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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

観点別評価を強制する文科省「学習評価のあり方」に対するパブコメの呼びかけ

2019年01月09日 | こども危機
  永野厚男・教育ジャーナリストから、
 ◆ 文科省・教育課程課の『児童生徒の学習評価の在り方について(これまでの議論の整理)』
   と題するレポートに対するパブリックコメントの呼びかけ(お願い)

 文科省・教育課程課は『児童生徒の学習評価の在り方について(これまでの議論の整理)』と題し、観点別評価を高校の各科目でも強制する、学習評価の在り方のレポートを、公表しています。
 そして、これに対するパブリックコメントを、1月9日(水)の深夜23:59まで、メールとFAXにて、募集しています(このレポート全文とパブコメの応募要領・宛先のメールアドレス等は、同省HPの一番下にスクロールし、「パブリックコメント」の文字をクリックすると、見られる)。
 各教科の成績評価で、「思考・判断・表現」「知識・理解」「学びに向かう力、人間性」3観点でA~C3段階を付けるよう、文科省が指示し、全国の小中学校が実施している観点別評価は、個人的には、算数・数学・理科等では意義があるかと思います。
 しかし、02年度、福岡市立小の校長会主導で半数近い63校が、指導要領に倣い"国を愛する心情"を通知表の6年社会科の観点別評価に入れて、B評価を付けられた在日外国人児童の保護者が人権救済を申し立て、福岡県弁護士会が03年2月、「思想・良心の自由を定めた憲法第19条違反の恐れがある」として、市教委に削除指導を求める勧告書を出した事実もあり、そもそも「人間性」を評価するのはおかしい、という人も多くいます。
 文科省は学習評価の在り方のレポートを出し、この観点別評価を高校の各科目でも強制するよう、「高校の指導要録の例示に記載欄を設ける」と明記してしまっています。
 同省は1月9日まで、パブリックコメントを実施していますので、よろしければ、
 「小中の社会や高校の"公共"の学習指導要領にある"国を愛する心情"は、評価はもちろん、"指導"と称する教え込みも憲法違反だ」という意見や、
 「3観点でA~C3段階を出す業務を増やすなら、文科省自身、『教員の働き方改革はスクラップ・アンド・ビルドにする』と言っているのだから、整合性の上で、せめて5段階数値評定をなくすべき」という意見などを、お寄せ頂ければ幸いです。
 また、「1単位ものの保健の授業を、多くの高校の教員は、4~5クラス(200人)は持っている。週1しか顔を合わせないの授業で、3観点でA~C3段階を出すなんて、困難です」といった意見も有効です。
         ↓

 永野厚男・教育ジャーナリストから、文科省・教育課程課の『児童生徒の学習評価の在り方について(これまでの議論の整理)』と題するレポートに対するパブリックコメントの文例を、「◇印」にて、7つご提示します。
         ↓

 ◇ 1つ目の意見
 件名:児童生徒の学習評価の在り方について(これまでの議論の整理)への意見
 分類番号:②番です。ただ23番にも関連があります。

 今回、意見を述べる箇所:「2 学習評価についての基本的考え方」の(1)「カリキュラム・マネジメントの一環としての指導と評価」の2頁~3頁、下欄のカリキュラム・マネジメントに関する注2です。
 以下、意見

 ここの注2は、3頁の方で学習指導要領・総則の「教育課程の実施に必要な人的又は物的な体制を確保するとともにその改善を図っていく・・・」を引用している。
 この「人的又は物的な体制を確保」とあるのは、副校長や主幹教諭の増員や拡充であってはならない。一方、一般教諭、とりわけ小学校の英語や理科の専科教員こそ増員・拡充するべきだ
 副校長や主幹教諭は(ごく僅か良心的な人も入るが)自民党等保守系政治家や文科省・教委幹部の方を向いていて、校長への登竜門のような雰囲気で、一般教諭にパワハラをやる者が少なくない。
 逆に英語は、文科省がある政務三役の指示で指導要領を改悪し、勝手に時間数を増やしたのだから、専科教員は絶対に増員するべきだ。また理科も、実験器具の準備・後片付け等の非常勤の補助員ではなく、定数内又は加配で専科教員を増員・拡充するべき。
 中高も副校長や主幹教諭の増員や拡充ではなく、一般教諭を増やすべき。
 なお、"愛国心"を押し付ける、文科省の教育課程課や財務課、教科書課等の職員定数は減らすべきだ
 ◇ 2つ目の意見
 件名:児童生徒の学習評価の在り方について(これまでの議論の整理)への意見
 分類番号:④番です。ただ⑤番にも関連があります。

