員が「儀式」の具体的内容について説明を求めたのに対し「こういう時期なので、ひたすらご回復を祈っている段階でありレクチュアは勘弁してほしい」(88年9月26日)、「具体的内容につきましては、現在お答えのできる段階ではございません」(衆院決算委員会、小渕官房長官答弁、88年11月8日)と答弁を拒否していた。
そして翌年1月7日、昭和天皇が死去(午前6時33分)して「剣璽等承継の儀」(午前10時)が行なわれる直前の閣議において、初めてこの二つの儀式が国事行為として行われることが明らかにされたのである。
◆ 「剣璽等承継の儀」とはどのような儀式か
紙数の関係からここでは「代替わり」儀式に伴う多くの式典・儀式の内、「剣璽等継承の儀」に絞って論述していくが、今マスコミではこの儀式に女性皇族も陪席するのか、また参列者に女性が含まれるのかどうかが議論されている。
それはそれとして大事なことであるが、より問題なのはこの儀式が「平成の代替わり」儀式にならって天皇の国事行為、国家的行事として行われようとしていることである。
一般に国王を含め元首等の即位・就任儀礼は、当該国家の国家理念(「国のかたち」)を目に見える形で現わすものであるとされている。
明治維新によって成立した絶対主義的、神権的天皇を抱く近代国家の理念(「国のかたち」)は、天皇家の祖先神・天照大神から授かったとされる「天壌無窮の神勅」に集約される。
それは日本が神国であり、そこを統治するのは天照大神の子孫である万世一系の天皇家だけであり、そうした国体をもった天皇家と大日本国は天と地が交わることなく永遠に続くように不滅である、というものである。
そして、この神勅を「物(レガリァ)」として現す、皇位の象徴とされたのが、これも天照大神から授かった「三種の神器」といわれる「鏡」と「剣」と「璽(玉)」である。
「鏡」は伊勢神宮及び宮中三殿の賢所に祀られ、「剣」と「璽」は常時天皇の側に置かれている。
「代替わり」にあたって、この「剣」と「璽」が前天皇から新天皇へ移される。この儀式が「剣璽渡御の儀」といわれる儀式であった。
戦前の即位儀礼を規定した「登極令」(及び詳細な次第を定めた「附式」)はこの「神勅主義」ともいわれるこうした理念に基づいて、それを可視化するためにつくられたものである。
そして、当然のことながら「剣璽渡御の儀」もこの登極令に規定されていた。
「平成の代替わり」ではこの「剣」と「璽」に「国璽」(大日本国璽)、「御璽」(天皇御璽)を加えて「剣璽等承継の儀」とされたが本質はなんら変わるものではない。
先に見たように、天皇の「代替わり」儀式は当該国家の理念(「国のかたち」)を表現するものである。1945年の敗戦によって成立した現在の国家は、戦前の「神勅主義」に基づく国家ではない。
天皇の「人間宣言」や日本国憲法に規定されている如く、天皇の神格化は否定され、国民主権や政教分離規定に制約された天皇である。戦前と異なる新しい「国のかたち」が出来上がっているのである。
従って「代替わり」に伴う儀式を検討する場合、こうした憲法原則・「国のかたち」に適合したもの、特にそれを天皇の国事行為、国家的儀式として行う場合には特に、そうしたものに適合したものでなければならない。
「剣璽等承継の儀」を国事行為として行う余地は全くないのである。
◆ 戦前の「国のかたち」が克服されていない
そもそも、今回の天皇の「生前退位」は国民主権下の象徴天皇制にふさわしく、国会の議論を通じて可能となったものである。それだけに、それに伴う大嘗祭等の多くの式典・儀式も一つ一つ、国会でしっかり議論することが求められている。
「準備委員会」は3月中旬をめどに基本方針の取りまとめを行うべく、すでに有識者からの意見聴取を始めているし、神社界も「平成の代替わり」儀式より、今回の儀式をさらに戦前の登極令、「神勅主義」に基づいたものに近づけようと精力的な活動を行っている。
「準備委員会」を中心的に構成する菅官房長官や二人の官房副長官は日本会議のメンバーでもある。
私たちが日々格闘している、教科書問題や教育勅語の問題、さらには明治維新150年問題、こうしたことが執拗に私たちの前に次々に現れるのは、日本社会の中でこの「神勅主義」に基づく戦前の「国のかたち」が十分に克服されていないからである。
その意味でも私たち自身がこの問題に対してしっかりと関心を持ち、正しい情報を発信していかなければならないと思う。
(なかじまみちお)
『子どもと教科書全国ネット21ニュース 118号』(2018.2)
-「生前退位」に伴う儀式めぐって- (教科書ネット)
中島三千男(神奈川大学名誉教授)
◆ 「生前退位」
一昨年(2016年)7月13日のNHK午後7時のニュース及び8月8日の午後3時に一斉に放映された「象徴としてのお務めについての天皇陛下の御言葉」と題するビデオメッセージに端を発した天皇の「生前退位」問題は、翌年(2017年)6月9日に「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」(以下「特例法」と略)が国会を通過することによって一応の決着を見た。
近代以降、天皇の交替(以下「代替わり」と略)はその絶対性を高めるために唯一、前天皇の死去を前提とし、戦後の皇室典範も第4条で「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」とそれを受け継いでいたが、この「特例法」は、この4条の特例として「生前の退位」による「代替わり」を認めようとするものであった。
◆ 開かれた議論が行なわれなかった「平成の代替わり」儀式
「特例法」に基づき、17年12月1日安倍首相を議長とする皇室会議が開かれ、退位の日(法律の施行日)を来年2019年4月30日とすることがまとめられ、閣議決定を経てそれが公布された。
