<板橋高校卒業式「君が代」刑事弾圧裁判>
★ 1月26日最高裁に『上告趣意書』を提出。 ★
原判決に対し、「憲法違反」「判例違反」「法令解釈の誤り」「事実誤認等職権破棄事由」を主張。
◎ 2月26日「藤田先生を応援する会」最高裁に要請書提出
「羊蹄待春」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》
2004年3月11日都立板橋高校の卒業式は、「君が代」推進派の都議・都教委の指導主事らによる異例の監視下でも、大変感動的に行われました。しかし、「君が代」斉唱時に9割以上の卒業生が起立せず、都議・校長・教頭が「立ちなさい」「歌いなさい」と大声で叱責して一時喧騒状態になったことは、新聞で報道されたり都議会で取り上げられたりして大きな話題となりました。
2年前に退職して来賓として招かれていた藤田さんは、式が始まる前、待機中の保護者席に都教委の政策を批判する週刊誌記事のコピーを配り「出来ましたら着席お願いします」と呼びかけて、管理職から退出を命じられてその場にはいませんでした。藤田さんは誰からも制止されず穏やかに呼びかけを終わっていたのですが、この行為が後日「威力業務妨害罪」で起訴され一審二審とも有罪判決を受けることとなってしまいました。
この起訴と判決は、式に参列していた生徒・保護者・教員や戦後憲法に定められた基本的人権の福利を普通に享受してきた一般市民にとって受け入れがたい非常識なものと言わなければなりません。
1,原判決には、重大な「事実誤認」があります。
田中教頭は藤田さんがコピー配布中に止めに入ったことを自ら証言し、裁判所はそれを事実として認定しました。しかしこの卒業式に出席した保護者・卒業生は誰も事実を見ていません。高裁判決文では、一見科学的な精緻な計算を試みながら、結果として教頭の校長室出発時間と会場到着時間が逆転するという矛盾した立証に陥ってしまっています。実際には藤田さんは、誰からも妨げられずにコピー配布を終えています。
事実は一つです。口頭弁論を開き、真実を解明されることを要請します。
2,校長には保護者に起立斉唱を課す「権利」はありません。
原判決には、「そもそも保護者は…起立・斉唱することを,都教委及び北爪らから,法的にはもとより事実上も,強制されるような関係にはなく」(P46~P47)、「『…列席の来賓や保護者にも起立を求める』…実施要綱に基づき本件卒業式を円滑に執り行う法律上の権利を有していたものである。」(P51)という、全く矛盾した記載があります。
私たちは、憲法に保障される権利とは主権者たる国民「個人」の基本的人権であり、行政の権限に対抗するものと理解しています。素人にも分かる原判決の矛盾を放置することは司法の恥ではないでしょうか。これは「法令解釈の誤り」ですから、口頭弁論を開いて改めることを要請します。
3,「公共の福祉」とは、校長の管理権・財産権と同義ではありません。
原判決は「憲法21条は,表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく,公共の福祉のために必要かつ合理的な制限に服することを是認するものであって…他人の財産権,管理権等の権利を不当に害することは許されない」(P50)と、表現の自由を「公共の福祉」で制限しました。
しかし私たちは「公共の福祉」とは個人間の権利を調整する概念であって、それを行政の権限と同義に扱ったらあらゆる批判的言論の自由が失われることになっておかしいと考えます。財産権・管理権等を唯一制限できるのが「公共の福祉」であって、財産権・管理権等が不可侵ではありえずましてイコール「公共の福祉」ではないのです。
2008年10月30日に勧告された「国連自由権規約委員会最終見解」のパラグラフ10には、この問題に触れて次のように書いてあります。
「…『公共の福祉』の概念が曖昧で、無限定であり、自由権規約で許容される限度を越えた制限がなされる可能性があることに対する懸念を再び表明する。…自由権規約で保障されている人権が「公共の福祉」を根拠として制限される場合は、規約で許容される限度を越えてはならないと明記すべきである。」
