◆ 「働き方改革」で過労死や長時間労働は解消されるのか (教科書ネット)
先の通常国会で安倍政権の提唱する「働き方改革関連法」が、十分な議論にならないまま強行的に可決された。同法の成立で私たちの「働き方」はどのように変わるのか。問題となった過労死や長時間労働は解消されるのかを考えたい。
◆ 狙いは生産性の向上に寄与するための「改正」
ここ数年、「働き方改革」はちょっとしたブームのような状況だった。本質的には深刻な問題から「改革」を迫られているにも関わらず、政府は「最大の成長戦略」とアピールしたからだ。「アベノミクス」が行き詰まりを見せる中、新たな経済政策の目玉にしようと改革を打ち出したのだ。
しかし、前述したように本当は背景には深刻な問題がある。それは、少子・高齢化が進行する中で、経済を支える労働力が不足し始めているのだ。
安倍政権は「経済政策がうまく行き雇用環境が改善した」とアピールする。確かに景気の改善もあろうが、本質的には労働力不足から求人倍率は上昇しているのだ。
少子化の特効薬がない現状で、今後続く労働力不足を解消するには、労働市場に参加していない割合の高い女性と高齢者を労働市場に取り込んで行かなければならない。そのために働き方改革が必要になったのだ。
というのも、長時間労働が常態化している正社員を中心とした労働市場に女性や高齢者が参加するのは難しい。
一方、女性や高齢者を多く吸収してきた非正規の働き方も低賃金が常態化しており、「割に合わない」と不公平感が強く、労働市場に参入することをためらわせる要因になっている。
これらの解決が求められていた。
そのために、安倍政権では、同じ仕事をしているのなら同じ賃金を支払うべきだという「同一労働同一賃金」や長時間労働の規制に罰則付きの残業時間の上限規制を盛り込んだ法案を作った。この二つの問題については後述するが、一応、働き方改革を目指す上では必要な改革ではある。
しかし、これら2つが労働者を保護する規制強化的な側面があることの引き替えかのように、政府は労働の規制緩和をちゃっかりと働き方改革に混ぜ込んできた。
それが問題の①「高度プロフェッショナル制度」(高プロ)と後に法案から撤回した②「裁量労働制の営業職への対象拡大」だ。
政府はこの二つを混ぜ込むために、「柔軟な働き方を望む労働者の選択肢を増やすために」と制度の必要性をアピールした。
いつの間にか長時間労働の是正などより、こちらの方が主眼となり、関連法の目的には「労働生産性の向上」が明記されるに至った。
つまり、労働者の命や健康の確保が目的ではなく、生産性の向上に寄与するための改正だと赤裸々に狙いが語られている。
◆ 「高プロ」を強行、裁量制の拡大を切り捨てた
それではこの二つはどんな制度なのか。その前に、政府がこの二つの法改正が必要な理由を説明した「立法事実」をみたい。
①の高プロでは「働く側からのニーズ」を挙げ、②の裁量制の拡大でもニーズと共に「裁量労働制で働く人の方が一般の労働者より労働時間が短くなる」というデータを挙げていた。
しかし、これらはでっち上げと言っても過言でないほどいい加減なものだった。
②については、裁量労働制で働く人には単に労働時間を尋ねた答え、一般労働者には「最長の残業時間」を尋ねた回答を比較して裁量労働制の方が労働時間が短いとの結論を導いた。
比較にもならないデータで改正の根拠を示した。
安倍首相は当初、この結果を胸を張って答え「労働者のため」を偽装した。
①の高プロでも、なぜ必要なのかの問いに「労働者のニーズ」と答えていたが、たった12人の労働者にヒアリングしただけだということが判明した。
ねつ造とも言えるデータの不正やニーズ。
法改正の核心である立法事実で、これだけお粗末なことをしていたら、法全体の信用性が揺らぐ。だが、安倍政権は、裁量制の拡大だけを切り捨てて高プロは強行的に通してしまった。
◆ 「高プロ」とはどのような制度なのか
このような後ろめたい状況で生まれた高プロとはどんな制度なのか。
高プロは一定以上の年収(1075万円以上)があり、専門的な仕事をする一部の労働者を労働基準法の労働時間規制(1日8時間、週40時間など)から除外するという制度だ。
重要なのは、労働時間規制からの除外されること、この1点だ。
労働時間規制は、労働者が無制限に働かされることを防ぐためにある。対象者にはそれがなくなるのだから、何時間働かせてもかまわない。残業という概念がなくなるのだ。
同じ制度は以前も法案化されているが、その時は「残業代ゼロ制度」と反発を浴び、政府は法案撤回に追い込まれている。同じ制度を表紙を変えて提出したに過ぎない。
