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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

「解雇裁判」控訴審が結審

2009年09月20日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 ◎ 「解雇裁判」控訴審が結審
    控訴人四人、意見陳述


 七月一四日(火)一一時から東京高裁一〇一法廷において、「解雇裁判」第七回口頭弁論が開かれ、結審しました。宗宮裁判長が突然依願退職され、奥田隆文裁判長に交代しました。奥田裁判長にとっては、最初で最後の口頭弁論ということになります。
 ここでは、控訴人から、近藤光男、桐生早苗、太田淑子、平松辰雄の四氏が意見陳述を行い、控訴人側代理人からは、水口洋介弁護士、秋山直人弁護士が最終弁論を行いました。判決日は未定です
 なお、当初一時間予定されていた陳述・弁論時間が裁判所の要求で、四〇分になりました。また、この日、これまで傍聴抽選は二〇分前であったものが、裁判所側の都合で突然、不当にも三〇分前になりました。それにもかかわらず、一〇六名の方が傍聴抽選に並びました。わずかな差で抽選に間に合わなかった方を入れると一〇六名を超えていました。裁判終了後、弁護士会館で報告集会がもたれました。参加者は八〇名。
 ▼ 高裁に署名提出=累計二万一千七八九筆
 裁判に先立ち、世話人である丸山さんと平松さんは、高裁にこれまで集まった三次分の追加署名を提出しました。これで高裁への署名は終了します。ご協力有り難うございました。
 《陳述要旨》
 ▼ 近藤さん

 ● 戦争体験をとおして

 私は二歳にも満たない昭和二〇年七月六日、甲府において、B29の爆撃によって両足にケロイドが残る火傷を負った。これまで私はこの経験を生徒に話してきた。戦争のおろかさと悲惨さを体験した者は、それを語り継いでいく責任がある。
 ● 悲劇を再び繰り返さないためにも
 私の教科は保健体育、保健も体育もともに「命」を育む教育である。その体育のなかでも、主に柔道や空手など武道を中心に教えてきた。
 戦時中は、この武道は国策として必修化され、国に命を捧げる精神、忠君愛国と兵力としての強靱な肉体を養成することだけを目的としていた。
 これからの体育・武道は国や特定の団体のために利用されてはならず、人間らしく生きる力を養う手助けとなるものとして捉えていかなくてはならない。
 戦争は教室から始まる。教育が行政権力によって支配され、学校が命令と強制、服従の場になったとき、悲劇は再び繰り返されるのではないか。だからこそ、戦争に結びつくような強制を教育のなかに、意図的に持ち込むことを許すわけにはいかなかった。
 ● これまで一度も不起立したことはなかった
 私は、三一年間の教諭時代と六年間の教頭時代を通して、一度も不起立したことはなく、一番大きな声で歌ってきた。それは、戦争に利用された「日の丸・君が代」に責任があるのではなく、それらを利用した天阜を含む軍隊や政府にこそ責任があるからだ。そうした負の部分を意識しつつ、寛容の精神から歌い続けてきた。
 ● それがどうして教員生活最後の卒業式に、私はなぜ起立せず歌わなかったのだろうか。
 それは、一〇・二三通達は、命令と強制によって時代を逆戻りせるものだと感じたからだ。当時、一部の国会議員と都知事、そして一部都議らは憲法や教育基本法(旧)を破り、戦争のできる国をつくると堂々と公言し始めていた。これをおかしいと思うのは普通の感覚だ。
 教育にも行政にも、すぺての人間社会のなかに寛容の精神がなくてはならない。強制には寛容も何もない。
 ▼ 桐生さん
 ● 思想・信条に反して

 一〇・二三通達後の周年行事や二〇〇四年四月の入学式では、私は思想・信条に反して起立した。その入学式で、ひとりの保護者が身体を固くして、着席しているのを目撃。その姿を見て、私を含めて教職員全員の起立が、生徒や保護者に「立て!」と無言の圧力を加えていると改めて気づかされた。
 ● 生徒や保護者への強制を目の前にして
 〇五年二月、都教委は従来なかった新しい項目「学習指導要領に基づき適正に生徒を指導すること」と職務命令書に書き加えさせた。副校長は「生徒が多数起立しないならば、式を中断しても起立を促す。今年は私がやるが、来年から先生方にやってもらう。そのように副校長連絡会で都教委に指導されている」と説明した。起立しないと決めた生徒に、式典中に近寄って「立ちなさい」と言うことは指導でなく強制である。私はそのような強制に手を貸せないと考え、今回は起立・斉唱命令に従えないと決意した。
 ▼ 太田さん
 ● 二日前に解雇

 四月からの教材準備を始めていた二日前、「合格取消」の通知が届けられた。それにより老後の生活設計も大きく狂わされた。
 ● 教育は強制になじまない
 卒業生と一緒に練り上げられた卒業式は、多くの人に感動を与え、いつまでも心に残る。学校においては、自由に意見を出し合い、合意に達するまで時間をかけて十分に話し合い、物事をすすめることが必要。処分を背景にした強制ではうまく進まない。教職員が上司の顔色をうかがうようになったり、自分の意見を自由に言えなくなったのでは、生徒の多様性を認める教育活動はできない。
 ▼ 平松さん
 ● 嘱託員は貴重な仕事

 嘱託員としての仕事は、定年後の余生というものではなく、教師としての生き甲斐とやりがいを発揮でき、また実感できる貴重な仕事だった。
 ● たった一回で
 この合格取消は当時の校長すら「想定外だった」と証言しているほど、理不尽な措置だ。
 ● 損失の大きさ
 生活が困窮し、アルバイトをしなければ生活できない控訴人もいる。

 ▼ 報告集会から
 裁判終了後、弁護士会館で行われた報告集会では、水口弁護士から、「宗宮裁判長の交代は少なくとも六ヶ月前には決まっているはず。当初、宗宮裁判長も秋頃から結審を考えていたようだ。しかし、土肥校長の尋問を採用した時点で、それはなくなった。本来、奥田隆文裁判長に交代するにあたっては、更新弁論をやるのが普通だが、私たちはそれを要求しなかった」と述べ、その理由として①最終弁論(結審)に時間をとってもらえること、②弁論は尽くしていること、③これ以上裁判が長引くと他の裁判が先行する可能性があること、④また裁判が延びると、進行協議などの指揮をしてきた坂井主任裁判官の交代も考えられることをあげ、「この裁判体で判決をもらうのがベターであると判断した」と、結審に至った経緯を述べました。
 さらに、金弁護士、川口弁護上、澤藤弁護士、加藤弁護士、平松弁護士から「感動的な陳述だった。裁判長もよく聞いていた」との発言がありました。また、九人の控訴人から、これまでの支援への感謝やこれからの決意、抱負が述べられました。
 『「君が代・強制」解雇裁判通信』(第94号/2009年9月8日)

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