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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

『令和から共和へ-天皇制不要論』(同時代社)の紹介

2022年03月26日 | 平和憲法

  《月刊救援から》
 ◆ いまこそ天皇制不要論
   フツーの共和制を求め

前田 朗(東京造形大学)

 ◆ 令和・共和・平和

 女帝論の隆盛と一気の衰退、平成天皇のビデオ・メッセージに始まる天皇代替り、浩宮の即位に伴う稚戯たっぷりの儀式、秋篠宮家長女と「海の王子」の結婚騒動、秋篠宮家長男の高校進学等々、相変わらずメディア戦略を駆使してお茶の間に登場する天皇制は、一方で「国民」の憫笑と同情の対象でありつつ他方で権限と権威の強化に余念がない。
 憲法は国事行為以外に天皇の公的行為を認めていないのに、いつの間にか勝手に「象徴としての責務」をつくりだし政府もメディアもこれに翼賛している。
 世論調査によると圧倒的多数の「国民」が天皇制を支持し、天皇代替わり儀式に身を乗り出し、皇室スキャンダルを楽しく消費している。「芸能スキャンダル天皇制」が確立したと言えよう。
 絶対天皇制から象徴天皇制への転換を果たし、裕仁という同一人格が神から象徴に横滑りする離れ業は大いに成果を得たとはいえ、「国民」の支持基盤は乏しかった。
 それゆえ息子の明仁は即位に際して「国民の皆さんとともに日本国憲法を守る」と言わざるを得なかった。
 一部の護憲論者は「天皇が護憲派になった」と大喜びしたが大いなる誤解であった。護憲派ならば「国民の皆さんに従って日本国憲法を守る」と言うべきだっただろう。憲法第九九条は天皇の憲法尊重擁護義務を定めている。
 裕仁の孫である徳仁(現天皇)は即位に際して「憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たす」と述べた。
 「国民の皆さんとともに」はなぜ消えたのか。「日本国憲法」ではなく「憲法」とは何を意味するのか。
 堀内哲編著『令和から共和へ-天皇制不要論』(同時代社)は天皇と天皇制に関する一〇本の考察と座談会を収録する。私も筆者の一人なので自著宣伝となって恐縮だが、図々しいとのご批判を甘受しつつ本書を紹介する。
 編者の堀内哲は『日本共和主義研究』(同時代社)の著者であり、編著に纐纈厚、山口正紀らとの共著『天皇条項の削除を!』(JCA出版)、池田浩士、平井玄らとの共著『いま共和制日本を考える』、杉村昌昭、斎藤貴男らとの共著『生前退位-天皇制廃止-共和制日本へ』、重信房子、日野百草らとの共著『天皇制と共和制の狭間で』(以上第三書館)がある。
 フツーの共和主義を日本に実現したいというフツーの思想を徹底擁護する気鋭の論者である。
 共和制移行による民主主義の発展、日米安保の終焉を見据え、令和から共和へ、そして平和への道筋を描く。
 ◆ 天皇制との格闘

 堀内の論考に続いて次の諸論文が収録されている。
 ○ 清水雅彦(日本体育大学教授、憲法学)「憲法から考える天皇制」
 ○ 久野成章(8・6ヒロシマ平和へのつどい前事務局長)・田中利幸(同・前代表、歴史学)「退位する明仁天皇への公開書簡」
 ○ 鵜飼哲(一橋大学名誉教授、現代思想)「天皇制とオリンピック・パラリンピック-日本型祝賀資本主義」
 ○ 島田裕巳(元日本女子大学教授、宗教学)「天皇のいない天皇制ー大統領を望まないのであれば」
 ○ 前田朗(人権論)「近代天皇制国家の植民地主義-先住民遺骨返還問題を素材に」
 ○ 武田康弘(教育者・哲学者)」私と共和制-楽しい公共社会を生むために」
 ○ 堀江有里(日本基督教団京都教区巡回教師)「天皇代替わりの時代にかかわる覚書ーキリスト教の異性愛主義を間う観点から」
 ○ 北野誉(反天皇制運動連絡会)「明仁天皇の言説をめぐる言説と徳仁」
 ○ 彦坂諦「想像レポート 徳仁がラストエンペラーになる日」
 また○ 彦坂諦、下平尾直(共和国代表)、堀江有里、金靖郎(反天皇制運動)、堀内哲による座談会「二〇一九年五月三〇日・天皇代替わりを終えて」が収録されている。
 憲法学、歴史学、現代思想、人権論、教育・哲学、反天連運動など多面的多角的に天皇制との格闘が行われている。
 ここにもう一つの問題が潜む。
 というのも、かつての「内なる天皇制論」に見られるように、日本古代史から近現代史に至る射程、政治・経済・社会・文化に及ぶ領域、弾圧と仁慈の両面性など膨大な論点を有するため、天皇制論を突き詰めれば詰めるほど、天皇と天皇制が肥大化し、論者が脚を掬われる構図ができ上がる。
 天皇問題は日本国問題であり日本社会問題であり、論者は勝手に身動きが取れなくなる。身分差別、外国人差別、性差別の核芯であるから、歴史批判であれ身分制批判であれ階級批判であれ、天皇批判が自己批判に還り、思想が思想を呪縛し、現実が思想を解体する危険が高い。
 「たんに天皇制廃止に留まらず、『自己決定権』という意味での共和主義者を導入」しようという堀内は「天皇制廃止後のイメージは自由でいい」と述べつつ、「天皇制という無責任体制」から脱却するために、自己責任による天皇制批判の理路を模索する。
 本書がこれまでの天皇制論に何を付け加えたことになるのか。逆に何が不足しているのか。執筆者の一人である筆者には判断しかねるが、一人でも多くの読者からの厳しい批評を仰ぎたい。
『月刊救援 635号』(2022年3月10日)


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