◆ 元教職員ら市民が「中止」に追い込む
神奈川県立高校「菅義偉政治講演会」騒動の顛末
神奈川県教育委員会(以下、県教委)が五月三十一日、ホームページ(以下、HP)に「六月十三日に県立瀬谷西高校(小林幸宏校長。以下、瀬谷西高)の体育館で菅義偉(よしひで)前首相による三年生全員向け政治参加講演会を実施する」という旨の記者発表を掲載した。
これに対し、元教職員や大学教授、保護者ら市民が反発。「参院選公示直前、(選挙権の十八歳への引き下げで)有権者になっている人も多い三年生を対象に、特定政党の議員だけ講演させるのは、学校教育での政治的中立性違反だ」などと多くの反対意見を寄せた。
そして十一人の元教職員ら市民は六月七日、県教委と瀬谷西高に、中止を求める要請行動を行ない、賛同団体が七〇団体、個人賛同が四一三人に上る署名を提出した。
また、地元紙の神奈川新聞は六月三日、「県立高で菅氏講演企画/中立逸脱中止を求める」と題する社説を掲載。
瀬谷西高には一三件超、県教委にも二〇〇近い中止を求める電話・メール・ファックス・葉書が届くなか、県教委は六月八日、「本日、講演者側からスケジュールの都合上、急遽出席できなくなった旨の連絡がありました。ついては、本講演会を中止としました」とHPに掲載した。
小林校長と県教委が菅氏による政治講演会(以下、菅氏政治講演会)を企画し、了承した経緯、問題点は?筆者の取材と、反対意見を寄せた市民への聞き取り等をもとに、リポートする。
◆ 菅氏政治講演会を働きかけた県議
県教委の五月三十一日時点の記者発表は、「(瀬谷西高は)令和4年度をもって再編統合により完校(注・廃校のこと)となります。このたび、完校記念事業で、同校が取り組んできたシチズンシップ教育の一環として、高校三年生を対象に、菅義偉前首相による政治参加に関する講演会を実施します」というものだった。
菅氏政治講演会を瀬谷西高が企画したのは、菅氏の”子分”である田村雄介県議(四十二歳。瀬谷区選出)が今年三月から学校に働きかけてきたのがきっかけだ。当初はインタビューする形で実施予定だったが、「せっかくだから講演を」ということになった。
時間配分は「生徒の活動しているDVD」を菅氏と一緒に見るのが約一〇分、菅氏講演が約二〇分、意見交換が約一〇分の計五〇分以内と設定していた。
田村氏は二〇一九年の神奈川県議選の際、知人などを介し、インターネット掲示板等に、対立する立憲民主党・五十嵐節馬候補を誹諦中傷する内容を書き込み、名誉毀損容疑で神奈川県警に書類送検された人物だ。自民党県議団の会派を離団し、現在は一人会派「横浜瀬谷区の会」に所属している。
複数の市民が「書類送検された県議が菅氏政治講演会開催を仲介した事実への見解」を問うたが、県教委の職員は「中止になったこともありコメントできない」としか答えなかったという。
ところで六月十七日の県議会本会議代表質問で、「今回の講演会に係る一連の出来事をどのように受けとめていたけとるか」と問うた立憲民主党の中村武人県議に対し、県教委トップ・花田忠雄教育長は、①「二月二十八日に立憲民主党の山崎誠衆院議員と瀬谷西高の生徒代表がオンラインで博覧会(後述)について意見交換を行なった」ことと、②「菅氏政治講演会」とが、”同列”であるかのように答弁した。
中村氏は再質問で、①の意見交換と「学校教育法で規定されている組織としての行為、すなわち学校カリキュラムとしてリアルで行う②の講演会」とは「全く別問題だ。(②が)結果として学校や関係者に混乱を招いたのは否定できない」と反論した。
①は放課後に代表生徒四人だけで実施したもので、教育課程内の総合学習の授業(出席カウントあり)で全三年生二八九人対象の②と、同列でないのは明白だ。
◆ 政治的中立性は?
