◆ 東京「君が代」裁判5次訴訟 提訴しました (『リベルテ』より)
東京「君が代」訴訟弁護団事務局長 弁護士 平松真二郎
1 はじめに
東京「日の丸・君が代」処分取消訴訟原告団15名は、2021年3月31日、東京都教育委員会を被告として、原告らに対する懲戒処分26件の取消を求めて、東京地方裁判所に提訴しました。
今回の5次訴訟では、2014年から2017年までに科された10・23通達に基づく毎年の卒入学式での起立斉唱命令違反を理由とする懲戒処分を科された者(5名10件)とあわせて、
2次訴訟、3次訴訟、4次訴訟で減給処分が取り消す判決が確定したのち、改めて2005年3月卒業式から2013年4月入学式までの間の起立斉唱命令違反を理由とする戒告処分(再処分)が科された者(13名16件)の取消を求めています。
2 一次訴訟提訴のころ
ところで、一次訴訟が提訴されたのは2007年2月9日でした。私は、所属している法律家団体である自由法曹団通信に提訴報告を寄稿しています。
そこでは、私の恩師である中村睦男北海道大学教授が執筆に関わった憲法の概説書を振り返って、2003年4月に改訂された『憲法Ⅰ(第3版)』で『国旗・国歌法の制定と思想良心の自由』という項目が設けられ、10・23通達が出された後に改訂された『憲法Ⅰ(第4版)』(2006年3月発行)では、「『生徒に対して国旗掲揚・国歌斉唱を強制することは、生徒の思想・良心の自由を侵害するものと解される。これに対して、教師に対する義務の履行は、校長の職務命令によってなされるので、職務命令の内容が教師の思想・良心の自由を侵害しないかどうかが問題となる。』」として、いわゆるピアノ事件第1審判決が紹介されていることに触れ、
「恩師の概説書の次の改訂は2011年か2012年の春、執筆されている先生方の年齢を考えるとそれが最後の改訂になるのではないかと思います。」として、「その時には、『生徒に対して国旗掲揚・国歌斉唱を強制することは、生徒の思想・良心の自由を侵害するものと解される。そして、教師に対する職務命令による国歌斉唱時の起立の強制が、教師の思想・良心の自由を侵害するものであるかが争われた一連の訴訟において、教師に対する強制も教師の思想・良心の自由を侵害するものであり、憲法19条に違反すると判断されている』として日の丸君が代訴訟の到達点が示されるよう、弁護団の一員として精一杯の努力をしていきたいと思っています。」と意気込みを語っていました(読み返すとお恥ずかしい限りです)。
3 10・23通達をめぐる訴訟の現在の到達点
予想通り2012年春に改訂され『憲法Ⅰ(第5版)』が発行されました。そこでは国旗国歌の強制について「国歌斉唱の際の起立斉唱行為は国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為であることから、『日の丸』や『君が代』に対して敬意を表明することに応じ難いと考える者が、個人の世界観に由来する行動(敬意表明の拒否)と異なる外部的行動を求められる限りにおいて、その者の思想および良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定できない」とした2011年の一連の最高裁判決が紹介され、
「間接的制約の場合の合憲性審査基準として、一定の外部的行動をもとめる職務命令が個人の思想・良心の自由について及ぼす間接的な制約の態様との関係性の度合いに応じて、その外部的行動を命じる職務命令にその間接的な制約を許容し得る程度の必要性および合理性が認められるか否かという較量の観点から当該職務命令の合憲性を判断するという、『相関的・総合的な比較衡量』の判断枠組みが採用されたものと解されている」として、10・23通達をめぐる一連の訴訟の到達点が示されるようになりました。
懲戒処分の取消を求めた一次訴訟の最高裁判決は2012年1月16日ですから、上記の第5版の改訂では触れられていません。
東京「君が代」裁判四次訴訟までを通じて、10・23通達とそれに基づく各校長の起立斉唱命令は、「国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為」であるとして個人の思想良心の自由に対する間接的な制約となるとの判断が示され、懲戒処分については、「減給以上の処分を選択することの相当性を基礎づける具体的な事情」が必要であるとされ、過去の不起立を理由とする処分歴が相当性を基礎づける具体的な事情に当たらないとして、都教委が行ってきた「累積加重処分」を断罪し、減給以上の処分がすべて取り消されてきました。
4 戒告処分の取消を実現させるためにCEART勧告をどう生かすか
2019年、ILO/UNESCO合同委員会から、式典で明らかな混乱をもたらさない場合にまで国歌の起立斉唱行為のような愛国的な行為を「強制」することは、個人の価値観や意見を侵害するとの勧告がだされています。
