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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

新任免職取消裁判に勝利して

2011年02月03日 | こども危機
 ★ 新任免職取消裁判に勝利して
 戻った学校は疲弊の真っ只中 蝕まれていく教員の健康
井澤絵梨子●大阪教育合同労働組合

 原職復帰。それは,解雇され、撤回闘争を闘った者にとって、最大かつ最高と呼んでいい勝利の形。その原職復帰を勝ち取り、小学校現場を追われてから5年後の2010年4月1日、私は学校に復職した。
 ★ 嫌がらせの余裕もない現場
 「5年ぶりに子どもたちとの生活に舞い戻り、感慨深さはひとしおです」と、この場で報告したいところ。でも、現場はそう甘くない。これまで支援してくださったみなさん一人ひとりの顔を思い浮かべれば「私、毎日楽しくやっています」と笑顔で報告するのが恩返しだろうとは思うが、ごめんなさい。私,嘘はつけない質(たち)なんです。到底今の学校は「楽しく」働けるような職場ではない
 訴訟という手段で戻ってきた私を待っていた学校は、疲弊の真っただ中にあった。「戻りたい、戻りたい」と5年間言い続けてきたわけだが、こんなひどいところに戻りたいと言い続けていたのかと、過去の自分を不思議にすら思う瞬間がある。
 ただ、ひとつ幸いなことは、方々から心配されていた原職復帰に付きものの嫌がらせの類は一切ない。裏を返せば、それも今の学校現場には復職してきた私に嫌がらせをする余裕さえない。あるのは、あと三十数年働き続けられるだろうか、辞めざるを得なくなる状況と隣り合わせだという悲壮感だけ。ペテランでもいつ精神的にまいって休職に追い込まれるかもしれないのだから。
 嫌がらせがないとはいえ,復職後すぐの頃は初任者の1年にあった出来事と似たようなことがあるたび、「また何かされるんじゃないか」「嫌がらせをされるんじゃないか」と不安になり、鼓動が早くなってドキドキすることがしばしばだった。5年の間に裁判の中であることないこと、さんざん悪口を言われてきたのだ。何事もなかったように働けというほうが無理な話。
 ゴールデンウィークに入った途端、心労から40度近い熱を出して寝込んでしまい、メーデーにも参加できなかった。しかし、1学期も半ばに入る5月下旬には、ほぼそういうこともなくなり、ようやく職場に慣れてきた頃、変化が訪れた。
 ★ 舞い込んだ年度途中の担任
 年度当初、私は担任を持っていなかった。ところが、担任を持っている人が妊娠し、その後の担任を私に引き受けろと言うのである。
 年度途中の担任を喜んで引き受ける人は、そういない。産休育休の後だから、学級崩壊した後でないとはいえ、途中からの担任という仕事は、年度当初からという通常の仕事とは違った苦労がつきまとう。普通に担任するだけでも大変なのに。もちろん、長い教員人生、一度や二度、年度途中という人が嫌がる仕事を引き受けてもいい。しかし、復職したばかりという私が、どうしてこの年にやらなければならないのか。私はベテランでもなんでもない、経験値で言えばたった1年、加えて大きな5年というブランクを背負っている、いや、背負わされている未熟な教員でしかないのだから。
 一度は断った。しかし、産休の代替で来ることになる人が現場経験のない初めての人ということや、校内でも「井澤さんがやるんだよね」的な雰囲気をうすうす感じるようになり、そのプレッシャーにも耐えかねて、結局は引き受けざるを得なくなった。私にこんな仕事が回ってくること自体、今の学校現場の混乱を物語っているように思える。
 ただでさえ時間外労働が常態化している学校現場。担任を持った2学期から、私は猛烈に忙しくなった。それまでは定時に帰れる日もあったのだが、2学期以降皆無になり、賃金の支払われない労働(教員には、法律で残業という概念がそもそもない)が3時間という状況に甘んじるようになった。
 子どもはまだしも、なにより保護者対応がとんでもない。朝イチ、保護者に学校で待ち構えられていたこともあったし、時間外でもお構いなしに学校に電話が入る。
 くじけそうになると「このしんどさこそが原職復帰した証」と自分に言い聞かせ、これまで支援してくれた人たちの顔を思い浮かべながら一生懸命に働き続けた。しかし、そんなのずっとは続かない。「原職復帰しなければ、この苦しさも味わうことができなかった、みなさんのおかげです」などと格好いいことを言い続けていたら、つぶれてしまう。
 ★ まるで中毒状態の現場
 一時はなくなっていた「初任の時のことを思い出して…」というのが、両び襲うようになってきた。5年間、不当に現場から引き離されていたぶん、本当の意味で回復するのには同じだけの5年かかるかもしれないと思っては、またつらくなってしまう。
 それでもがんばれてしまうのが、この仕事の魅力であり、そして怖さでもある
 「今日の授業、おもしろかった!またやって」「先生できたよ!」「先生、来年も担任になって」
 疲れているのに、気力がどこからともなく湧いてくる。
 土日も持ち帰り仕事でほぼ休みがない。いつ倒れてもおかしくないぺースで働いているのに、子どもの笑顔だけでさらなる意欲が湧いてくる。休息をとっていないから、当然体も疲れたまま。なのに、頭だけが冴えてきて仕事をし続けられる。「これって、麻薬や…」と妙に冷静に考えている自分がいる。実際のものがどんなものか、手を出したことがないからわからない。けれど、不眠不休で働いてもがんばれてしまうのだから、これを麻薬と呼ばずに何と呼べばよいか。
 子どもの笑顔に出会うたび、教員としての喜びを感じる一方で、もう1人の自分がやめとけと、声かける。「危険なクスリ、手を出してはいけない!」。しかし、そう簡単にはいかない。私ががんばるとまた子どもが笑顔になるのだから。ああ、なんて魅惑的、とまた手を出して、がんばろうとしている私。これこそが学校という現場に潜む麻薬。なんとかしなくては。体が壊れてしまわないうちに。
 『労働情報』808号(2011/2/1)

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