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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

大阪府中原教育長“口元チェック”抗議声明

2013年09月27日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 ◆ 憲法違反の“口元チェック”通達を撤回せよ!
   ―教師と生徒の「内心の自由」と「教育の自由」を守れー


大阪府教育委員会 陰山英男委員長様
         中原 徹教育長様
『日の丸・君が代』強制反対・不起立処分を撤回させる大阪ネットワーク(代表:黒田伊彦)
グループZAZA(「君が代」不起立処分に対し、人事委員会に不服申立をして闘っている当該11人のグループ)
2013年9月24日
連絡先:「日の丸・君が代」強制反対・不起立処分を撤回させる大阪ネットワーク 事務局長:山田光一

 大阪府教育委員会は、2013年9月4日教育振興室長名で、9月に卒・入学式を行う府立学校に「平成25年度秋季卒業式及び入学式の実施について」と題し、「国歌斉唱時の教職員の起立斉唱については、別添『入学式及び卒業式等ににおける国歌斉唱の対応について』を遵守し、対応すること」を含む通知を出した。この通知は高等学校・支援学校の全府立学校にも出され、いわゆる「口元チェック」を徹底せんとするものである。
 1 "口元チェック"は最高裁も認めない「直接的制約」である
 最高裁は、「職務命令による『君が代』の起立・斉唱の強要は、歴史観・世界観にもとづく思想・良心への間接的制約となるが、慣例上の儀礼的所作であり、直接的制約にならない」旨を判示している。が、しかし、起立しても口パクではなく、声を出して歌っているかどうかの点検は、思想・良心への直接的制約であり、憲法第19条の『思想・良心の自由』に反する明らかな人権侵害である。
 2009年9月9日の大阪高裁判決は、「・・・とりわけ『歌う』という行為は、個々人にとって情感を伴わざるを得ない積極的行為であるから、これを強要されることは、内心の自由に対する侵害となる危険性が高い。従って、『君が代』斉唱しない自由も尊重されるべきである。」と述べている。この確定判決を、大阪府教育委員会は遵守すべきである。
 2 「目視による現認と報告」は、『思想・良心の自由』を侵し、個人情報保護条例に違反する
 (1)  中原徹教育長が9月に作成すると称していた『君が代』の起立・斉唱に関する"客観基準"であるとする「別添 入学式及び卒業式等における国歌斉唱時の対応について 平成25年9月4日」において、「2 校長・准校長の職務」として「(1)入学式及び卒業式等において国歌斉唱を行う際は起立により斉唱するよう教職員に対し通達を行っており、この趣旨を徹底するよう職務命令を行う。」としている。
  だが、「国旗・国歌法」にも「君が代」の起立・斉唱義務はない。また、府教委が「1 根拠法令・通知」としてあげる学習指導要領には、生徒に「国歌を斉唱するよう指導するものとする。」とあるが、生徒も教職員も起立し斉唱する義務は規定されていない
  さらには、府教委が「1 根拠法令・通知」としてあげる、2011年6月13日施行の「大阪府の施設における国旗の掲揚及び教職員による国歌の斉唱に関する条例」は、1976年5月21日の最高裁による「旭川学テ判決」「教育内容への国家的介入の抑制法理」にも反するものである。「旭川学テ判決」は、「政党政治の下で多数決原理によってなされる国政上の意思決定は、さまざまな政治的要因によって左右されるものであるから、本来、人間の内面的価値に関する文化的営みとして、党派的な政治理念や利害によって支配されるべきでない教育に、そのような政治的影響が深く入りこむ危険があることを考える時、教育内容に対する右のごとき国家的介入については、できるだけ抑制的であることが要請される。」と判示した。
  教育活動としての入学式及び卒業式での、教職員への「君が代」起立・斉唱義務を強要する上記の大阪府の条例は、法的安定性をもたず、「旭川学テ判決」に反するものである。また、この条例は、「思想・良心の自由は、これを侵してはならない。」という憲法第19条と、「一切の表現の自由は、これを保障する。」とした憲法第21条に違反しており、この憲法に違反する上記大阪府の条例は、無効と知るべきである。