政府は「何時間働くかを労働者自ら決めることができる自由で創造的な働き方だ」と言うが、法律には労働者が労働時間を自由に決められるなどとは一言も書いていない。むしろその逆で、こんな働かせ方も可能になるのではと国会で追及があった。
「月の初めに4日の休日を与えたら、残り26日間、24時間働けという業務命令は違法か?」。
政府は「あり得ない」と答えるのみだった。こんな働かせ方が「違法」ではないのだ。
この制度に「高給取りだけの話」と言う人もいる。確かに1075万円を超える年収の人はそう多くはない。
しかし、制度はできてしまった。いつまでも、1075万円以上が対象とは限らない。年収要件を引き下げ、専門職の範囲を拡大すればあっという間に多くの人が対象となる。
例えば年収を半分の500万円まで引き下げたら6割以上の正社員は対象になる。塩崎恭久前厚労相は、この制度について「小さく産んで大きく育てる」とあからさまに語っていた。
また、今ではほとんどの仕事への派遣が可能になった労働者派遣法は、できた当時はアナウンサーや通訳などごく限られた職種のみを対象にした法律だったことを忘れてはならない。
◆ 命に直結する制度の危険性を訴えよう
今回の法案で、「同一労働同一賃金」と労働時間の上限規制について評価する声がある。子細に検討するには行数が尽きてきたので、またの機会に譲りたいが、両手を挙げて喜べる内容ではもちろんない。
特に上限規制については、過労死ラインと重なる月100時間未満の残業を認めるグロテスクなものだ。99時間59分まで残業させても良いのだという誤ったメッセージを経営者に与えかねないからだ。
今回の法改正がどういう行く末をたどるかは、まさに私たちに掛かっているように思う。制度を作られたからと諦めず、命に直結する制度の危険性を何度でも訴えて行く必要がある。
名目であっても、本人同意を必要としているのだから、応じる人を出さぬよう警鐘を鳴らし続ける、あるいは労働組合をきちんと私たちにものにして抵抗をするなど工夫を凝らしていく必要がある。
私たちの子どもたちに、労働時間規制のない奴隷のような雇用社会を渡さないためにも、力を尽くさなければならない。
『子どもと教科書全国ネット21ニュース 121号』(2018.8)
東海林 智(とうかいりんさとし・毎日新聞記者)
先の通常国会で安倍政権の提唱する「働き方改革関連法」が、十分な議論にならないまま強行的に可決された。同法の成立で私たちの「働き方」はどのように変わるのか。問題となった過労死や長時間労働は解消されるのかを考えたい。
◆ 狙いは生産性の向上に寄与するための「改正」
ここ数年、「働き方改革」はちょっとしたブームのような状況だった。本質的には深刻な問題から「改革」を迫られているにも関わらず、政府は「最大の成長戦略」とアピールしたからだ。「アベノミクス」が行き詰まりを見せる中、新たな経済政策の目玉にしようと改革を打ち出したのだ。
しかし、前述したように本当は背景には深刻な問題がある。それは、少子・高齢化が進行する中で、経済を支える労働力が不足し始めているのだ。
安倍政権は「経済政策がうまく行き雇用環境が改善した」とアピールする。確かに景気の改善もあろうが、本質的には労働力不足から求人倍率は上昇しているのだ。
少子化の特効薬がない現状で、今後続く労働力不足を解消するには、労働市場に参加していない割合の高い女性と高齢者を労働市場に取り込んで行かなければならない。そのために働き方改革が必要になったのだ。
というのも、長時間労働が常態化している正社員を中心とした労働市場に女性や高齢者が参加するのは難しい。
一方、女性や高齢者を多く吸収してきた非正規の働き方も低賃金が常態化しており、「割に合わない」と不公平感が強く、労働市場に参入することをためらわせる要因になっている。
これらの解決が求められていた。
そのために、安倍政権では、同じ仕事をしているのなら同じ賃金を支払うべきだという「同一労働同一賃金」や長時間労働の規制に罰則付きの残業時間の上限規制を盛り込んだ法案を作った。この二つの問題については後述するが、一応、働き方改革を目指す上では必要な改革ではある。
しかし、これら2つが労働者を保護する規制強化的な側面があることの引き替えかのように、政府は労働の規制緩和をちゃっかりと働き方改革に混ぜ込んできた。
それが問題の①「高度プロフェッショナル制度」(高プロ)と後に法案から撤回した②「裁量労働制の営業職への対象拡大」だ。
政府はこの二つを混ぜ込むために、「柔軟な働き方を望む労働者の選択肢を増やすために」と制度の必要性をアピールした。