すなわち、人権保障の国際水準、もしくは国際社会が考える民主主義社会のあるべき姿からすれば、教職員に対する卒業式等の儀式的行事において国歌の起立斉唱命令が発出されていても、それを静かに拒否することは、市民的権利として保障され、「不服従の行為」に対して懲戒処分を科すことは許されないことが明らかにされています。
この勧告で示された人権保障の国際水準を裁判所の司法判断の根底に据えさせることができれば戒告を含めたすべての懲戒処分につながる判断となることが期待できます。
CEART勧告が示した国際水準からすれば、憲法19条の「間接的制約の場合の合憲性審査基準」としての『相関的・総合的な比較衡量』として、あらためて国歌斉唱命令の必要性がなく、合理性もないことを示すことができる、五次訴訟を闘ううえで重要な勧告であると考えています。
5 いま思想良心の自由の侵害をはね返すために
昨年10月17日に行われた故中曽根康弘内閣・自由民主党合同葬儀に際して、政府は、合同葬儀当日に各府省で弔旗掲揚と黙とうをするものとし、あわせて同様の方法により哀悼の意を表するよう各府省へ各公署に対する協力を要望し、要望を受けた文部科学省は各都道府県の教育委員会、国立大学法人や研究機関に対し、総務省は各都道府県・各市区町村に対し、最高裁判所は全国の裁判所に対し、それぞれ弔意表明を求める要望ないし協力依頼をする通知を出すに至っています。
協力依頼であっても職員に対しては職務として弔意表明するよう求めるものとなり、実質的な強制にわたることになりかねません。
故人に対する弔意については、それを示すかどうかも含めて憲法19条が定める内心の自由にかかわる問題であり、国家がそれを強制してはならないことは明らかです。
また、各学校に「弔旗掲揚と黙とう」の要望を伝えること自体、教育基本法14条2項が求める教育現場では政治的中立に反しているというほかありません。
これまでは、学校の入学式や卒業式での国歌の起立斉唱の強制にとどまっていました。しかし、いま、故人への弔意の表明を手始めとして、個人の思想・良心の自由への国家的介入は社会全体に広がろうとしています。
「今日の滴る細流がたちまち荒れ狂う激流となる」という箴言に倣えば、思想良心の自由に対する国家的介入は、いまや「滴る細流」の域を超え「荒れ狂う激流」とならんとしています。
いまこそ「思想・良心の自由」の侵害と「権力の教育内容への介入」を阻止しなければなりません。その闘いの最前線となる五次訴訟で原告の皆さんとともに奮闘したいと思っています。
東京・教育の自由裁判をすすめる会ニュース『リベルテ 第62号』(2021年4月30日)
東京「君が代」訴訟弁護団事務局長 弁護士 平松真二郎
1 はじめに
東京「日の丸・君が代」処分取消訴訟原告団15名は、2021年3月31日、東京都教育委員会を被告として、原告らに対する懲戒処分26件の取消を求めて、東京地方裁判所に提訴しました。
今回の5次訴訟では、2014年から2017年までに科された10・23通達に基づく毎年の卒入学式での起立斉唱命令違反を理由とする懲戒処分を科された者(5名10件)とあわせて、
2次訴訟、3次訴訟、4次訴訟で減給処分が取り消す判決が確定したのち、改めて2005年3月卒業式から2013年4月入学式までの間の起立斉唱命令違反を理由とする戒告処分(再処分)が科された者(13名16件)の取消を求めています。
2 一次訴訟提訴のころ
ところで、一次訴訟が提訴されたのは2007年2月9日でした。私は、所属している法律家団体である自由法曹団通信に提訴報告を寄稿しています。
そこでは、私の恩師である中村睦男北海道大学教授が執筆に関わった憲法の概説書を振り返って、2003年4月に改訂された『憲法Ⅰ(第3版)』で『国旗・国歌法の制定と思想良心の自由』という項目が設けられ、10・23通達が出された後に改訂された『憲法Ⅰ(第4版)』(2006年3月発行)では、「『生徒に対して国旗掲揚・国歌斉唱を強制することは、生徒の思想・良心の自由を侵害するものと解される。これに対して、教師に対する義務の履行は、校長の職務命令によってなされるので、職務命令の内容が教師の思想・良心の自由を侵害しないかどうかが問題となる。』」として、いわゆるピアノ事件第1審判決が紹介されていることに触れ、
「恩師の概説書の次の改訂は2011年か2012年の春、執筆されている先生方の年齢を考えるとそれが最後の改訂になるのではないかと思います。」として、「その時には、『生徒に対して国旗掲揚・国歌斉唱を強制することは、生徒の思想・良心の自由を侵害するものと解される。そして、教師に対する職務命令による国歌斉唱時の起立の強制が、教師の思想・良心の自由を侵害するものであるかが争われた一連の訴訟において、教師に対する強制も教師の思想・良心の自由を侵害するものであり、憲法19条に違反すると判断されている』として日の丸君が代訴訟の到達点が示されるよう、弁護団の一員として精一杯の努力をしていきたいと思っています。」と意気込みを語っていました(読み返すとお恥ずかしい限りです)。
3 10・23通達をめぐる訴訟の現在の到達点
