◆ 第11回「日の丸・君が代」問題等全国学習・交流集会用資料
裏面、斎藤貴男さんの『カルト資本主義 増補版』序文にある文章が、この訴訟の意義をたいへんコンパクトに良くまとめてくださっています。
ここに紹介されている一次訴訟は、裁判官忌避など、できる手段はすべて取りましたが、本年1月6日、却下判決が確定してしまいました。しかし、この五輪憲章違反の記述を記載し続ける『五輪読本』は毎年、小4以上の私立を含めた児童生徒に渡されるので、私たちは2019年5月に第二次訴訟を起こし、今、東京地裁で争っています。
この訴訟の主要な争点は「五輪大会における『選手団(NOC)の旗・歌』を児童生徒に『国旗・国歌』として認識させる教材による学習を事実上強制させている被告・都教委の教育行政の実態の法的適否の認定」です。
被告都教委の主張は以下の①~④です。
また、私たちの会の代表・高嶋伸欣先生によりますと、本年3月26日結果が公表された高校教科書の2020年度検定において、これまでにない事態が生じていたということです。
高校の新科目「歴史総合」のある教科書で、1964年東京五輪大会の開会式写真に「参加94か国、約7000人の選手が入場行進した」という説明を付けたら「生徒が誤解するおそれのある表現である」として、修正指示の検定意見が付いたのです。
修正後の検定合格記述は「参加した94の国・地域の選手団が入場行進した」となりました。注目すべきなのは、修正指示の理由が「誤り(誤記)」ではなく、「生徒が誤解するおそれのある表現である」という点です。
要するに「国」だけでの表記では、非国家領域のNOCによる選手団も参加している競技会であること、さらには非国家領域のNOCによる参加者であろうと国家単位の領域のNOCによる参加者であろうと同等の資格と権利を保障されている、極めて公平な競技会であること、また、国威発揚に直結しやすい国家間の成績・メダル数の競い合いではないこと、など五輪の基本理念に気付きにくく、生徒が不十分な理解で終わってしまう…つまり、誤解する…おそれがある、ということなのです!
これは、もちろん、裁判に証拠として提出しています。
都教委は都民の莫大な税金を使いながら、オリンピックを国威発揚に政治利用して「NOCの旗・NOCの賛歌」であるものを「国旗・国歌」と児童生徒にイメージ付ける教育施策を遂行してはばからないのですから、本当に悪質です。
私たちはこの裁判で勝訴が有り得ないことは分かっていますが「この記述は五輪憲章に照らし誤りである」というぐらいは判決に書いてほしいと願って闘い続けます!
◎ オリンピック裁判
訴状
1 被告は原告ら(当事者目録記載49・84を除く)に対して、東京都監査委員が、「東京都教育委員会が2016年3月況日に、自己の作成した『オリンピック・パラリンピック学習読本』・映像教材DVD・教師用指導書を、東京都内の全ての小学校・中学校・高等学校で配布したが、この配布のために金1億6285万4239円を支出した行為について、この財務会計行為が違法無効であった」と認定しなかったことが違法であることを確認せよ。
二〇一七年五月、都内在住の大学名誉教授・高嶋伸欣(のぷよし 一九四二年生まれ)ら九十二人が東京地裁で、東京都教育委員会を相手取り、右記の支出は違法であるから東京都に返還するよう求める損害賠償請求訴訟を起こした。
訴状によれば、理由は前記『読本』のたとえば小学校用の六五ページ〈表彰式の国旗掲揚では、国歌が流されます〉や、また中学校用の八九ページ〈中央に1位、向かって左側に2位、右側に3位の国旗が掲揚され、-位の国の国歌が演奏される。国歌が演奏されるときには、敬意を表し、起立して脱帽する〉等の記述が、オリンピック憲章に明らかに違背するからだ、という。
