The 4th Citizen-Scientist International Symposium on Radiation Protection -
第4回放射線防護に関する市民科学者国際会議
第4回放射線防護に関する市民科学者国際会議
11月23日 セッション 2 : 法と権利
▼ 原発事故被災者の権利
アナンド・グローバー
ビデオ・メッセージ
会場のみなさま、おはようございます。こんにちは。
このシンポジウムでスピーチする機会をいただけたことを感謝いたします。
今日は参加できなくて申し訳ありません。
しかしこの機会に再度、2011年3月の原子力災害により直接的および間接的に悪影響をこうむった人たちの権利を支持するためにお話をしたいと思います。
私は、ちょうど2年ほど前に、特別報告者としての任務のために日本を訪れました。その後、福島の原子力災害について得た知見を、日本についての正式な報告書として人権理事会(※)に提出しました。
私の報告書には科学的見地が反映されていますが、報告書は、人間の電離放射線への被ばく量に関わらずに発がんリスクが存在するという科学的見解を非常に明白に述べています。
すなわち、電離放射線には、これより下であれば安全だというような、低線量のしきい値は存在しないということです。
放射線による初期および長期の健康影響を評価するにあたり、国際機関と日本政府はチェルノブイリの教訓を考慮してきていないというのが私の見解です。
チェルノブイリで影響を受けた人たちはいまだに、健康影響、そして事故による社会的および経済的影響から回復していません。
電離放射線への曝露のレベルと影響を評価して報告するという権限の下に国連によって設置された委員会である、原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)は、福島事故によって影響を受けた人たちの発がん率はこれまでと変わらないことが予期されると報告しました。
放射線の健康影響についての科学委員会の他の知見は、最も被ばく量が多かった子ども達の間での甲状腺がんリスクの理論的な増加だけしかないというもので、先天異常や遺伝的影響はなく、福島原発作業員での発がん率に識別可能な増加はみられないだろうということでした。
日本政府は、この科学委員会の知見を大いに支持しています。しかし、私が日本で出会った多くの人たちはこの見解に反対しており、反対者の中には科学者たちもいます。
それではここからは、このセッションの議題に内容を留めることにして、原子力事故により影響を受けた人たちの権利についてお話します。
健康への権利には、身体的および精神的健康への権利が含まれますが、それが医療への権利のみではないことが理解されねばなりません。
これは孤立した権利ではなく、その何層にも折り重なった部分には、食べ物、住居、きれいな水、健康な環境などの健康の決定要因が含まれています。
健康への権利というのはまた、情報、非差別、参加などの諸々の権利によって満たされます。
さらに、国に手段があるかどうかに関わらず、高齢者、子どもや障害を持つ人たちのような脆弱なグループの権利が尊重され、守られ、そして満たされなければならないということに常時留意すべきです。
国がこれらの根本的な決定要因や権利を確保することを怠った瞬間、影響を受けた人たちの健康への権利を侵害した可能性があります。
科学が関与しているにも関わらず、津波と原子力災害の後、健康に対する権利を含む人権の侵害が多数起こっています。さらにこの事故が、人々の生活と健康、そして諸権利の享受に対して初期影響と長期的な影響を及ぼしたことは明らかです。
人々が突然、計画もなしに移動させられ、政府の最高執行部が混乱し、当局が情報を提供することができなかったため、予防することができたはずの被害と、長期に渡る被害が、人々にもたらされてしまいました。
その中には、事故から受けた影響がさらに酷くなったグループもありました。
補助が必要な高齢者および障害を持つ人たちは、自力でなんとかしなければいけない状況に置かれました。
子どもたちは甲状腺がんのリスクにさらされ、それは今でも続いています。
原子力発電所の作業員は貧困者やホームレスの場合が多く、高線量の放射線被ばくを受けたのに、当時も今も引き続き、良質の医療を提供されていません。