いつの間にか長時間労働の是正などより、こちらの方が主眼となり、関連法の目的には「労働生産性の向上」が明記されるに至った。
つまり、労働者の命や健康の確保が目的ではなく、生産性の向上に寄与するための改正だと赤裸々に狙いが語られている。
◆ 「高プロ」を強行、裁量制の拡大を切り捨てた
それではこの二つはどんな制度なのか。その前に、政府がこの二つの法改正が必要な理由を説明した「立法事実」をみたい。
①の高プロでは「働く側からのニーズ」を挙げ、②の裁量制の拡大でもニーズと共に「裁量労働制で働く人の方が一般の労働者より労働時間が短くなる」というデータを挙げていた。
しかし、これらはでっち上げと言っても過言でないほどいい加減なものだった。
②については、裁量労働制で働く人には単に労働時間を尋ねた答え、一般労働者には「最長の残業時間」を尋ねた回答を比較して裁量労働制の方が労働時間が短いとの結論を導いた。
比較にもならないデータで改正の根拠を示した。
安倍首相は当初、この結果を胸を張って答え「労働者のため」を偽装した。
①の高プロでも、なぜ必要なのかの問いに「労働者のニーズ」と答えていたが、たった12人の労働者にヒアリングしただけだということが判明した。
ねつ造とも言えるデータの不正やニーズ。
法改正の核心である立法事実で、これだけお粗末なことをしていたら、法全体の信用性が揺らぐ。だが、安倍政権は、裁量制の拡大だけを切り捨てて高プロは強行的に通してしまった。
◆ 「高プロ」とはどのような制度なのか
このような後ろめたい状況で生まれた高プロとはどんな制度なのか。
高プロは一定以上の年収(1075万円以上)があり、専門的な仕事をする一部の労働者を労働基準法の労働時間規制(1日8時間、週40時間など)から除外するという制度だ。
重要なのは、労働時間規制からの除外されること、この1点だ。
労働時間規制は、労働者が無制限に働かされることを防ぐためにある。対象者にはそれがなくなるのだから、何時間働かせてもかまわない。残業という概念がなくなるのだ。
同じ制度は以前も法案化されているが、その時は「残業代ゼロ制度」と反発を浴び、政府は法案撤回に追い込まれている。同じ制度を表紙を変えて提出したに過ぎない。
政府は「何時間働くかを労働者自ら決めることができる自由で創造的な働き方だ」と言うが、法律には労働者が労働時間を自由に決められるなどとは一言も書いていない。むしろその逆で、こんな働かせ方も可能になるのではと国会で追及があった。
「月の初めに4日の休日を与えたら、残り26日間、24時間働けという業務命令は違法か?」。
政府は「あり得ない」と答えるのみだった。こんな働かせ方が「違法」ではないのだ。
この制度に「高給取りだけの話」と言う人もいる。確かに1075万円を超える年収の人はそう多くはない。
しかし、制度はできてしまった。いつまでも、1075万円以上が対象とは限らない。年収要件を引き下げ、専門職の範囲を拡大すればあっという間に多くの人が対象となる。
例えば年収を半分の500万円まで引き下げたら6割以上の正社員は対象になる。塩崎恭久前厚労相は、この制度について「小さく産んで大きく育てる」とあからさまに語っていた。
また、今ではほとんどの仕事への派遣が可能になった労働者派遣法は、できた当時はアナウンサーや通訳などごく限られた職種のみを対象にした法律だったことを忘れてはならない。
◆ 命に直結する制度の危険性を訴えよう
今回の法案で、「同一労働同一賃金」と労働時間の上限規制について評価する声がある。子細に検討するには行数が尽きてきたので、またの機会に譲りたいが、両手を挙げて喜べる内容ではもちろんない。
特に上限規制については、過労死ラインと重なる月100時間未満の残業を認めるグロテスクなものだ。99時間59分まで残業させても良いのだという誤ったメッセージを経営者に与えかねないからだ。
今回の法改正がどういう行く末をたどるかは、まさに私たちに掛かっているように思う。制度を作られたからと諦めず、命に直結する制度の危険性を何度でも訴えて行く必要がある。
名目であっても、本人同意を必要としているのだから、応じる人を出さぬよう警鐘を鳴らし続ける、あるいは労働組合をきちんと私たちにものにして抵抗をするなど工夫を凝らしていく必要がある。
私たちの子どもたちに、労働時間規制のない奴隷のような雇用社会を渡さないためにも、力を尽くさなければならない。
『子どもと教科書全国ネット21ニュース 121号』(2018.8)
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