原告代表の高嶋に会った。二〇一八年十一月、彼らが最終弁論の機会も与えられないまま、鈴木謙也裁判長によって強引に結審されて間もない時期だった。
「オリンピック憲章には、国歌とも国旗とも書かれていません。〈優勝者の所属する選手団の歌〉、〈選手団の旗〉なんです。IOCに加盟しているのはのCountryですから、日本語に訳すときは「国および地域」であって、「国」とは限らない。香港やグアムなどが参加している事実からも、そのことは明白でしょう。
台湾が国旗でなく梅の花をデザインした旗を用いているのも、選手団を派遣している台湾のオリンピック委員会が大会組織委員会に登録したからで、共通ルールと異なる特別規定を適用したわけではありません。
クーベルタンによって復活された近代オリンピックも、古代オリンピックの精神に立つことを理念とし、それがこの憲章になって示されている。競い合うのは選手間あるいはチーム聞の技であり、国家聞の競争などではないということですね。個人の人間性や能力にこそ、国家聞の政治的対立を凌駕する価値が見出されていた」
しかるに都教委は、その気高い精神を承知の上で捻じ曲げ、悪質にもオリンピックを、子どもたちのナショナリズムを煽るあからさまな道具として利用した。そういうことになる。
もっともオリンピック憲章はかなり頻繁に改訂されてきているのも現実で、二〇〇四年版以降の表彰式に関わる条文には、このあたりの規定がやや暖昧にされている。大衆のナショナリズムを刺激することでマーケットを拡大したいオリンピック・ビジネスの意向が反映されたようだが、だからといって国旗・国歌に変更してしまえば開催の意義そのもカルト国家の愛国・道徳、オリンピック狂騒曲のが消滅する。条文上もそこまでは堕落していない以上、どこまでも「選手団の歌、旗」でなければならないのが当然だ。
どだい、オリンピックの表彰式で演奏される歌は、旗の掲揚に合わせた長さに調整されている。その旗にしても縦二、横三の比率という規格に統一されている。よほどの偶然でない限り、国歌や国旗そのものであるはずもないのである。
都教委のやり方に気づいた原告たちは、住民監査請求も『読本』などの取り消しを求める行政訴訟も却下されて、やむなく損害賠償請求に辿り着いた。オリンピックをダシにした一大ナショナリズム・ムーブメントは、政財官・教育・マスコミ界が一体となって、挙げ句の果てに歴史修正主義にまで陥ってしまった。
「以前はここまでは酷くなかった。一九九八年の長野冬季オリンピックの時も、私は大会組織委員会に、“国旗、国歌”じゃない、「選手団の旗、選手団の歌」なのだ。という要望書を出したのですが、彼らは基本的には理解してくれたし、マスコミの大方もそう書き、放送してくれました。やがて年を追うごとに、“国”を強調したがってきたのですが・・・。
でも、同じ東京オリンピックでも、二〇一六年大会の招致活動の時にやはり小中学生と高校生向けに都教委が監修し、東京都とJOCが発行した『未来と結ぶオリンピック~勇気・地球・共生』は、正しいことが書いであったんですよ。あの石原慎太郎都知事が言い出して始めた招致だったのに」
高嶋が苦笑した。こんなところでも強権体制への「忖度」が働いている。
伝記映画「ハンナ・アーレント」で、主人公のユダヤ人哲学者ハンナが、ホロコーストの最高責任者だったアドルフ・アイヒマン(一九〇六~六二)の人柄を裁判などを通して知り、ただ上の命令に従うだけの平凡な“普通の人”でしかなかったと認識したくだりを思い出した。
現代日本における国家カルトの状況と、とてもよく似ている。
ある日突然に顕れた現象ではない。こうなるに至った萌芽はすでに一九九〇年代後半の企業社会で散見され、私もその実態を書いていた。以下の七章がその報告だ。
