= 精神科医 野田正彰教授が分析する橋下徹 =
◆ 掃除をしない高校生
続きは、発売中の『新潮45』11月号(「最も危険な政治家」橋下徹研究)でお読み下さい。
その人の性格の輪郭は、青年期後期あたりで固まってくると考えられている。そこで、橋下青年の高校生のころを最もよく知る先生に会うことができた。
- 彼は片付け、掃除はしない生徒だった。大掃除のとき、汚れ仕事のときは逃げていく。帰ってしまう。地味なことはしない。
話していても、壁に向って話しているような思いにこちらがなる。感情交流ができず、共感がない。伝達、伝言のようで、コミュニケーションにならない。目と目を合せることができず、視線を動かし続ける。
嘘を平気で言う。バレても恥じない。信用できない。約束を果たせない。自分の利害にかかわることには理屈を考え出す。
人望はまったくなく、委員などに選ばれることはなかった。バレーボールで失敗した生徒を罵倒。相手が傷つくことを平気で言い続ける。
ラグビーの選手であり、スタンド・プレーをよくする。球をとると、パスするよりも真直ぐ走る。
仲間うちで冗談をいい、注目させることはできた。文化、知性に対して拒絶感があるようで、楽しめない。
馬鹿にされていると敏感に感じるのか、見返そうとしているようだった。
彼を評価する先生は、まずいないのではないか。 -
これが高校生のころの橋下像である。
(略)
◆ 知事の「病名」
(略)
9月には「教育基本条例案」と「職員基本条例案」を提案した。教育基本条例案に限っても、教員の処分を延々と並べた処罰集である。こんなことではまともな教師はいなくなり、学校は荒れ、授業すら出来なくなっていくであろう。
教育基本法を真似て、基本理念なるものが書かれている。
規範意識を重んじる(掃除をせず、汚れ仕事は逃げる男が言う)、
弱者を助ける勇気と思いやりを持ち(弱者を叩いて、自らを強者とみせかけてきた男が言う)、
郷土の伝統と文化を深く理解し(文楽より紳助、と主張してきた男が言う)……、
これ以上私たちは、自己顕示欲型精神病質者(C・K・シュナイダーの10分類のひとつ)の空虚な言動に振り回されてはならない。WHOの分類(ICD10)を使えば、演技性人格障害と言ってもいい。
演技性人格障害は、
①自己の劇化、演劇的傾向、感情の誇張された表出、
②他人に容易に影響を受ける被暗示性、
③浅薄で不安定な感情性、
④興奮、他人の評価、および自分が注目の的になるような行動を持続的に追い求めること、
⑤不適当に扇情的な外見や行動をとること、
⑥身体的魅力に必要以上に熱中すること、
で特徴づけられる。
これまで整理してきた彼の生活史を振り返っていただければ分るように、②項をのぞいて、5項目が当てはまる。それ以外に、関連病像とされる自分の欲求達成のために他人をたえず操作する行動、自己中心性も顕著である。
北野高校の先生が、教育者の目で見ての橋下徹像は、「嘘を言う、バレても恥じない、信用できない」であった。つまり、彼の言葉をまともに受けとめ対応していけば、常に彼の内容空虚性に突き当るのである。
橋下知事に鳴物いりで招かれた陰山英男、小河勝教育委員までも、学校の現実をまったく知らずに書かれた条例案に憤慨、このまま行けば学校教育すべてが崩壊することに気付いている。
職員基本条例案についても、府の総務部が687項目の質問状を出している。府の職員は個々の思いつきの条項の結ぶところに、府行政の崩壊を見たのである。
だが橋下は、なおも「深い議論になってきている」と、自己の劇化を止めない。
シュナイダーは、自己顕示欲型の人について、「彼らを讃嘆することを止めてみると、彼らはたちまち味のないものになる。崇拝讃嘆の土台の上に立った時のみ、自己顕示欲型の人と良い友であることができる」と結んでいる。
大阪府民は橋下の空気に気付いた後、破壊と損失の前で呆然とすることだろう。
(のだまさあき)
◆ 掃除をしない高校生