教育基本法第十四条は第一項で「良識ある公民として必要な政治的教養は、教育上尊重されなければならない」と規定。文部科学省は一五年十月二十九日付の各都道府県教育委員会等宛通知で、この第一項を踏まえた「政治的教養を育む教育」を推奨している。
他方で、第二項の「法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない」に関し、同通知は「政治的中立性を確保することが求められるとともに、教員については、(略)公正中立な立場が求められており、教員の言動が生徒に与える影響が極めて大きいことなどから法令に基づく制限などがあることに留意することが必要です」とも記載している(これが学校現場を萎縮させる向きもあるが、紙幅の関係で本稿では論じない)。
県教委の五月三十一日の記者発表は、「講演のテーマは横浜国際園芸博覧会、2050年カーボンニュートラル宣言等」と記載している。
菅氏政治講演会は政治的中立性に違反しないか、関係する事実を二つ挙げたうえで考える。
1 講演テーマのうち博覧会は、林文子前市長の下で企画。瀬谷西高のある瀬谷区と旭区にまたがる在日米軍・上瀬谷通信施設跡地(広さ約二四ニヘクタール、東京ドーム五二個分)で、二七年三月から六カ月間開催する計画だ。
自民党は今年四月十三日、「2027横浜国際園芸博覧会(2027花博)推進特命委員会」を設置し、菅氏はその特別顧問だ。また、一般社団法人2027年国際園芸博覧会協会の会長は、日本経団連会長で住友化学会長の十倉雅和氏。”花博”とはソフトな名だが、政財界主導の大イベントなのだ(「自然との調和」を謳いつつ、会場敷地整備等で多額の公費を支出、大規模な開発を行なうので、反対意見が多くある)。
2 講演テーマの最後にある「等」に、保守政党の特異な政策の、憲法九条改悪や敵基地攻撃論、集団的自衛権行使、”愛国心・君が代”強制等、ミリタリズムや国家主義を紛れ込ませてこないか、という不安が市民にはかなりある。
1・2の事実を踏まえ、筆者は六月二十一日、県教委高校教育課の増田年克課長に電話取材した。
まず、「1や2は人々の間で、意見が大きく分かれる。もし2の『等』で、菅氏が改憲等の自説を主張したり、生徒から『九条を守って』という意見が出て菅氏が反論してきたりしたら、政治的中立性は保てるのか」と問うた。
増田氏は「中止になったので、あくまで仮定の話だが」「もし実施の場合は私と指導主事が学校に行く予定だった」と前置きしたうえで、「菅氏の事務所には『政治的中立性は守ってほしい』と言って二つのテーマを伝えていたから、これ以外お話しなさることはないと考えるが、もしも(菅氏が改憲等の政治的自説を主張する等)不測の事態が生じた場合は、その場か菅氏退出後、私たちから生徒に『別の見解もある』等フォローすることになる」と答えた。
次に、筆者は「東京都教育委員会は一四年十一月、”宿泊防災訓練”と称し、都立大島高校の二年生全三五人中、保護者が承諾した十六人を“学校行事”として陸上自衛隊武山駐屯地に連れて行き、隊員の号令一下、行進訓練させたり、自動小銃を持つ戦闘服の隊員の突撃シーンのスライドを見せたりしている。こういうことをもし、神奈川の学校がやろうとしたらどうするか」と問うた。
増田氏は「政治的中立性の担保のうえから、今お話しなさった『高校生を授業の一環で自衛隊駐屯地に連れて行って…』というのは、われわれのフィルターには通らない。つまり、やらせないということ」と明言した。
筆者は続けて、文科省・総務省が発行する主権者教育副教材『私たちが拓く日本の未来』の教員用Q&Aが「議員等を招く場合には、学校の政治的中立性を確保するために、議会事務局等と連携し、複数の会派を招くことも含め、生徒が様々な意見に触れることができるようにするといった工夫を行うことが期待されます」と記述している事実を指摘した(下線は筆者)。
増田氏は「誤解されないように」と前置したうえで、「そのQ&Aの前後の項目の文末表現は『…必要です』が多いのに比べ、該当箇所は『…期待されます』と、少し弱い表現になっている。また今回、県議会事務局に相談しなかったのは、国会議員だから。県議だったら当然、議会局に相談していた」と述べた。
そして「今回のように一つの政党の議員だけを招こうというのは、どこの学校でもOKではなく、瀬谷西高はシチズンシップ教育や花博に関連するフラワーロードの植栽の活動に取り組んできた素地があったから。他の学校なら(菅氏だけ招くという)同じ判断にはならなかっただろう」と付言した。
最後に、筆者は「六月八日の記者発表は、中止理由を『スケジュールの都合』としか言っていない。政治的中立性に違反したという反省はないのか?」と質した。
増田氏は「講演は中止になったが、シチズンシップ教育の一環であり、今も政治的中立性に違反しなかったと思っている。だが、様々な反対意見は受けとめて今後に活かしていかなければいけない」と回答した。
ところで市民の一部からは「学校現場で反対する人はいないのか」という声が出ている。
瀬谷西高に電話すると、教頭が「五月十九日の職員会議で『本校が取り組んできたことがテーマ。政治的なものではない』等、講演の趣旨を説明した。教職員から反対意見は出なかった」と回答。
都教委が学校管理運営規則を改悪し、職員会議を校長の補助機関にした”職員会議の伝達機関化”は、全国の教委・学校に”伝染”してしまった。
お上の言いなりの学校を変えるには、今回のような粘り強い市民運動、そして参院選とその後の衆院選でのリベラル派の議員増、この車の両輪しかない。
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