増田都子「五輪読本に関し、違法不当な都教委等を訴える会」事務局
裏面、斎藤貴男さんの『カルト資本主義 増補版』序文にある文章が、この訴訟の意義をたいへんコンパクトに良くまとめてくださっています。
ここに紹介されている一次訴訟は、裁判官忌避など、できる手段はすべて取りましたが、本年1月6日、却下判決が確定してしまいました。しかし、この五輪憲章違反の記述を記載し続ける『五輪読本』は毎年、小4以上の私立を含めた児童生徒に渡されるので、私たちは2019年5月に第二次訴訟を起こし、今、東京地裁で争っています。
この訴訟の主要な争点は「五輪大会における『選手団(NOC)の旗・歌』を児童生徒に『国旗・国歌』として認識させる教材による学習を事実上強制させている被告・都教委の教育行政の実態の法的適否の認定」です。
被告都教委の主張は以下の①~④です。
①「日本オリンピック委員会(JOC)」が作成した「五輪憲章」等の日本語訳においては原本英文の「選手団の旗」を「国旗」と訳していることこの④の主張ときたら「少数者は無視していいんだ」という、まさにイジメの論理です。こんな人たちが都の教育行政を牛耳っているのはたまりませんね。
②日本国内の新聞等、多くのマスコミ、メディアが「選手団の旗」を「国旗」と表記した報道をなしている事実が「公知のもの」として存在すること
③文部科学省の教科書検定に合格した教科書において、五輪の表彰式では「競技に優勝した選手の国揚げ」等の記述が掲載されていること。
④五輪大会参加のNOCの数は200を超えているが,非国家領域のNOCの数はその1割にも満たず、「ほとんどは独立国を母体」としたNOCであるのと比較して「例外」であるので、「一部の例外を除き、国旗及び国歌と同じものを指すから」五輪で用いる旗・歌(曲)を「国旗・国歌」と表現することに、五輪憲章との齟齬は何ら存在しないこと(「被告準面1」19p)
また、私たちの会の代表・高嶋伸欣先生によりますと、本年3月26日結果が公表された高校教科書の2020年度検定において、これまでにない事態が生じていたということです。
高校の新科目「歴史総合」のある教科書で、1964年東京五輪大会の開会式写真に「参加94か国、約7000人の選手が入場行進した」という説明を付けたら「生徒が誤解するおそれのある表現である」として、修正指示の検定意見が付いたのです。
修正後の検定合格記述は「参加した94の国・地域の選手団が入場行進した」となりました。注目すべきなのは、修正指示の理由が「誤り(誤記)」ではなく、「生徒が誤解するおそれのある表現である」という点です。
要するに「国」だけでの表記では、非国家領域のNOCによる選手団も参加している競技会であること、さらには非国家領域のNOCによる参加者であろうと国家単位の領域のNOCによる参加者であろうと同等の資格と権利を保障されている、極めて公平な競技会であること、また、国威発揚に直結しやすい国家間の成績・メダル数の競い合いではないこと、など五輪の基本理念に気付きにくく、生徒が不十分な理解で終わってしまう…つまり、誤解する…おそれがある、ということなのです!
これは、もちろん、裁判に証拠として提出しています。
都教委は都民の莫大な税金を使いながら、オリンピックを国威発揚に政治利用して「NOCの旗・NOCの賛歌」であるものを「国旗・国歌」と児童生徒にイメージ付ける教育施策を遂行してはばからないのですから、本当に悪質です。
私たちはこの裁判で勝訴が有り得ないことは分かっていますが「この記述は五輪憲章に照らし誤りである」というぐらいは判決に書いてほしいと願って闘い続けます!