 今回、意見を述べる箇所:「2 学習評価についての基本的考え方」の(3)「学習評価について指摘されている課題」です。
 以下、意見

 ここの4頁の「教師が評価のための『記録』に労力を割かれて、指導に注力できない」は、文科省が今回、高校に観点別評価を義務化することにより、益々「記録に労力を割かれ」る心配が増える。
 3頁掲載の第7回学習評価ワーキンググループのヒアリングでの「授業やテスト(返却)の際、どういう点が良かった、どういう点をもう少し頑張ってほしいという一言だけでも頂きたい」という新社会人の意見は、必ずしも観点別評価を義務化しろと求めたものとはいえない(特に高校)。
 例えばワークシートやテストの解答用紙に、教員が○×だけでなくコメントを書いて励ましたり、授業中、発言した生徒に的確に応答する(もちろん改善を求めるのも、あり)等、その場で教員が激励や応答する(これも立派な、1つの”評価”である)適時性や時間的ゆとりが大事だ。
 従って、こういう適時性ある”評価”を日常的にやっていけば、また、面談等で生徒・保護者にフィードバックすれば、少なくとも高校での評価は、観点別評価という業務増をせず、大括りな5段階評定だけで良いのではないか
 また、「教員が授業やテスト返却の際、激励や応答する時間的ゆとり」や「面談」等の時間を保障するためには、文科省や教育委員会による政治色の濃い調査(下村博文・自民党憲法改"正"推進本部長の大臣在任中の2014年、文科省が全国の教委を通じ小中学校に、道徳教材『私たちの道徳』の活用状況調査や通知発出を3回も行った)や、過剰な報告書作成、"××教育"増に伴う"××計画"策定等の全廃や大幅削減が必要です
 ◇ 3つ目の意見
 件名:児童生徒の学習評価の在り方について(これまでの議論の整理)への意見
 分類番号:④番です。ただ⑤番にも関連があります。

 今回、意見を述べる箇所:「2 学習評価についての基本的考え方」の(3)「学習評価について指摘されている課題」です。
 以下、意見

 ここの3頁下欄の注の5に掲載の、第7回学習評価ワーキンググループのヒアリングでの高校3年生の「(観点別評価ではなく)数字での評価だけでは、そう評価された理由を推測することしかできないということがあります」という意見の内、カッコ内、即ち(観点別評価ではなく)という文言は、文科省・教育課程課が勝手に加筆したものではないのか!
 この直前には、「授業やテスト(返却)の際、どういう点が良かった、どういう点をもう少し頑張ってほしいという一言だけでも頂きたい」という新社会人の意見が出ている。
 この新社会人の意見も、前記高校3年生も、必ずしも観点別評価を義務化しろと求めたものとはいえない(特に高校)。つまり、これら新社会人や高校3年生は、例えばワークシートやテストの解答用紙に、教員が○×だけでなくコメントを書いて励ましたり、授業中、発言した生徒に的確に応答する(もちろん改善を求めるのも、あり)等、その場で教員が激励や応答する、こういったものを求めているのではないか。これら激励や応答も、広義の意味では、立派な”評価”の1つだ。
 教育課程課がカッコ内を勝手に加筆したのは、誘導・誤導であり、(観点別評価ではなく)という文言は削除するべき。
 高校では観点別評価という業務増をせず、大括りな5段階評定だけでよいのではないか。「観点別評価を義務化するが、5段階評定をなくす」というならまだしも・・・。
 ◇ 4つ目の意見
 件名:児童生徒の学習評価の在り方について(これまでの議論の整理)への意見
 分類番号:⑤番です。ただ④番にも関連があります。