続きは、発売中の『新潮45』11月号(「最も危険な政治家」橋下徹研究)でお読み下さい。
その人の性格の輪郭は、青年期後期あたりで固まってくると考えられている。そこで、橋下青年の高校生のころを最もよく知る先生に会うことができた。
- 彼は片付け、掃除はしない生徒だった。大掃除のとき、汚れ仕事のときは逃げていく。帰ってしまう。地味なことはしない。
話していても、壁に向って話しているような思いにこちらがなる。感情交流ができず、共感がない。伝達、伝言のようで、コミュニケーションにならない。目と目を合せることができず、視線を動かし続ける。
嘘を平気で言う。バレても恥じない。信用できない。約束を果たせない。自分の利害にかかわることには理屈を考え出す。
人望はまったくなく、委員などに選ばれることはなかった。バレーボールで失敗した生徒を罵倒。相手が傷つくことを平気で言い続ける。
ラグビーの選手であり、スタンド・プレーをよくする。球をとると、パスするよりも真直ぐ走る。
仲間うちで冗談をいい、注目させることはできた。文化、知性に対して拒絶感があるようで、楽しめない。
馬鹿にされていると敏感に感じるのか、見返そうとしているようだった。
彼を評価する先生は、まずいないのではないか。 -
これが高校生のころの橋下像である。
(略)
◆ 知事の「病名」
(略)
9月には「教育基本条例案」と「職員基本条例案」を提案した。教育基本条例案に限っても、教員の処分を延々と並べた処罰集である。こんなことではまともな教師はいなくなり、学校は荒れ、授業すら出来なくなっていくであろう。
教育基本法を真似て、基本理念なるものが書かれている。
規範意識を重んじる(掃除をせず、汚れ仕事は逃げる男が言う)、
弱者を助ける勇気と思いやりを持ち(弱者を叩いて、自らを強者とみせかけてきた男が言う)、
郷土の伝統と文化を深く理解し(文楽より紳助、と主張してきた男が言う)……、
これ以上私たちは、自己顕示欲型精神病質者(C・K・シュナイダーの10分類のひとつ)の空虚な言動に振り回されてはならない。WHOの分類(ICD10)を使えば、演技性人格障害と言ってもいい。
演技性人格障害は、
①自己の劇化、演劇的傾向、感情の誇張された表出、
②他人に容易に影響を受ける被暗示性、
③浅薄で不安定な感情性、
④興奮、他人の評価、および自分が注目の的になるような行動を持続的に追い求めること、
⑤不適当に扇情的な外見や行動をとること、
⑥身体的魅力に必要以上に熱中すること、
で特徴づけられる。
これまで整理してきた彼の生活史を振り返っていただければ分るように、②項をのぞいて、5項目が当てはまる。それ以外に、関連病像とされる自分の欲求達成のために他人をたえず操作する行動、自己中心性も顕著である。
北野高校の先生が、教育者の目で見ての橋下徹像は、「嘘を言う、バレても恥じない、信用できない」であった。つまり、彼の言葉をまともに受けとめ対応していけば、常に彼の内容空虚性に突き当るのである。
橋下知事に鳴物いりで招かれた陰山英男、小河勝教育委員までも、学校の現実をまったく知らずに書かれた条例案に憤慨、このまま行けば学校教育すべてが崩壊することに気付いている。
職員基本条例案についても、府の総務部が687項目の質問状を出している。府の職員は個々の思いつきの条項の結ぶところに、府行政の崩壊を見たのである。
だが橋下は、なおも「深い議論になってきている」と、自己の劇化を止めない。
シュナイダーは、自己顕示欲型の人について、「彼らを讃嘆することを止めてみると、彼らはたちまち味のないものになる。崇拝讃嘆の土台の上に立った時のみ、自己顕示欲型の人と良い友であることができる」と結んでいる。
大阪府民は橋下の空気に気付いた後、破壊と損失の前で呆然とすることだろう。
(のだまさあき)
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