予想通り2012年春に改訂され『憲法Ⅰ(第5版)』が発行されました。そこでは国旗国歌の強制について「国歌斉唱の際の起立斉唱行為は国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為であることから、『日の丸』や『君が代』に対して敬意を表明することに応じ難いと考える者が、個人の世界観に由来する行動(敬意表明の拒否)と異なる外部的行動を求められる限りにおいて、その者の思想および良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定できない」とした2011年の一連の最高裁判決が紹介され、
「間接的制約の場合の合憲性審査基準として、一定の外部的行動をもとめる職務命令が個人の思想・良心の自由について及ぼす間接的な制約の態様との関係性の度合いに応じて、その外部的行動を命じる職務命令にその間接的な制約を許容し得る程度の必要性および合理性が認められるか否かという較量の観点から当該職務命令の合憲性を判断するという、『相関的・総合的な比較衡量』の判断枠組みが採用されたものと解されている」として、10・23通達をめぐる一連の訴訟の到達点が示されるようになりました。
懲戒処分の取消を求めた一次訴訟の最高裁判決は2012年1月16日ですから、上記の第5版の改訂では触れられていません。
東京「君が代」裁判四次訴訟までを通じて、10・23通達とそれに基づく各校長の起立斉唱命令は、「国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為」であるとして個人の思想良心の自由に対する間接的な制約となるとの判断が示され、懲戒処分については、「減給以上の処分を選択することの相当性を基礎づける具体的な事情」が必要であるとされ、過去の不起立を理由とする処分歴が相当性を基礎づける具体的な事情に当たらないとして、都教委が行ってきた「累積加重処分」を断罪し、減給以上の処分がすべて取り消されてきました。
4 戒告処分の取消を実現させるためにCEART勧告をどう生かすか
2019年、ILO/UNESCO合同委員会から、式典で明らかな混乱をもたらさない場合にまで国歌の起立斉唱行為のような愛国的な行為を「強制」することは、個人の価値観や意見を侵害するとの勧告がだされています。
すなわち、人権保障の国際水準、もしくは国際社会が考える民主主義社会のあるべき姿からすれば、教職員に対する卒業式等の儀式的行事において国歌の起立斉唱命令が発出されていても、それを静かに拒否することは、市民的権利として保障され、「不服従の行為」に対して懲戒処分を科すことは許されないことが明らかにされています。
この勧告で示された人権保障の国際水準を裁判所の司法判断の根底に据えさせることができれば戒告を含めたすべての懲戒処分につながる判断となることが期待できます。
CEART勧告が示した国際水準からすれば、憲法19条の「間接的制約の場合の合憲性審査基準」としての『相関的・総合的な比較衡量』として、あらためて国歌斉唱命令の必要性がなく、合理性もないことを示すことができる、五次訴訟を闘ううえで重要な勧告であると考えています。
5 いま思想良心の自由の侵害をはね返すために
昨年10月17日に行われた故中曽根康弘内閣・自由民主党合同葬儀に際して、政府は、合同葬儀当日に各府省で弔旗掲揚と黙とうをするものとし、あわせて同様の方法により哀悼の意を表するよう各府省へ各公署に対する協力を要望し、要望を受けた文部科学省は各都道府県の教育委員会、国立大学法人や研究機関に対し、総務省は各都道府県・各市区町村に対し、最高裁判所は全国の裁判所に対し、それぞれ弔意表明を求める要望ないし協力依頼をする通知を出すに至っています。
協力依頼であっても職員に対しては職務として弔意表明するよう求めるものとなり、実質的な強制にわたることになりかねません。
故人に対する弔意については、それを示すかどうかも含めて憲法19条が定める内心の自由にかかわる問題であり、国家がそれを強制してはならないことは明らかです。
また、各学校に「弔旗掲揚と黙とう」の要望を伝えること自体、教育基本法14条2項が求める教育現場では政治的中立に反しているというほかありません。
これまでは、学校の入学式や卒業式での国歌の起立斉唱の強制にとどまっていました。しかし、いま、故人への弔意の表明を手始めとして、個人の思想・良心の自由への国家的介入は社会全体に広がろうとしています。
「今日の滴る細流がたちまち荒れ狂う激流となる」という箴言に倣えば、思想良心の自由に対する国家的介入は、いまや「滴る細流」の域を超え「荒れ狂う激流」とならんとしています。
いまこそ「思想・良心の自由」の侵害と「権力の教育内容への介入」を阻止しなければなりません。その闘いの最前線となる五次訴訟で原告の皆さんとともに奮闘したいと思っています。
東京・教育の自由裁判をすすめる会ニュース『リベルテ 第62号』(2021年4月30日)
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