 (2)さらに「教職員の起立と斉唱をそれぞれ現認する。現認については、"目視"により、教頭・事務(部)長が行う」としている。事務(部)長には、教職員の教育内容にかかわる起立・斉唱行為に関与する権限はない。目視により「口パク」でなく、「歌っていた」と確認できる保障はない。だから「総合的に現認」するとして、生徒や保護者・来賓等による「密告」が奨励されるのだ。相互監視の暗黒社会の到来である。今まで起立することで、斉唱していると見なしてきたが、別々にその対応を現認せよということである。
 (3)それ故「実施状況について報告する」内容の例示として別紙3に職・氏名と共に「起立斉唱していない」、「起立していたが不斉唱」などが示されている。
 これは、大阪府の個人情報保護条例の第7条の「5.実施機関は、次に掲げる個人情報を収集してはならない」として「思想、信仰、信条、その他の心身に関する基本的な個人情報」をあげていることに反している。「君が代」の起立斉唱が「思想・信仰・信条」に関係していることは論を待たないのである。
 また前掲の大阪高裁の判決でも「『君が代』という国家が担ってきた戦前からの歴史的役割に対する認識や歌詞の内容から、『君が代』に対する負のイデオロギーないし抵抗感を持つ者が、その斉唱を強制されることを思想・信条の自由に対する侵害であると考えることには、一理ある」と判示しているではないか。
 3 「密告」「相互監視」の暗黒社会をつくり出す「総合的現認」
 通知は「3 不起立・不斉唱の判断基準」として、「公務員の起立斉唱を求める職務命令の主旨は、・・・公務員として誠意ある姿勢・態度を客観的に生徒・保護者を含む府民に示」すことにあるとしている。これは、校長等管理職の職場支配が貫徹していること、即ち「悪法も法なり」と命令に絶対服従の軍隊的統制秩序が確立していることを示すということである。教職員は、己の良心を捨て権力の奴隷になれということである。
 教育がEducationといわれ、Educe(=隠れた自分の力を引き出す)という語義からきていることから見ても、子どもが社会に多様な価値観があることを学び、その中で自主的に考え、自らの思想・良心を形成しつつ、自由かつ独立の人格を発達させる場が学校である。そのためには、教師に教育の自由が保障されなければならない。教育の自由とは、思想・良心の自由、学問の自由が保障され、侵されない中で、育まれるものである。戦時中の教育勅語と治安維持法体制下の権力の走狗に、教職員を貶めてはならないのだ。
  更に、「起立行為または斉唱行為の一部だけを取り上げ形式的に判断するのではなく、各職員の起立または斉唱行為を総合的に現認し」としている。総合的に現認するとは何か。目視による現認だけでなく「総合的」という文言によって、教職員、生徒、保護者、来賓の議員等の「通報・情報提供」という「密告」、世にいう「チクリ」を判断の根拠にする危険性があるといえる。府立高校で、大阪維新の会の府会議員の「歌っていない教師がいる」との校長への通報により、本人を問いただし、「唄っていなかった」と自白強要まがいのことをして、厳重注意処分をした事例があるからである。密告、相互監視で教職員間に分裂と対立をもちこみ、教育活動本来の協働性・集団性を破壊し、相互不信をつくり出す危険をもっている。そして教師集団だけでなく、保護者、生徒らと教師の間に相互不信が生まれ、人格形成上由々しき状況をつくり出す危険がある。
  また判断基準として、「十分な誠意ある姿勢・態度を各職員がとっているか否かという観点で判断すべきである」としている。誠意とは、「私欲のない、邪曲のない純粋なこころ」「邪曲とは、よこしま。不正。非道」と広辞苑では語義解釈されている。すなわち誠意ある姿勢・態度とは、「私欲による不正やごまかしをしない」との意味になる。風邪でマスクをし、頭痛のため手で頭をおさえたり、気分が悪く下を向いていたりすると、故意に「目視」を妨げている行為と見なすという意味にとれる。マスクも、目視されないで、処分をのがれる「私欲」=自己防衛の誠意なき行為と判断されるのである。誠意ある姿勢・態度が、身体的行為の画一化により、身体的苦痛を強制する人権侵害になることや、更に「誠意ある」行動の判断が客観的でなく、きわめて主観的になることの危険性を持っている。この恣意的な支配の論理は、許されるべきものではないことは明白である。風邪をひいて、人にうつしてはならないとマスクもできないのは、憲法第18条の「何人もいかなる奴隷的拘束も受けない」との条項に反する、即ち憲法違反である。