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◎ オリンピック裁判
訴状
1 被告は原告ら(当事者目録記載49・84を除く)に対して、東京都監査委員が、「東京都教育委員会が2016年3月況日に、自己の作成した『オリンピック・パラリンピック学習読本』・映像教材DVD・教師用指導書を、東京都内の全ての小学校・中学校・高等学校で配布したが、この配布のために金1億6285万4239円を支出した行為について、この財務会計行為が違法無効であった」と認定しなかったことが違法であることを確認せよ。
二〇一七年五月、都内在住の大学名誉教授・高嶋伸欣(のぷよし 一九四二年生まれ)ら九十二人が東京地裁で、東京都教育委員会を相手取り、右記の支出は違法であるから東京都に返還するよう求める損害賠償請求訴訟を起こした。
訴状によれば、理由は前記『読本』のたとえば小学校用の六五ページ〈表彰式の国旗掲揚では、国歌が流されます〉や、また中学校用の八九ページ〈中央に1位、向かって左側に2位、右側に3位の国旗が掲揚され、-位の国の国歌が演奏される。国歌が演奏されるときには、敬意を表し、起立して脱帽する〉等の記述が、オリンピック憲章に明らかに違背するからだ、という。
原告代表の高嶋に会った。二〇一八年十一月、彼らが最終弁論の機会も与えられないまま、鈴木謙也裁判長によって強引に結審されて間もない時期だった。
「オリンピック憲章には、国歌とも国旗とも書かれていません。〈優勝者の所属する選手団の歌〉、〈選手団の旗〉なんです。IOCに加盟しているのはのCountryですから、日本語に訳すときは「国および地域」であって、「国」とは限らない。香港やグアムなどが参加している事実からも、そのことは明白でしょう。
台湾が国旗でなく梅の花をデザインした旗を用いているのも、選手団を派遣している台湾のオリンピック委員会が大会組織委員会に登録したからで、共通ルールと異なる特別規定を適用したわけではありません。
クーベルタンによって復活された近代オリンピックも、古代オリンピックの精神に立つことを理念とし、それがこの憲章になって示されている。競い合うのは選手間あるいはチーム聞の技であり、国家聞の競争などではないということですね。個人の人間性や能力にこそ、国家聞の政治的対立を凌駕する価値が見出されていた」
しかるに都教委は、その気高い精神を承知の上で捻じ曲げ、悪質にもオリンピックを、子どもたちのナショナリズムを煽るあからさまな道具として利用した。そういうことになる。
もっともオリンピック憲章はかなり頻繁に改訂されてきているのも現実で、二〇〇四年版以降の表彰式に関わる条文には、このあたりの規定がやや暖昧にされている。大衆のナショナリズムを刺激することでマーケットを拡大したいオリンピック・ビジネスの意向が反映されたようだが、だからといって国旗・国歌に変更してしまえば開催の意義そのもカルト国家の愛国・道徳、オリンピック狂騒曲のが消滅する。条文上もそこまでは堕落していない以上、どこまでも「選手団の歌、旗」でなければならないのが当然だ。
どだい、オリンピックの表彰式で演奏される歌は、旗の掲揚に合わせた長さに調整されている。その旗にしても縦二、横三の比率という規格に統一されている。よほどの偶然でない限り、国歌や国旗そのものであるはずもないのである。
都教委のやり方に気づいた原告たちは、住民監査請求も『読本』などの取り消しを求める行政訴訟も却下されて、やむなく損害賠償請求に辿り着いた。オリンピックをダシにした一大ナショナリズム・ムーブメントは、政財官・教育・マスコミ界が一体となって、挙げ句の果てに歴史修正主義にまで陥ってしまった。
「以前はここまでは酷くなかった。一九九八年の長野冬季オリンピックの時も、私は大会組織委員会に、“国旗、国歌”じゃない、「選手団の旗、選手団の歌」なのだ。という要望書を出したのですが、彼らは基本的には理解してくれたし、マスコミの大方もそう書き、放送してくれました。やがて年を追うごとに、“国”を強調したがってきたのですが・・・。
でも、同じ東京オリンピックでも、二〇一六年大会の招致活動の時にやはり小中学生と高校生向けに都教委が監修し、東京都とJOCが発行した『未来と結ぶオリンピック~勇気・地球・共生』は、正しいことが書いであったんですよ。あの石原慎太郎都知事が言い出して始めた招致だったのに」
高嶋が苦笑した。こんなところでも強権体制への「忖度」が働いている。
伝記映画「ハンナ・アーレント」で、主人公のユダヤ人哲学者ハンナが、ホロコーストの最高責任者だったアドルフ・アイヒマン(一九〇六~六二)の人柄を裁判などを通して知り、ただ上の命令に従うだけの平凡な“普通の人”でしかなかったと認識したくだりを思い出した。
現代日本における国家カルトの状況と、とてもよく似ている。
ある日突然に顕れた現象ではない。こうなるに至った萌芽はすでに一九九〇年代後半の企業社会で散見され、私もその実態を書いていた。以下の七章がその報告だ。
『カルト資本主義』増補版
二〇一九年三月十日第一刷発行
著者 斎藤貴男(さいとうたかお)
発行者 喜入冬子
発行所 株式会社筑摩書房
二〇一九年三月十日第一刷発行
著者 斎藤貴男(さいとうたかお)
発行者 喜入冬子
発行所 株式会社筑摩書房
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