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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

住民は「顧客」ではなく住民自治の主体

2014年04月10日 | こども危機
  《安倍教育政策NO!3・21全国集会資料から》
 ◆ 教育長を置かなかった阿智村教委
岡庭一雄さん(阿智村前村長)の資料から

 阿智村は長野県の南に位置し6800人ぐらいの村です。住民が主体で活躍できる村づくりを、みなさんと一緒にがんばっています。この春、「満蒙開拓平和記念館」を開館いたしました。
 (略)

 ○教育委員会制度について
 先ごろ当選されたある市長さんが「住民は顧客である」と言われました。
 住民は顧客でしょうか。顧客であると言われていい気侍になっている住民が圧倒的に多い。そうしているうちに、住民自治は失われていくのです。
 私たちは行政の主体であり、主体をどうつくりあげていくかは、学習でしかない。それは社会教育の中でつくらなければならないが、今、長野県の社会教育は非常に厳しい状況におかれています。
 教員の評価を子どもと保護者がするということは、まさに「顧客」概念なのです。まさに、子ども、保護者をお客さんにしていくことです。
 子どもを育てるのは、教師と地域と保護者が、お互いに主体的な意職をもって協働してつくりあげるものであり、協働してつくりあげることに評価はなじまない。しかし、こういうところで教育の反動をすすめようとしています。
 教育委員会制度を変えようとしています。

 教育委員会はあてにならないという市長がいます。
 しかし教育委員を推薦しているのは首長なんです。自分が推薦して議会で議決を得た教育委員がカがなく頼りないということは、自分が頼りないと言っていることと同じだということに気づいていないのです。
 教育委員会制度は、公選制がなくなってから中途半端になっているとは思いますが、正しく機能させればしっかり機能できるしくみになっていると思います。
 実は私は教育長を4年間おかなかったのです。
 合議制の教育委員会を、専任の教育長が請け負った形になってしまい、うまくいってないのではないかと思ったからです。
 教育長をおかなかったら、教育委員長の権限が強くなり、合議制の教育委員会が復活してきた。
 教育委員がどんどん学校現場に行ったり、学力のない子どもたちを支援するために、教員を配置すべきだと私のところに要求を出してきました。
 制度の欠陥ではなく、運用の欠陥の問題です。

 憲法を活かしてきた戦後のいろいろな制度が、運用のしかたで疲労したり、なくなってしまえば、もっと悪いものが出てくるだろう。そういう点では教育委員会制度はしっかり守らなくてはならない。
 教職員の皆さんも、子どもや保護者はともに歴史をつくる主体者だという意識で対応してほしいと思います。
 私たちは、憲法を活かしきっていない。この時代こそ、憲法を活かす自治体、憲法を活かすくらし、憲法を活かす一人ひとりでなければならないと思います。
 ぜひ、満蒙開拓平和紀念館にお出でください。湯質のいい昼神温泉もありますので、ぜひお出でくださるようお願いいたします。
 【参考】
 教育子育て九条の会第6回全国交流集会(2013年12月1日、長野市)
 シンポジウム「安倍『改憲暴走政権』に対抗する教育の力」の資料


 ○ 満蒙開拓平和記憲館の開館

 戦争に突入していく昭和の初めから、農村更生運動として満州移民が計画され、関東軍の「満州農業移民百万戸送出計画」もあって、農家の二男・三男などが全国から国策移民として送り出され、終戦直後まですすめられました。
 ソ連が参戦し、開拓民は大変な苦難を受けてきたのですが、関東軍は「帰るな」といい、人々は川に入って子どもを殺したり、子どもと一緒に川に入って流されたり、あるいは、みんなで死のうと言って殺しあいをして亡くなったり、本当に悲惨な歴史があります。
 こういう悲惨な歴史を残していこうと、記念館がつくられました

 もう半年以上になりますが、全国から3万人以上の方が訪れています。つらい体験を語りたいという人々も、語れる場所ができたということで、来ておられます。
 満蒙開拓移民は全国で220,356人、そのうち長野県は、31,264人です。第2位の宮城県が10,180人ですから、いかに長野が多かったかということです。
 「満蒙開拓青少年義勇軍」も全国から101、514人、長野は6,595人でこれも全国一です。
 「長野県満州開拓史」の編集委員長を務められた上条宏之先生は、移民を多数送出した要因について、「経済的要因がとりあげられるが、それは決定的ではない。経済的要因なら、もっと苦しかった東北の山形や秋田のほうがもっと移民を送ったであろう」と言っておられます。
 長野は、養蚕が壊滅的状況になり、中山間地は大変苦しく、恐慌を受けて農村更生運動が移民にっながったことは事実ですが、「政治的な要因が働き、県として積極的に町村を誘導した。信濃教育会が昭和8年以降、先頭になって青少年義勇軍を送り出した」ということです。
 このことについては、信濃毎日新聞に、当時子どもを送り出した先生の手記が載っています。
 「教員赤化事件」をなんとか挽回して、国や軍部にいい顔をしたいという考えがあり、その反動で行っ起まさに、県や教育会が子どもたちを戦地におもむかせたのです。
 こういうことの反省にたって、記念館をつくろうという運動が民間主導で始まったのですが、国や県からの支援は受けられませんでした。
 しかし、阿部・現長野県知事が「県としての関与が大きかった。責任を負わなくてはならない」として支援を決断されました。こうして補助金を受けることができ民間の寄付金などをあわせて開館にいたったところです。
 ○ 憲法と地方自治