 4 教師の率先垂範の強要による天皇と国家への忠誠表明の観念を子どもに注入する誤り
 自主性と集団的協調性を重んじる特別活動の中で卒・入学式のみ行動を規定し、教職員の起立と君が代斉唱の有無まで点検する目的は何か。それは、
 ①教員に、「率先垂範」させることで、起立斉唱が無条件に正しいこと、当然のこととして子どもたちに信じ込ませ、観念させる。
 ②不起立の教員を処分することで、「不起立は悪いこと」と信じ込ませる
 ③このことは国家・公権力の命令は絶対的なもの、国家は誤ったことはないという観念を刷り込んでいく。
 ④儀式のもつ同一行動の集団的拘束性は、同調強制の精神的圧力となり、集団心性を創り出す。それは個々人の思考停止をもたらし、命令に対し無条件反射的な行動をとらせてしまう。
 ⑤「君が代」斉唱時の直立不動による緊張と醸し出される静寂さ、厳粛性は、「君が代」の歌詞にあるように、天皇制のカリスマ性を増大させる「感情の共同体」(有本由紀)の一体性を作り出す。
 ⑥それは戦時中の皇国史観、国家神道による「現人神天皇」への忠誠表明という宗教性をもった「君が代」の起立斉唱行為を引き継いだものである。
 ⑦教育勅語による教育体制の中で強制されてきた起立斉唱の行動が、「慣例上の儀式的所作」とされ、大多数の人々の社会通念上の行動パターンとされている。その為、異論をもつ少数者は「異端者」「非国民」として排除しても、その人権侵害に「痛み」を感じなくなり、むしろ、目の上のタンコブのように迷惑視する。
 「君が代」は、天皇の治世の永続を願う歌である。「君が代」斉唱は天皇を通じての国家への忠誠表明であり、国家は正義の体現者であり、誤らない絶対的なものだとの観念を植え付けるものである。大阪府のいわゆる「君が代条例」には「教職員による国歌の斉唱について定めることにより、府民、とりわけ次世代を担う子どもが伝統と文化を尊重し、それを育んできた我が国と郷土を愛する意識の高揚に資する」とある。即ち子どもに愛国心と郷土愛を教え込む為とされている。これは次のように憲法26条(教育を受ける権利)13条(個人の尊厳)に反するものである。
 1976年5月21日の最高裁判決は「殊に個人の基本的自由を認め、その人格の独立を国政上尊重すべきものとしている憲法の下においては、子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入、例えば誤った知識や一方的な観念を子どもに植え付けるような内容の教育を施すことを強制することは、憲法26条、13条の規定からも許されない・・・」とも言及しているのである。
 憲法99条では、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し、擁護する義務を負う。」とし、15条では「すべての公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。」と規定している。これは教職員の実践指針である。
 5 「口元チェック」通知を撤回せよ!教育への強権支配を弾劾する!
 ・憲法違反の「口元チェック」通知を撤回せよ!
 ・教育への強権支配を弾劾する!
 ・教育に自由を! 子どもに希望を! 
 口元チェックの強要は戦争する国とする安倍改憲策動の先駆けである。
 「天皇を戴く国」とし、天皇元首化、国旗国歌尊重義務、国防軍と国民の国防意識、「敵」を意識させる領土教育等、安倍政権の改憲策動と結びついた「教育再生」政策と闘おう。
 「日の丸・君が代」強制反対。処分撤回の闘いを強めよう。
 教育委員会会議にもかけず、一片の通達で教育の強権支配を策するのは、ナチスが議会の多数決によってワイマール憲法に反して、法律を行政がつくり執行する「全権委任法」の下でユダヤ人を虐殺した同じ手法であり、麻生発言の実践であるともいうべきものである。憲法停止、精神の戒厳令状況をうち破ろう。
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