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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

君が代不起立「停職処分取消訴訟」

2008年04月24日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 ◆ 河原井さん「組合の動き鈍いのが残念」
 ~君が代不起立「停職処分取消訴訟」傍聴報告

ひらのゆきこ

 日の丸・君が代の強制に反対し、卒業式などでの君が代斉唱不起立で停職処分を受けた根津公子さんと河原井純子さんが提訴した「停職処分取消訴訟」。その口頭弁論が、4月17日に東京地裁であり、準備書面の確認などが行われました。裁判後の報告会では弁護士や原告からお話しがあり、河原井さんは組合の動きが鈍いことは残念であると語りました。

 東京地方裁判所 4月17日(木)10時30分より東京地裁で、日の丸・君が代の強制に反対し、卒業式などでの君が代斉唱不起立で停職処分を受けた根津公子さんと河原井純子さんが提訴した「停職処分取消訴訟」の口頭弁論がありました。
 今回は、06年3月と07年3月の処分に対する停職処分取消訴訟の口頭弁論で、根津さんは、06年3月に停職3ヶ月、07年3月に停職6ヶ月の処分を受け、河原井さんは、06年3月に停職1ヶ月、07年3月に停職3ヶ月の処分を、それぞれ受けています。
 いつものように、今回もたくさんの傍聴人(約40名)が来ていましたが、実質審理は行われず、被告側(都教委)の提出した準備書面の確認など事務的手続きと、これまで別々に行ってきた根津さんと河原井さんの審理を、今回からは同時に行うとの中西茂裁判長からのお話がりました。次回期日(6月26日午前10時)を決め、閉廷しました。

 裁判のあと、報告会がありました。最初に、弁護団から裁判の進捗状況についての説明があったあと、河原井さんと根津さんからそれぞれ発言がありました。

 ◆ 弁護団からの裁判の進捗状況についての報告
 弁護団のお話によると、根津さんと河原井さんは08年3月の卒業式のときの君が代不起立でも、ともに停職6ヶ月の処分を受けており、この分についても人事院に提訴し、近々裁判所に提訴する予定だそうです。

 根津さんと河原井さんは、06年、07年、08年の卒業式などでの不起立で処分を受けており、「06年事件」というように、年度ごとに区別してそれぞれ審理をしています。その中で、06年については、裁判の山場ともいうべき証人尋問が6月からスタートするそうです。証人尋問は処分者(被告)が3名(校長、都教委関係者など)、原告側は4名(校長、保護者、生徒など)。さらに、根津さんと河原井さんの原告本人の証人尋問が決定しており、期日についてもほぼ決まっているとのことでした。

 ◆ 河原井さんのお話
 今年3月の卒業式の不起立で6ヶ月の停職処分を受けた河原井さんは、現在、6つの裁判をやっているそうです。最初の裁判は、(勤務先だった)七生養護学校の性教育が、都教委や都議らの介入によって破壊されたとして、都教委と都議らを訴えた「ここから裁判」でした。河原井さんは、「自分のように、どこにでもいる教員が6つも裁判をやっているのが現在の東京都の教育現場」と述べ、このような状況に対し、組合の動きが鈍いことは残念であると語りました。

 河原井さんは、諏訪中央病院長として地域医療の刷新に取り組んだ今井澄(きよし)さんが、69年の東大安田講堂事件で獄中にあったとき書いた獄中日記を遺族が出版した「たちまち日記」という本の中で、今井さんが「革命は悲壮なものではない。日常生活の中から生まれるものであり、何度失敗しても頭をかきながらやるものだ」と語っていることに言及しながら、「変革は裾野で、1人ひとりが大地に足をつけてやるもの」と述べ、1人ひとりが自分の生活に根ざした闘いをすることの必要性を訴えました。

 ◆ 根津さんのお話
 前回、6ヶ月の停職処分を受け、今回の不起立で免職処分を受けることが心配された根津さんは、免職ではなく6ヶ月の停職処分でした。都教委から処分の言渡しのあった日(3月31日)も多くの人たちが動いてくれたことに感謝の意を示しながら、6ヶ月の停職処分に対する不満をあるものの、解雇を阻止でき「嬉しかった」と、そのときの思いを率直に語りました。

 今回のことを通し、実際に動かないとなにも変わらないことを「身をもって知った」と述べ、裁判で勝つためにも、行動することが大事であると訴えました。根津さんは、停職処分を受けたあとも、立川や町田の中学校などへの「停職出勤」をしているそうです。いろんなところで感じるのは、3月31日の勝利を多くの人たちが受け止めてくれていることだと語りました。

 新聞やテレビなどでの報道もあって、校門の前でプラカードをもって立っていると、根津さんのことを知っている人が多く、道行く人々が共感の意を示してくれるそうです。報道の影響の大きさを感じる、としながら、これをバネに引き続き闘いを続けていきたい、との考えを示しました。

 根津さんは、「停職出勤で開かない扉をこじ開けたい。向こうからもこっちに来てほしい。この闘いは生活そのもの。校長や子どもたちにも返したい。それが授業そのもの」と訴えました。

『JANJAN』(2008/04/21)
http://www.news.janjan.jp/living/0804/0804205300/1.php

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