 憲法92条には「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基づいて、法律で之を定める」とあります。
 満蒙開拓は、県の強い誘導もありましたが、積極的にすすめたのは市町村です。市町村が移民の募集計画を立て、募集を行い、助成金まで出してすすめたのです。
 私どもの村は戦後、5ヵ村が一緒になりましたが、1059人もの開拓団員を送り出しました。なかでも清内路村は当時の住民の18%を送り出したのであります。そのうちの多くの方は帰ることができなかったのです。
 明治憲法下の地方自治は、国の施策を末端でおこなう機関でした。
 戦争にあたっては、
  ①召集業務、出征家族・戦死者援護、
  ②各種物資の生産、配給の統制、
  ③食糧・木炭・水産物の増産、米の供出、
  ④輸送力の増強、
  ⑤労務動員、
  ⑥防空、人員疎開の受け入れ、
  ⑦国民運動指導など、まさに市町村こそ戦争を支えてきたのです。

 この反省の上にたって現憲法では、新たに「地方の政治は地方に住む人々が自分の貴任で行う」としたのです。
 「地方自治がしっかり行われてはじめて、国の政治も民主的に発達することができる。民主政治とは国民の自治ということであり、国民が身近な地方団体の政治を自治的に担うことで、国全体の政治を自治的に行うことができる」という、民主主義の学校といわれているゆえんはここにあるわけです。
 地方自治の本旨は、「団体自治」と「住民自治」のことをいうとされています。
 団体自治とは、自治体の政治は国や他の自治体等に干渉されることなく、その地域の人々が決めたことによってすすめられなければならない、ということです。
 しかしこの団体自治は戦後守られてこなかった。強制的な市町村合併、道州制の問題など。今、自民党がすすめている、「国家安全基本法案」では、「地方公共団体は、国及び他の地方公共団体その他の機関と協力し、安全保障に関する施策に関し、必要な措置を実施する責務を負う」とされています。国の施策に従順に従いなさい、ということで、まさに戦争を下から支えるものに変えていこうということです。
 ○ 住民自治のふたつの役割

 住民自治とは、地域の政治はその地域に住む住民が自ら責任をもってすすめる、ということです。
 住民自治にはふたつの役割があると考えています。
 ひとつは、住民自治という手段を便って、地域を基本的人権が守り高められるところにしていくための「手段としての自治」であり、もうひとつは、自治の担い手として、住民が実際に地域の活動に参加し、自己の存在価値や自己実現を高めることによって、幸福を実感していくという幸福追求の「目的としての自治」があると考えます。
 これまでの地方自治では、ここが大事にされてこなかった。
 私たちの頭の中には、誰かが代って自分の要求を実現してくれればそれでよし、としてきたと思います。
 自らが社会的活動に主体的にかかわることで自分自身が自己実現を果たし、活動の中で人間的な発達を促し、そのことによって真の幸せを感じていくということがなくては、住民自治は逮成できないのではないかと考えています。
 ○ 阿智村における住民自治(新たな協働の発展)

 住民自治をすすめる組織として、「村つくり委員会」というのを設置してしています。
 行政組織ではなく、住民の自主的組織です。特定の政治活動、宗教活動、営利事業以外であればどんなことでも、行政の施策に反対の立場のものであっても、5人以上の住民が登録し、考えたり学習したり、あるいは実践することに対して、飲み食い以外の経費や人的支援を行うものです。
 「憲法を学ぶ会」として登録された村つくり委員会では、どのような立場の講師による学習会も支援の対象となり、公費で講師の費用は賄うことができます。先ほどお話のあった、小森先生をお呼びした講演会も、これによるものです。
 他にも、教育や福祉、地域つくりなど様々な分野の「村つくり委員会」が活動しています。
 障がいをもった子どもたちの通所施設「夢のつばさ」も、村つくり委員会の活動から生まれ、実際の運営は村から指定管理を受け、この活動の中心になった人たちによる社会福祉法人があたっています。
 行政の下請けや補完的に行われ行政経費の削減を目的にするのではなく、住民が必要と考えるものを、住民の活動によって補い、結果的に行政施策に組み込ませ拡大していく営みを「新たな協働」とよんでおります。
 憲法第12条は、「この憲法が保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」と定めてあります。
 阿智村の、住民自治を発展させるとりくみは、憲法が生きる村から、住民自身が憲法を活かすことのできる村をめざしてのとりくみといえると思います。
 ※これは、2013年12月1日に長野市で開催された「教育子育て九条の会」の第6回全国交流集会でのシンポジウムにおいて、岡庭さんが発言された内容をまとめたものですも教育子育て九条の会の了解を得て、本日の岡庭さんの発言の資料にしました。
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