家族がばらばらになり、子どもたちの事を常に心配し、そのうち健康に影響が出るのではないかと恐れ、医療施設、物品やサービスも不十分な状況で、生活の糧も失ってしまったことが恐怖と不安にかられた状態を引き起こし、関係者すべての精神衛生に影響を与えています。
避けられたであろう状況に対応する日本政府の準備が深刻に欠如していたのだというのが、私の理解するところです。私の見解では、政府が準備していなかったことと、人々が政策決定に参加していないこととは、密接につながっています。発電所と緊急対策に関連したすべての計画と決定は、人々が有意義に参加することなく実行されました。
日本では、政策への参加というものは、選挙で選ばれた議員を通しておこなわれるものであると理解されており、これは日本での大きな問題です。
しかし参加というのは、選ばれた人が人々の利益を代弁することだけに限定されているわけではありません。
政府の政策により影響を受けるかもしれない、もしくは影響を受けている個人が、策定や決定を初めとし、履行、そしてモニタリングという、政策決定のすべての段階で参加するということです。
たとえば、福島原発の例にあてはめると、そもそも原発立地に同意するかどうかに際して、国は、原発付近の住民に必要な情報すべてを提供されるようにすべきでした。
人々が緊急対策の策定に関与していたとすれば、障害を持つ人たちが避難所に移動し、安全な場所に留まることができたでしょう。
災害管理政策の実施に関与することは、人々が、ヨウ素剤摂取も含み、どのような手段を講じるべきかを知ることができ、すべての混乱と不必要な放射線被ばくを防ぐことができたでしょう。
情報へのアクセスは、また別の非常に重要な権利であり、健康への権利の側面でもあります。
人々は、情報に基づいた選択をするために、すべての情報へのアクセスを持つべきです。
事故直後の放射線量に関する情報を公表しなかったことにより、国は、人々が自分の命に関して選択をする権利を侵害しました。
この情報があれば、人々は放射線被ばくから自己防護することができていたでしょう。
この災害の何ヶ月も後に、日本政府は放射線量が「安全」な場所への帰還計画を決定しました。この帰還政策は、住民に真の選択肢を与えていません。帰還したくない住民への補償は、帰還する住民への補償よりもずっと少ないのです。
金銭的に余裕がない住民は、安全だと感じなくてもお金のためだけに帰還してしまうかもしれません。
日本政府は、これらの地域が安全で放射線による悪影響はないだろうと述べています。
しかし、放射線の問題には2つの対立した見解があるので、日本政府は、住民がどこに住んでいようと補償を提供することにより、真の選択肢を提示すべきでした。このような強制的な選択は、人々の尊厳に対して大きな侮辱です。
最後に、政府の行動は、国際放射線防護委員会(ICRP)のアドバイスを大きな基盤としています。
ICRPの勧告は、最適化と正当化の原理に基づいており、それによると、政府のすべての行動は、損失よりも利益の最大化に基づくべきであるとされています。
そのようなリスク・ベネフィット分析は、大多数には最善かもしれませんが、個人の権利よりも集団の利益を優先するため、健康の権利に関するフレームワークとは相容れません。
健康への権利の下では、ひとりひとりの権利が護られなければいけません。
したがって、たとえ1人の個人が悪影響を受けたとしても、その人の権利は尊重され、護られなければいけないということです。
ここに挙げた例は、人々の基本的人権を侵害し、尊厳をもって生きる権利を侵したごく一部の例です。
もしも政府の政策が包括的で参加型であり、透明性を持っていたとしたら、そしてもしも政府が東京電力の保障措置の欠如に見て見ぬふりをしていなければ、これらの甚だしい人権侵害は回避できていたことでしょう。
この時点で、この問題に関しての国内外での言説の大部分は、専門家や、あるいは私のように事故からかけ離れた場所にいる人たちによるものであることを強調しなければいけません。
影響を受けた人たちこそが、この闘いに何度も応じ、国内外でのダイアログを先導すべきなのです。
ご静聴ありがとうございました。
http://csrp.jp/symposium2014
『今 言論・表現の自由があぶない!』(2014/11/27)
http://blogs.yahoo.co.jp/jrfs20040729/26732450.html
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