これに伴い2019年4月30日に現天皇の退位、5月1日に新天皇(現皇太子)の即位と改元(平成に代わる新しい元号になる)が行なわれることになった。
そして、この退位と即位の式典・儀式をどのように行うのかを検討する「天皇陛下の退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典準備委員会」(委員長 菅義偉内閣官房長官、以下「準備委員会」と略)が2018年1月9日に設置され、初会合も行われた。
この初会合で重要な発言があった。それは、1989年に行われた昭和天皇の死去に伴う現明仁天皇への「代替わり」(以下「平成の代替わり」と略)に伴って行なわれた式典・儀式は「現憲法下において十分な検討が行われた上で挙行されたものであるから、今回の式典においても基本的な考え方や内容は踏襲されるべきである」と来るべき全体の式典・儀式の枠組みを決めるような発言である。
これを受けて、マスコミは新天皇の即位にあたっても「平成の代替わり」と同じ様に「剣璽等承継の儀」や「即位後朝見の儀」等があたかも国事行為として当然の如く行なわれるかのような報道を行なった。
しかし、これは事実と異なる。昭和天皇が重態になり「代替わり」が予測された時、野党議員が「儀式」の具体的内容について説明を求めたのに対し「こういう時期なので、ひたすらご回復を祈っている段階でありレクチュアは勘弁してほしい」(88年9月26日)、「具体的内容につきましては、現在お答えのできる段階ではございません」(衆院決算委員会、小渕官房長官答弁、88年11月8日)と答弁を拒否していた。
そして翌年1月7日、昭和天皇が死去(午前6時33分)して「剣璽等承継の儀」(午前10時)が行なわれる直前の閣議において、初めてこの二つの儀式が国事行為として行われることが明らかにされたのである。
◆ 「剣璽等承継の儀」とはどのような儀式か
紙数の関係からここでは「代替わり」儀式に伴う多くの式典・儀式の内、「剣璽等継承の儀」に絞って論述していくが、今マスコミではこの儀式に女性皇族も陪席するのか、また参列者に女性が含まれるのかどうかが議論されている。
それはそれとして大事なことであるが、より問題なのはこの儀式が「平成の代替わり」儀式にならって天皇の国事行為、国家的行事として行われようとしていることである。
一般に国王を含め元首等の即位・就任儀礼は、当該国家の国家理念(「国のかたち」)を目に見える形で現わすものであるとされている。
明治維新によって成立した絶対主義的、神権的天皇を抱く近代国家の理念(「国のかたち」)は、天皇家の祖先神・天照大神から授かったとされる「天壌無窮の神勅」に集約される。
それは日本が神国であり、そこを統治するのは天照大神の子孫である万世一系の天皇家だけであり、そうした国体をもった天皇家と大日本国は天と地が交わることなく永遠に続くように不滅である、というものである。
そして、この神勅を「物(レガリァ)」として現す、皇位の象徴とされたのが、これも天照大神から授かった「三種の神器」といわれる「鏡」と「剣」と「璽(玉)」である。
「鏡」は伊勢神宮及び宮中三殿の賢所に祀られ、「剣」と「璽」は常時天皇の側に置かれている。
「代替わり」にあたって、この「剣」と「璽」が前天皇から新天皇へ移される。この儀式が「剣璽渡御の儀」といわれる儀式であった。
戦前の即位儀礼を規定した「登極令」(及び詳細な次第を定めた「附式」)はこの「神勅主義」ともいわれるこうした理念に基づいて、それを可視化するためにつくられたものである。
そして、当然のことながら「剣璽渡御の儀」もこの登極令に規定されていた。
「平成の代替わり」ではこの「剣」と「璽」に「国璽」(大日本国璽)、「御璽」(天皇御璽)を加えて「剣璽等承継の儀」とされたが本質はなんら変わるものではない。
先に見たように、天皇の「代替わり」儀式は当該国家の理念(「国のかたち」)を表現するものである。1945年の敗戦によって成立した現在の国家は、戦前の「神勅主義」に基づく国家ではない。
天皇の「人間宣言」や日本国憲法に規定されている如く、天皇の神格化は否定され、国民主権や政教分離規定に制約された天皇である。戦前と異なる新しい「国のかたち」が出来上がっているのである。
従って「代替わり」に伴う儀式を検討する場合、こうした憲法原則・「国のかたち」に適合したもの、特にそれを天皇の国事行為、国家的儀式として行う場合には特に、そうしたものに適合したものでなければならない。
「剣璽等承継の儀」を国事行為として行う余地は全くないのである。
◆ 戦前の「国のかたち」が克服されていない
そもそも、今回の天皇の「生前退位」は国民主権下の象徴天皇制にふさわしく、国会の議論を通じて可能となったものである。それだけに、それに伴う大嘗祭等の多くの式典・儀式も一つ一つ、国会でしっかり議論することが求められている。
「準備委員会」は3月中旬をめどに基本方針の取りまとめを行うべく、すでに有識者からの意見聴取を始めているし、神社界も「平成の代替わり」儀式より、今回の儀式をさらに戦前の登極令、「神勅主義」に基づいたものに近づけようと精力的な活動を行っている。
「準備委員会」を中心的に構成する菅官房長官や二人の官房副長官は日本会議のメンバーでもある。
私たちが日々格闘している、教科書問題や教育勅語の問題、さらには明治維新150年問題、こうしたことが執拗に私たちの前に次々に現れるのは、日本社会の中でこの「神勅主義」に基づく戦前の「国のかたち」が十分に克服されていないからである。
その意味でも私たち自身がこの問題に対してしっかりと関心を持ち、正しい情報を発信していかなければならないと思う。
(なかじまみちお)
『子どもと教科書全国ネット21ニュース 118号』(2018.2)
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