 今回、意見を述べる箇所:「2 学習評価についての基本的考え方」の(4)「学習評価の改善の基本的な方向性」です。
 以下、意見

 ここの4頁の①児童生徒の学習改善につながるものにしていく、②教師の指導改善につながるものにしていく――ためには、必ずしも観点別評価を義務化する必要はない(特に高校)。
 例えばワークシートやテストの解答用紙に、教員が○×だけでなくコメントを書いて励ましたり、授業中、発言した生徒に的確に応答する(もちろん改善を求めるのも、あり)等、その場で教員が激励や応答する(これも立派な、1つの”評価”である)、適時性や時間的ゆとりが大事だ。
 従って、こういう適時性ある”評価”を日常的にやっていけば、また、面談等で生徒・保護者にフィードバックすれば、少なくとも高校での評価は、観点別評価という業務増をせず、大括りな5段階評定だけでよいのではないか。
 「観点別評価を義務化するが、5段階評定をなくす」というならまだしも・・・。

 ◇ 5つ目の意見
 件名:児童生徒の学習評価の在り方について(これまでの議論の整理)への意見
 分類番号:⑥番です。但し、⑩番にも共通します。

 今回、意見を述べる箇所:「3 学習評価の基本的な枠組みと改善の方向性」の(1)「学習評価の基本的な枠組み」です。
 以下、意見

 ここの5頁の、各教科等の「学習指導要領に示す目標や内容」と「観点別学習状況評価の各観点」との関係を見てみましょう。「思考・判断・表現」「知識・理解」はそのままです。一方、「学びに向かう力、人間性等」は、「主体的に学習に取り組む態度」という表現に、言い換えています。
 言い換えた理由は、個々の人格を持つ児童・生徒の「人間性」を、文科省という国家権力の言いなりになって教員が"評価"するのは、オコガマシイ(さしでがましい)のではないか――という批判をかわすため、ではないか?
 2002年度、福岡市立小の校長会主導で半数近い63校が、指導要領に倣い"国を愛する心情"を通知表の6年社会科の観点別評価に入れてしまい、全教科優秀だったある在日外国人児童がB評価を付けられる、という事案が発生しました。この児童の保護者が人権救済を申し立て、福岡県弁護士会が03年2月、「思想・良心の自由を定めた憲法第19条違反の恐れがある」として、市教委に削除指導を求める勧告書を出した。――という重い事実を、文科省は謙虚に受け止めるべきです。
 教育課程課が「感性、思いやりなど」を「観点別評価や評定には示しきれない」とし、個人内評価に位置付けたのは、一定の評価はできますが、小中の社会や高校の"公共"等で、"国を愛する心情"を"指導"と称し教え込むこと自体、憲法第19条違反なので、絶対にやめてほしい。
 道徳・社会等で伝統文化理解の授業を抑制的に行うのは許容範囲と考えますが、その授業を受けた児童・生徒らが"国を愛する心情"だけを抱くようになったとしたら、旧ソ連のような全体主義国、国家主義の偏向教育です。国の現状を批判する考え方や、侵略戦争・民衆弾圧等の日本の歴史を(愛するのでなく)憎む心情を持つ児童・生徒が出てくるのは「むしろ良いことだ」というふうに、文科省・教育課程課は改心するべきです。
 ◇ 6つ目の意見
 件名:児童生徒の学習評価の在り方について(これまでの議論の整理)への意見
 分類番号:⑩番です。但し⑥番にも共通し、23番にも関連があります。

 今回、意見を述べる箇所:「3 学習評価の基本的な枠組みと改善の方向性」の(2)「観点別学習状況評価の改善について」の④「主体的に学習に取り組む態度」の評価について。特に8頁~9頁。
 以下、意見

 ここの8頁~9頁は中教審答申を引用し、各教科等の資質・能力の柱だという「学びに向かう力、人間性等」と、観点別学習状況評価の各観点の1つの「主体的に学習に取り組む態度」との関係について、前者の「学びに向かう力、人間性等」には、
 〔1〕観点別評価を通じて見取ることができる部分
 〔2〕観点別評価や評定にはなじまず、こうした評価では示しきれないことから、個人内評価(個人の良い点や可能性、進歩の状況について評価する)を通じて見取ることができる部分
 ――との両方があることに「留意する必要がある」と記述している。
 そして5頁と照らし合わせると、〔1〕が「主体的に学習に取り組む態度」であり、〔2〕が「感性、思いやりなど」だと、整理できる。
 している。
 ここで〔2〕については、特にイデオロギーのない「感性、思いやりなど」は個人内評価をしてもよいけれど、
 ――小中の社会や高校の"公共"等の指導要領が、"指導""涵養"(9頁の2つ目の○印)と称し、教え込めと強制している、"国を愛する心情""我が国の国旗と国歌の意義を理解させ,これを尊重する態度を育てる""天皇への敬愛の念"等、政治色の濃い国家主義の内容――
 については、〔1〕も〔2〕も不適切、つまり文科省という国家権力の言いなりになって教員が"評価"するのは、オコガマシイ(さしでがましい)という趣旨を、今回のパブコメ対象文書全体にわたり、明記するべきである。
 そもそも、"国を愛する心情"等を"指導"と称し教え込むこと自体、憲法第19条違反なので、絶対にやめてほしい
 ◇ 7つ目の意見
 件名:児童生徒の学習評価の在り方について(これまでの議論の整理)への意見
 分類番号:⑩番です。但し⑥番にも共通し、23番にも関連があります。

