◆ 教皇スピーチは1945年8月から!
日本人は1875年から考えよう!
皆様 こんにちは。増田です。これはBCCでお伝えしています。重複、超長文、ご容赦を!
フランシスコ教皇は広島・長崎スピーチで、
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191124/k10012189341000.html
「兵器に大金を費やし、兵器の近代化、維持、販売で大儲けし、兵器の破壊力を増す。これは神に背くテロ行為」とし、核抑止力信仰に対しても反対し、「軍縮や不拡散についての主要な国際法の原則に従い行動し、…この原則には、核兵器禁止条約も含まれます。」と明言されました。
これに対し、核兵器禁止条約に反対し…棄権ですらなかった…イージスアショアだ、F35戦闘機だと「人の税金」を何兆円も兵器に費やす「テロ行為」を働いている我が国の、その首相は、いけシャーシャーと「日本とバチカンは平和、『核なき世界』実現、貧困撲滅、人権、環境などを重視するパートナーだ。」などと「おまゆう」!? 発言をしたようです。
※ 時事ドットコム
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019112500705&g=pol
教皇が「戦争のための最新鋭で強力な兵器を製造しながら…買いながら?(増田)…、平和について話すことなどどうしてできるでしょうか。」「真の平和とは、非武装の平和以外にありえません。」と明言されたのに、我が国の首相は都合の悪い言葉などは耳には入らないのでしょうね。
「嘘を吐いてはいけない」という真っ当な人間としての道徳心・倫理感を身につけていない人は幸せかもね…という感じですが…
でも、本日、一番いいたいのは、それではありません。
教皇の広島スピーチの中の「激しい暴力の犠牲となった罪のない人々を」「思い出し、ともに歩み、守ること。この三つは、倫理的命令です。これらは、まさにここ広島において、よりいっそう強く、より普遍的な意味をもちます。この三つには、平和となる真の道を切り開く力があります。したがって、現在と将来の世代が、ここで起きた出来事を忘れるようなことがあってはなりません」という言葉から考えたことです。
あの、天皇絶対・無民主主義・無基本的人権国家だった大日本帝国皇軍による「激しい暴力の犠牲となった罪のない人々」のいない国の人々は、二度と核兵器の悲劇が起きないように1945年8月の広島・長崎の記憶を出発点としてくれます。
しかし、大日本帝国の後継国家である国民主権・民主主義・基本的人権尊重国家となったはずの日本国の人々も、それでいいのでしょうか?
日本の「現在と将来の世代が」広島「で起きた出来事を忘れ」ないだけでいいでしょうか?
なぜ、広島・長崎の「罪のない人々」は「激しい暴力」である核兵器の「犠牲となった」のでしょうか?
それは隣国に対する「大日本帝国」砲艦外交の1875年江華島事件からの侵略の道のりの帰結でした。
それを、日本の人々は「思い出し」「忘れるようなことがあってはなりません」のではないでしょうか?
これは、広島・長崎の「「激しい暴力の犠牲となった罪のない人々を思い出」すと同時に「思い出」さなければならないことではないでしょうか?
朝鮮半島で、大日本帝国皇軍は、名も残っていない数多の東学農民や、無惨な明成皇后虐殺はじめ、どれだけ膨大な数の「罪のない人々」を「激しい暴力の犠牲と」したことでしょうか…
そして、中国への侵略の中で行われた南京大虐殺、重慶無差別爆撃、731部隊の凄惨な暴力…続く東南アジア侵略の中で行われたシンガポール・マレーの華人虐殺、マニラ虐殺…その過程における徴用工の強制連行・「慰安婦」性暴力…
日本人が広島・長崎から出発することは、普遍的な「倫理的命令」に反するのではないでしょうか。
日本人が、1875年から1945年8月までの大日本帝国の侵略の過程で行った「激しい暴力の犠牲となった罪のない人々」を「思い出し、ともに歩み、守ること。」という「倫理的命令」を守り、日本国として「激しい暴力」をふるい人権侵害したことを謝罪し相応の補償をして、はじめて現在の「徴用工」問題も「慰安婦」性暴力問題も解決していくでしょう。
それをしなければ隣国との問題の真の解決や和解は有り得ないし、それでは広島・長崎の悲劇を「よりいっそう強く、より普遍的な意味」にしていくことはできないでしょう。
「平和となる真の道を切り開く」ために、日本人は栗原貞子の「ヒロシマというとき」を思い出す必要があります。
「汚れた手をきよめ」=きちんと謝罪・補償をして赦しを得、真の和解ができた時、大日本帝国皇軍によるアジアの被害国の人たちも含めて、全世界の人たちは「〈ヒロシマ〉というとき 〈ああ ヒロシマ〉と やさしくこたえてくれる」のではないでしょうか。
https://home.hiroshima-u.ac.jp/bngkkn/database/KURIHARA/hiroshimatoiutoki.html
日本人は1875年から考えよう!
皆様 こんにちは。増田です。これはBCCでお伝えしています。重複、超長文、ご容赦を!