「立川反戦ビラ入れ事件」最高裁第三小法廷判決文においても「公共の福祉」による制限が用いられていましたが、その後で示された国連勧告に耳を傾けて、憲法と国際人権スタンダードに添った判決を書かれるよう要請します。
4,教育の現場で特に「表現の自由」は保障されるべきです。
表現の自由に関して「国連自由権規約委員会最終見解」はパラグラフ26で、次のように勧告しています。
「…締約国は、規約第19条及び第25条の下で保護されている政治活動及び他の活動を、警察、検察官及び裁判所が過度に制約しないように、表現の自由と参政権に対して課されたいかなる非合理的な法律上の制約をも廃止すべきである。」
藤田さんは社会科の教員として、常に憲法を尊重しつつ、生徒の利益を一途に考える姿勢で教育活動に従事し、そのおおらかな人柄も相俟って、多くの生徒から慕われてきました。藤田さんの訴えは、保護者・生徒の「思想良心の自由」を守ろうとする元教員としての信念から出たものです。一市民として呼びかけたその内容はいささかも他者(個人)の「権利」と衝突するものではなく、手段も一切物理力を用いない穏当なものであって、刑事罰に処せられるようなものでありません。
民主主義の定着は教室からと言われます。『(元)教育基本法』にうたわれていたように、民主的で文化的な国家の建設は根本において教育の力にまつべきものです。命令による教育は、教員の個性や創造性を押し殺し、生徒の心をむしばみます。まして教育の場における基本的人権の行使を「刑法」で裁くことは大変非合理な「法律上の制約」であって、憲法上の重大な疑義があると考えます。国際人権規約と憲法に則った公正な判決を要請します。
以上
最高裁判所 第一小法廷
泉 徳治 殿
甲斐中辰夫 殿
櫻井龍子 殿
宮川光治 殿
涌井紀夫 殿
<添付資料 1>「国連自由権規約委員会最終見解(抜粋)」
<添付資料 2>「板橋高校卒業式刑事弾圧事件 地裁判決へのマスコミの反応(見出しのみ)」
★ 1月26日最高裁に『上告趣意書』を提出。 ★
原判決に対し、「憲法違反」「判例違反」「法令解釈の誤り」「事実誤認等職権破棄事由」を主張。
◎ 2月26日「藤田先生を応援する会」最高裁に要請書提出
「羊蹄待春」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》
<板橋高校卒業式「君が代」刑事弾圧事件に係る要請>
最高裁は、口頭弁論を開いて厳正な事実審理を行い、
国際人権規約と憲法に基づいた明解で公正な判決をするよう要請します。
最高裁は、口頭弁論を開いて厳正な事実審理を行い、
国際人権規約と憲法に基づいた明解で公正な判決をするよう要請します。
2004年3月11日都立板橋高校の卒業式は、「君が代」推進派の都議・都教委の指導主事らによる異例の監視下でも、大変感動的に行われました。しかし、「君が代」斉唱時に9割以上の卒業生が起立せず、都議・校長・教頭が「立ちなさい」「歌いなさい」と大声で叱責して一時喧騒状態になったことは、新聞で報道されたり都議会で取り上げられたりして大きな話題となりました。
2年前に退職して来賓として招かれていた藤田さんは、式が始まる前、待機中の保護者席に都教委の政策を批判する週刊誌記事のコピーを配り「出来ましたら着席お願いします」と呼びかけて、管理職から退出を命じられてその場にはいませんでした。藤田さんは誰からも制止されず穏やかに呼びかけを終わっていたのですが、この行為が後日「威力業務妨害罪」で起訴され一審二審とも有罪判決を受けることとなってしまいました。
この起訴と判決は、式に参列していた生徒・保護者・教員や戦後憲法に定められた基本的人権の福利を普通に享受してきた一般市民にとって受け入れがたい非常識なものと言わなければなりません。
1,原判決には、重大な「事実誤認」があります。
田中教頭は藤田さんがコピー配布中に止めに入ったことを自ら証言し、裁判所はそれを事実として認定しました。しかしこの卒業式に出席した保護者・卒業生は誰も事実を見ていません。高裁判決文では、一見科学的な精緻な計算を試みながら、結果として教頭の校長室出発時間と会場到着時間が逆転するという矛盾した立証に陥ってしまっています。実際には藤田さんは、誰からも妨げられずにコピー配布を終えています。
事実は一つです。口頭弁論を開き、真実を解明されることを要請します。
