《「いまこそ」から》
◆ 梅原再任用訴訟(大阪高裁)の判決文の特徴
「日の丸・君が代」ではなく、一般的な雇用関係事件として判断
12月9日に出された梅原控訴審判決は、これまでの訴訟で積み重ねられてきた成果がここに現れている。例えば「法的期待権」は、東京などの再雇用拒否裁判などでも判示されてきたが、本判決では、更に強く権利化されている。
更に特徴的なことは、「日の丸・君が代」(以下「日の君」)に関連した事件であったにも関わらず、「学習指導要領」の文字がないことだ。つまり、「日の君」色がないままで判決されている。
「日の君」判断では原告が敗訴して、脱「日の君」では原告が勝訴するというパターンにもなってきている。この場合、憲法判断ではなく裁量権の事件として判断されることになる。
◆ 「日の君」としてではなく通常の評価基準
これまで東京などでも闘われてきた再雇用拒否事件では、「日の君」の非違行為の「この1点で総合評価は不可である」というものである。しかも、反省の色が見えず、非違行為を繰り返す可能性が高いというものである。
ところが、今回の控訴審判決では、停職処分を受けながら採用合格となった教員Aを例に出し、梅原さんを比較しているのである。
教員Aというのは、生徒に対する再三の暴力事件を起こしており、しかも生徒への謝罪と反省を繰り返しているのである。この教員Aの例から同判決は、「(反省したからと言って)同種の行為に及ぶ可能性が低いとまでは言えない」と判示しているのである。
この教員Aに比して梅原さんは、「校長の内申では、勤務実績4項目(勤務実績、勤労意欲、専門的知識、心身の状況)共に『適』であり、総合評価も『適』であった」。
このことから判決は、「教職員の過去の懲戒処分の軽重を重視せず、一方で反省等を過度に重視したものであり、合理性を欠くものである」と判示して、裁量権の逸脱濫用を認めたのである。
「日の君」事件だというバイアスを通さなければ、処分歴の重い方が採用され軽い方が不採用になることは、ありえないことなのである。
◆ 憲法19条と「意向確認書」の問題
本判決の最大の争点は「意向確認書」について、憲法19条(思想良心の自由)に反しているか否かである。
既に、2011年の一連の最高裁判決において起立斉唱の職務命令は間接的制約により合憲であると判断されている。本件の意向確認は、起立斉唱の職務命令とは異なるが、起立斉唱を含む「意向」の確認は直接制約であり、間接的制約ではない可能性が高い。
しかし本件では、最高裁判例に従い、「憲法19条に違反するとは言えない」と判示している。しかし、その理由が示されていない。
ところが、「当裁判所の判断」で、意向確認書の文面から「卒入学式等における国歌斉唱時の起立斉唱の命令を含む」の文言を削除するとしているのである。この文章が削除された意向確認書は、一般的な意向の確認となり、憲法に違反しない趣旨の判断が出されるのは当然となるのである。
このように、この控訴審判決は、最高裁の判例に反しないようにしながら、憲法19条の憲法趣旨に抵触しない方法で判断を下しているのである。いうならば、観点を変えており、これまでの「間接的制約論」とは異なる判例であるといえよう。
このように、コロナ禍で雇用の危機の社会情勢にあり、「日の君」色を薄めた判示が出されたと考えられるのである。(永井)
「予防訴訟をひきつぐ会」通信『いまこそ』(2022年1月27日)
◆ 梅原再任用訴訟(大阪高裁)の判決文の特徴
「日の丸・君が代」ではなく、一般的な雇用関係事件として判断
12月9日に出された梅原控訴審判決は、これまでの訴訟で積み重ねられてきた成果がここに現れている。例えば「法的期待権」は、東京などの再雇用拒否裁判などでも判示されてきたが、本判決では、更に強く権利化されている。
更に特徴的なことは、「日の丸・君が代」(以下「日の君」)に関連した事件であったにも関わらず、「学習指導要領」の文字がないことだ。つまり、「日の君」色がないままで判決されている。
「日の君」判断では原告が敗訴して、脱「日の君」では原告が勝訴するというパターンにもなってきている。この場合、憲法判断ではなく裁量権の事件として判断されることになる。
◆ 「日の君」としてではなく通常の評価基準
これまで東京などでも闘われてきた再雇用拒否事件では、「日の君」の非違行為の「この1点で総合評価は不可である」というものである。しかも、反省の色が見えず、非違行為を繰り返す可能性が高いというものである。
ところが、今回の控訴審判決では、停職処分を受けながら採用合格となった教員Aを例に出し、梅原さんを比較しているのである。
教員Aというのは、生徒に対する再三の暴力事件を起こしており、しかも生徒への謝罪と反省を繰り返しているのである。この教員Aの例から同判決は、「(反省したからと言って)同種の行為に及ぶ可能性が低いとまでは言えない」と判示しているのである。
この教員Aに比して梅原さんは、「校長の内申では、勤務実績4項目(勤務実績、勤労意欲、専門的知識、心身の状況)共に『適』であり、総合評価も『適』であった」。
このことから判決は、「教職員の過去の懲戒処分の軽重を重視せず、一方で反省等を過度に重視したものであり、合理性を欠くものである」と判示して、裁量権の逸脱濫用を認めたのである。
「日の君」事件だというバイアスを通さなければ、処分歴の重い方が採用され軽い方が不採用になることは、ありえないことなのである。
◆ 憲法19条と「意向確認書」の問題
本判決の最大の争点は「意向確認書」について、憲法19条(思想良心の自由)に反しているか否かである。
既に、2011年の一連の最高裁判決において起立斉唱の職務命令は間接的制約により合憲であると判断されている。本件の意向確認は、起立斉唱の職務命令とは異なるが、起立斉唱を含む「意向」の確認は直接制約であり、間接的制約ではない可能性が高い。
しかし本件では、最高裁判例に従い、「憲法19条に違反するとは言えない」と判示している。しかし、その理由が示されていない。
ところが、「当裁判所の判断」で、意向確認書の文面から「卒入学式等における国歌斉唱時の起立斉唱の命令を含む」の文言を削除するとしているのである。この文章が削除された意向確認書は、一般的な意向の確認となり、憲法に違反しない趣旨の判断が出されるのは当然となるのである。
このように、この控訴審判決は、最高裁の判例に反しないようにしながら、憲法19条の憲法趣旨に抵触しない方法で判断を下しているのである。いうならば、観点を変えており、これまでの「間接的制約論」とは異なる判例であるといえよう。
このように、コロナ禍で雇用の危機の社会情勢にあり、「日の君」色を薄めた判示が出されたと考えられるのである。(永井)
「予防訴訟をひきつぐ会」通信『いまこそ』(2022年1月27日)
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