《尾形修一の紫陽花(あじさい)通信から》
◆ 今こそ「生存権」を確認し、「防衛」の意味を考える
(保健所数の推移=「行政改革」で27年で半減)
新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、安倍首相が4月7日(火)に「緊急事態宣言」を発した。ところが、その後様々な事業に対する休業要請が遅れた。政府と東京都の調整が遅れたとかで、ようやく10日になって発表された。
これには多くの人が疑問を持っただろうが、特に早期に休業を決めた百貨店について、経産省が大手4社のトップを呼んで非難したというのには呆れてしまった。政府は「デパ地下」を開けて欲しかったらしいが、それは霞が関の官僚の都合なんだろうか。
デパ地下が開いてれば便利かもしれないが、都心に多くの従業員や業者が行き来しなければならない。
当然のこととして「休業要請」と「補償」はセットで発表されると思っていたら、それも違った。国家的な制度は作らないらしい。
要請するのは都道府県知事だから、国は放っておくのだろうか。
東京都はそれでも補償措置を作ったが、麻生財務相など「東京は金があるから」などと高みの見物である。日本という国家はどうなっているんだろうか。
補償なくては生きるために店を開けなければならないという人も出てくるだろう。当然考えてあるだろうことが、全然詰められていないのだ。
そんな中で多くの自営業者の悲鳴があがっている。多くの店がつぶれかねない。
音楽、演劇、落語などの関係者、ライブハウスやミニシアターなども長引く「自粛」に困り果てている。そうしたら、夜の外出自粛要請で「接待を伴う」仕事も大変だそうで、「風俗業界」で働く女性が困っているという。子どもがいるシングルマザーはもともと貧困を強いられ大変なことが多い。
他に働ける場も少なく、学校も休校になる中で困るだろうが、「休業補償」というとその業態を保護するのかと批判もある。
このような事態を考えるとき、今こそ「日本国憲法第25条」の条文を思い出すべきではないか。
ここで言われているのは、仕事内容や「損害額」に関わらず「健康で文化的な最低限度の生活」が保証されるということだ。
そのため「生活保護」という制度があるわけだが、今回は病気や障害で働けないわけではない。働く場も働く気もあったのに、突然のウイルス蔓延で職場を臨時的に閉じている。この臨時的突発事態に対しては、頭を柔らかくして臨時的な措置を講じるべきだ。
憲法25条には「第2項」もある。今まであまり強調されなかったと思う。
戦争直後のまだ衛生状態が悪いときには意味があったかもしれないが、現代日本ではほとんど意味がないように思っていた。それは間違いだった。
今もまだ、今後もずっと「公衆衛生の向上及び増進」は社会福祉、社会保障と同様に重視していかないといけないのだった。
「全国保健所長会」のホームページを見ると、保健所数の推移は上のグラフのようになっている。
そのグラフで判る限りのデータで言えば、1992年度には852か所の保健所があった。2019年度には472か所に激減しているのである。
大規模な自治体合併などもあったが、要するに「行政改革」「公務員削減」の名の下に減らされていったのだ。
その間、「防衛費」は増え続けて生きた。
「イージスアショア」(陸上配備型ミサイル迎撃システム)などそもそも「日本を守る」ためのものではない。
真に「日本を守る」ことに税金を使うため、大胆に「不要不急」の防衛費の削減が必要だ。
アメリカ製兵器に巨額を支払うのはまさに「不急」ではないのか。
『尾形修一の紫陽花(あじさい)通信』(2020年04月13日)
https://blog.goo.ne.jp/kurukuru2180/e/a8184ec66ab1a64afb822f8f18194dbe
◆ 今こそ「生存権」を確認し、「防衛」の意味を考える
(保健所数の推移=「行政改革」で27年で半減)
新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、安倍首相が4月7日(火)に「緊急事態宣言」を発した。ところが、その後様々な事業に対する休業要請が遅れた。政府と東京都の調整が遅れたとかで、ようやく10日になって発表された。
これには多くの人が疑問を持っただろうが、特に早期に休業を決めた百貨店について、経産省が大手4社のトップを呼んで非難したというのには呆れてしまった。政府は「デパ地下」を開けて欲しかったらしいが、それは霞が関の官僚の都合なんだろうか。
デパ地下が開いてれば便利かもしれないが、都心に多くの従業員や業者が行き来しなければならない。
当然のこととして「休業要請」と「補償」はセットで発表されると思っていたら、それも違った。国家的な制度は作らないらしい。
要請するのは都道府県知事だから、国は放っておくのだろうか。
東京都はそれでも補償措置を作ったが、麻生財務相など「東京は金があるから」などと高みの見物である。日本という国家はどうなっているんだろうか。
補償なくては生きるために店を開けなければならないという人も出てくるだろう。当然考えてあるだろうことが、全然詰められていないのだ。
そんな中で多くの自営業者の悲鳴があがっている。多くの店がつぶれかねない。
音楽、演劇、落語などの関係者、ライブハウスやミニシアターなども長引く「自粛」に困り果てている。そうしたら、夜の外出自粛要請で「接待を伴う」仕事も大変だそうで、「風俗業界」で働く女性が困っているという。子どもがいるシングルマザーはもともと貧困を強いられ大変なことが多い。
他に働ける場も少なく、学校も休校になる中で困るだろうが、「休業補償」というとその業態を保護するのかと批判もある。
このような事態を考えるとき、今こそ「日本国憲法第25条」の条文を思い出すべきではないか。
第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。この条項でうたわれた権利を「生存権」と呼んでいる。どのような人であれ、すべて「生存権」を有しているという規定である。
ここで言われているのは、仕事内容や「損害額」に関わらず「健康で文化的な最低限度の生活」が保証されるということだ。
そのため「生活保護」という制度があるわけだが、今回は病気や障害で働けないわけではない。働く場も働く気もあったのに、突然のウイルス蔓延で職場を臨時的に閉じている。この臨時的突発事態に対しては、頭を柔らかくして臨時的な措置を講じるべきだ。
憲法25条には「第2項」もある。今まであまり強調されなかったと思う。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。「社会福祉」と「社会保障」は、覚えてないかもしれないが中学社会科(公民的分野)や高校の現代社会などで触れられている。今までそこは一応授業でも触れていたかと思うんだけど、「公衆衛生」は意識しなかった。
戦争直後のまだ衛生状態が悪いときには意味があったかもしれないが、現代日本ではほとんど意味がないように思っていた。それは間違いだった。
今もまだ、今後もずっと「公衆衛生の向上及び増進」は社会福祉、社会保障と同様に重視していかないといけないのだった。
「全国保健所長会」のホームページを見ると、保健所数の推移は上のグラフのようになっている。
そのグラフで判る限りのデータで言えば、1992年度には852か所の保健所があった。2019年度には472か所に激減しているのである。
大規模な自治体合併などもあったが、要するに「行政改革」「公務員削減」の名の下に減らされていったのだ。
その間、「防衛費」は増え続けて生きた。
「イージスアショア」(陸上配備型ミサイル迎撃システム)などそもそも「日本を守る」ためのものではない。
真に「日本を守る」ことに税金を使うため、大胆に「不要不急」の防衛費の削減が必要だ。
アメリカ製兵器に巨額を支払うのはまさに「不急」ではないのか。
『尾形修一の紫陽花(あじさい)通信』(2020年04月13日)
https://blog.goo.ne.jp/kurukuru2180/e/a8184ec66ab1a64afb822f8f18194dbe
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