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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

ピースボート百回記念クルーズでシンガポールへ

2019年01月09日 | 平和憲法
 ◆ 痛みを感じる (東京新聞【本音のコラム】)
鎌田 慧(かまたさとし・ルポライター)

 シンガポール港の上空を蜘蛛(くも)の大群のように、小型のケーブルカーが駆け昇り駆け下っている。
 それに乗って南側のセントーサ島に渡ると、かつて難攻不落を誇った英軍のシロコ砦(とりで)の跡がある。
 一九四二年二月、「シンガポール陥落」の報道は日本人を興奮させた。ある画家は日本軍に「昭南島」と改名されたシンガポールの屋根屋根に翻る日の丸を描いた。
 その陰で抗日運動容疑者が大量に殺された
 植民地化された生々しい記録がセントーサ島西端のシロコ砦跡に展示されている。
 数年前に訪問したころ、島の中心地の民族博物館内にあったものが、いまはこの戦争記念館に移設された。
 それでも原爆投下直後のヒロシマの巨大な写真が、植民地の終わりを告げている配置はおなじだった。独立へ希望がこめられている。
 今回の旅はピースボート百回記念クルーズに乗船して、だった。
 シンガポール港に着く前、船内でサッカー服のうえから、日の丸の旗をはおって歩いていた若者たちがいた
 乗客がたしなめ素直に応じたそうだ。
 そのいでたちで「血債の塔」(日本占領時期死難人民記念碑)を見物に行ったとしたならと冷や汗が流れた。
 ピースボートは三十六年前、アジアへの侵略の跡を検証する旅として二十代の若者たちがはじめた。
 戦争の歴史をたどり、犯した罪を自省する旅はいつまでも大切だ。(ルポライター)

『東京新聞』(2019年1月8日【本音のコラム】)


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