フランシスコ教皇は広島・長崎スピーチで、
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191124/k10012189341000.html
「兵器に大金を費やし、兵器の近代化、維持、販売で大儲けし、兵器の破壊力を増す。これは神に背くテロ行為」とし、核抑止力信仰に対しても反対し、「軍縮や不拡散についての主要な国際法の原則に従い行動し、…この原則には、核兵器禁止条約も含まれます。」と明言されました。
これに対し、核兵器禁止条約に反対し…棄権ですらなかった…イージスアショアだ、F35戦闘機だと「人の税金」を何兆円も兵器に費やす「テロ行為」を働いている我が国の、その首相は、いけシャーシャーと「日本とバチカンは平和、『核なき世界』実現、貧困撲滅、人権、環境などを重視するパートナーだ。」などと「おまゆう」!? 発言をしたようです。
※ 時事ドットコム
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019112500705&g=pol
教皇が「戦争のための最新鋭で強力な兵器を製造しながら…買いながら?(増田)…、平和について話すことなどどうしてできるでしょうか。」「真の平和とは、非武装の平和以外にありえません。」と明言されたのに、我が国の首相は都合の悪い言葉などは耳には入らないのでしょうね。
「嘘を吐いてはいけない」という真っ当な人間としての道徳心・倫理感を身につけていない人は幸せかもね…という感じですが…
でも、本日、一番いいたいのは、それではありません。
教皇の広島スピーチの中の「激しい暴力の犠牲となった罪のない人々を」「思い出し、ともに歩み、守ること。この三つは、倫理的命令です。これらは、まさにここ広島において、よりいっそう強く、より普遍的な意味をもちます。この三つには、平和となる真の道を切り開く力があります。したがって、現在と将来の世代が、ここで起きた出来事を忘れるようなことがあってはなりません」という言葉から考えたことです。
あの、天皇絶対・無民主主義・無基本的人権国家だった大日本帝国皇軍による「激しい暴力の犠牲となった罪のない人々」のいない国の人々は、二度と核兵器の悲劇が起きないように1945年8月の広島・長崎の記憶を出発点としてくれます。
しかし、大日本帝国の後継国家である国民主権・民主主義・基本的人権尊重国家となったはずの日本国の人々も、それでいいのでしょうか?
日本の「現在と将来の世代が」広島「で起きた出来事を忘れ」ないだけでいいでしょうか?
なぜ、広島・長崎の「罪のない人々」は「激しい暴力」である核兵器の「犠牲となった」のでしょうか?
それは隣国に対する「大日本帝国」砲艦外交の1875年江華島事件からの侵略の道のりの帰結でした。
それを、日本の人々は「思い出し」「忘れるようなことがあってはなりません」のではないでしょうか?
これは、広島・長崎の「「激しい暴力の犠牲となった罪のない人々を思い出」すと同時に「思い出」さなければならないことではないでしょうか?
朝鮮半島で、大日本帝国皇軍は、名も残っていない数多の東学農民や、無惨な明成皇后虐殺はじめ、どれだけ膨大な数の「罪のない人々」を「激しい暴力の犠牲と」したことでしょうか…
そして、中国への侵略の中で行われた南京大虐殺、重慶無差別爆撃、731部隊の凄惨な暴力…続く東南アジア侵略の中で行われたシンガポール・マレーの華人虐殺、マニラ虐殺…その過程における徴用工の強制連行・「慰安婦」性暴力…
日本人が広島・長崎から出発することは、普遍的な「倫理的命令」に反するのではないでしょうか。
日本人が、1875年から1945年8月までの大日本帝国の侵略の過程で行った「激しい暴力の犠牲となった罪のない人々」を「思い出し、ともに歩み、守ること。」という「倫理的命令」を守り、日本国として「激しい暴力」をふるい人権侵害したことを謝罪し相応の補償をして、はじめて現在の「徴用工」問題も「慰安婦」性暴力問題も解決していくでしょう。
それをしなければ隣国との問題の真の解決や和解は有り得ないし、それでは広島・長崎の悲劇を「よりいっそう強く、より普遍的な意味」にしていくことはできないでしょう。
「平和となる真の道を切り開く」ために、日本人は栗原貞子の「ヒロシマというとき」を思い出す必要があります。
「汚れた手をきよめ」=きちんと謝罪・補償をして赦しを得、真の和解ができた時、大日本帝国皇軍によるアジアの被害国の人たちも含めて、全世界の人たちは「〈ヒロシマ〉というとき 〈ああ ヒロシマ〉と やさしくこたえてくれる」のではないでしょうか。
〈ヒロシマ〉というとき(『ヒロシマというとき』一九七六年三月)
〈ああ ヒロシマ〉と
やさしくこたえてくれるだろうか
〈ヒロシマ〉といえば〈パール・ハーバー〉
〈ヒロシマ〉といえば〈南京虐殺〉
〈ヒロシマ〉といえば 女や子供を壕のなかにとじこめ
ガソリンをかけて焼いたマニラの火刑
〈ヒロシマ〉といえば血と炎のこだまが 返って来るのだ
〈ヒロシマ〉といえば
〈ああ ヒロシマ〉とやさしくは返ってこない
アジアの国々の死者たちや無告の民が
いっせいに犯されたものの怒りを噴き出すのだ
〈ヒロシマ〉といえば
〈ああヒロシマ〉とやさしくかえってくるためには
捨てた筈の武器を
ほんとうに捨てねばならない
異国の基地を撤去せねばならない
その日までヒロシマは
残酷と不信のにがい都市だ
私たちは潜在する放射能に灼かれるパリアだ
〈ヒロシマ〉といえば
〈ああヒロシマ〉と
やさしいこたえがかえって来るためには
わたしたちは
わたしたちの汚れた手を
きよめねばならない
https://home.hiroshima-u.ac.jp/bngkkn/database/KURIHARA/hiroshimatoiutoki.html
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