2,校長には保護者に起立斉唱を課す「権利」はありません。
原判決には、「そもそも保護者は…起立・斉唱することを,都教委及び北爪らから,法的にはもとより事実上も,強制されるような関係にはなく」(P46~P47)、「『…列席の来賓や保護者にも起立を求める』…実施要綱に基づき本件卒業式を円滑に執り行う法律上の権利を有していたものである。」(P51)という、全く矛盾した記載があります。
私たちは、憲法に保障される権利とは主権者たる国民「個人」の基本的人権であり、行政の権限に対抗するものと理解しています。素人にも分かる原判決の矛盾を放置することは司法の恥ではないでしょうか。これは「法令解釈の誤り」ですから、口頭弁論を開いて改めることを要請します。
3,「公共の福祉」とは、校長の管理権・財産権と同義ではありません。
原判決は「憲法21条は,表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく,公共の福祉のために必要かつ合理的な制限に服することを是認するものであって…他人の財産権,管理権等の権利を不当に害することは許されない」(P50)と、表現の自由を「公共の福祉」で制限しました。
しかし私たちは「公共の福祉」とは個人間の権利を調整する概念であって、それを行政の権限と同義に扱ったらあらゆる批判的言論の自由が失われることになっておかしいと考えます。財産権・管理権等を唯一制限できるのが「公共の福祉」であって、財産権・管理権等が不可侵ではありえずましてイコール「公共の福祉」ではないのです。
2008年10月30日に勧告された「国連自由権規約委員会最終見解」のパラグラフ10には、この問題に触れて次のように書いてあります。
「…『公共の福祉』の概念が曖昧で、無限定であり、自由権規約で許容される限度を越えた制限がなされる可能性があることに対する懸念を再び表明する。…自由権規約で保障されている人権が「公共の福祉」を根拠として制限される場合は、規約で許容される限度を越えてはならないと明記すべきである。」
「立川反戦ビラ入れ事件」最高裁第三小法廷判決文においても「公共の福祉」による制限が用いられていましたが、その後で示された国連勧告に耳を傾けて、憲法と国際人権スタンダードに添った判決を書かれるよう要請します。
4,教育の現場で特に「表現の自由」は保障されるべきです。
表現の自由に関して「国連自由権規約委員会最終見解」はパラグラフ26で、次のように勧告しています。
「…締約国は、規約第19条及び第25条の下で保護されている政治活動及び他の活動を、警察、検察官及び裁判所が過度に制約しないように、表現の自由と参政権に対して課されたいかなる非合理的な法律上の制約をも廃止すべきである。」
藤田さんは社会科の教員として、常に憲法を尊重しつつ、生徒の利益を一途に考える姿勢で教育活動に従事し、そのおおらかな人柄も相俟って、多くの生徒から慕われてきました。藤田さんの訴えは、保護者・生徒の「思想良心の自由」を守ろうとする元教員としての信念から出たものです。一市民として呼びかけたその内容はいささかも他者(個人)の「権利」と衝突するものではなく、手段も一切物理力を用いない穏当なものであって、刑事罰に処せられるようなものでありません。
民主主義の定着は教室からと言われます。『(元)教育基本法』にうたわれていたように、民主的で文化的な国家の建設は根本において教育の力にまつべきものです。命令による教育は、教員の個性や創造性を押し殺し、生徒の心をむしばみます。まして教育の場における基本的人権の行使を「刑法」で裁くことは大変非合理な「法律上の制約」であって、憲法上の重大な疑義があると考えます。国際人権規約と憲法に則った公正な判決を要請します。
以上
最高裁判所 第一小法廷
泉 徳治 殿
甲斐中辰夫 殿
櫻井龍子 殿
宮川光治 殿
涌井紀夫 殿
2009年2月26日
藤田先生を応援する会
藤田先生を応援する会
<添付資料 1>「国連自由権規約委員会最終見解(抜粋)」
<添付資料 2>「板橋高校卒業式刑事弾圧事件 地裁判決へのマスコミの反応(見出しのみ)」
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