 今回、意見を述べる箇所:「3 学習評価の基本的な枠組みと改善の方向性」の(2)「観点別学習状況評価の改善について」の④「主体的に学習に取り組む態度」の評価について。特に10頁。
 以下、意見

 ここの10頁の2つ目の○印の、
 ――学習の調整に向けた取組のプロセスには児童生徒一人一人の特性があることから、特定の型に沿った学習の進め方を一律に指導することのないよう配慮することが必要であり、――
 という記述には、原則、賛成である。
 小中の社会や高校の"公共"等の指導要領の、
 ――"国を愛する心情""我が国の国旗と国歌の意義を理解させ,これを尊重する態度を育てる""天皇への敬愛の念"等、政治色の濃い国家主義の内容、――
 や、小学校音楽で
 ――"君が代"を1年生(6歳児)から「歌えるよう指導する」と加筆してしまった事案――
 については、後掲の【参考資料】の通り、自民党という特定の政党や日本会議という政治団体等、特定の政治勢力が文部官僚と癒着し、入れてしまったものだ
 指導要領のこれらの内容は、「(多様な思想や信教、国籍等を持つ)児童生徒一人一人の特性」を無視し、「特定の型に沿った学習の進め方を一律に指導」するよう強制してはならない。
 指導要領のこれらの内容は、「(多様な思想や信教、国籍等を持つ)児童生徒一人一人の特性があることから、特定の型に沿った学習の進め方を一律に指導することのないよう配慮することが必要であ」るのだ。
 【参考資料】
 一部の良心的な記者を除き、政府寄りの報道姿勢の目立つNHKでさえ、「自民党保守派の代表格」と報じたことのある(2018年12月27日(木)11時36分のNHK『オンラインニュース』の表現)、同党参院議員の衛藤晟一氏(1947年10月1日生)。
 この衛藤晟一氏と、文部官僚の高橋道和氏・合田哲雄氏らが癒着し、学習指導要領に政治介入した事案は、以下の通りです。
         ↓

 11年前、2008年3月28日官報告示の現行の学習指導要領(以下、指導要領)は、原案公表当日の同年2月15日、安倍晋三首相に近い自民党参院議員・衛藤晟一氏(1947年10月1日生)が文科省を訪れ、2008年当時同省教育課程課長だった高橋道和(みちやす)氏(57歳。文科省贈収賄事件で逮捕・起訴された谷口浩司・被告人から高額飲食接待を受け、国家公務員倫理法違反で「減給2か月10分の1」の懲戒処分を受け、2018年9月21日に初等中等教育局長を辞任)と、当時同氏の部下の教育課程企画室長だった合田(ごうだ)哲雄氏(49歳。のち教育課程課長を経て現財務課長)に面会。衛藤晟一氏は"国を愛する態度"や小学校音楽での"君が代"の扱いについて直談判した。
 そして衛藤晟一氏の所属する日本会議系の政治団体も、組織的なパブリックコメント工作を展開する中、高橋道和氏と合田哲雄氏らは、2008年3月28日告示の現行指導要領に、改定教育基本法の"国を愛する態度"育成を、全教育課程に関係してくる「総則」に盛ってしまった。また小学校音楽で"君が代"を1年生(6歳児)から「歌えるよう指導する」と加筆してしまった。
 これらの加筆は、「思想・良心・信教・表現の自由」を保障する日本国憲法第19条・20条・21条違反すると指摘する人が多く存在しており、衛藤晟一氏と高橋道和氏、合田哲雄氏らの癒着は、教育への政治介入だと言わざるを得ない。
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