◆ 「今までがんばってきて、よかったね」-教科書採択各地で前進 (教科書ネット)
「子どもと教育を守る三多摩の会」は、9月15日、今年の中学校「道徳」教科書の採択について交流する会を持ちました。多摩地域27採択区のうち20の地区の状況が報告されました。以下、その特徴を報告します。
◆ 様変わりした武蔵村山の教科書採択
冒頭、教育長が変わって採択の状況が様変わりした武蔵村山からの特別報告がありました。武蔵村山では、ずっと中学校社会科(歴史・公民)で育鵬社の教科書が採択されてきました。
採択のしかたも、最初の頃は学校からの意見を聞かず、公開の教育委員会の場での審議もせずに、事実上、教育長の独断で決めてしまうという非民主的なものでした。
「武蔵村山子どもの教育と文化を育てる会」は、月に一度の事務局会と2か月に一度の例会、年に一度の教育集会などで学習・討論を深めるとともに、三多摩全域の市民、労働者の支援を得て、数度にわたり合計15万枚以上のチラシを市民に配布したり、宣伝カーを運行したりして、教科書採択をはじめとした武蔵村山の教育行政を批判し、憲法と1947教育基本法にもとづく教育をすすめてほしいという声を広げ、採択のしかたを少しずつ改善させてきました。
昨年の小学校「道徳」教科書の採択においては、教育委員の意見が東京書籍3、教育出版2であったにもかかわらず、教育長が「総合的に判断して、教育出版でいいですか」と強引に決定してしまい、傍聴者から「横暴だ」と声が上がるほどでした。
今年は、育鵬社採択以来のM氏が教育長として再任されず、交代した後の教育委員会でした。
光村を推す委員が多かったのですが、新教育長は別の教科書を推した委員に再度意見を求め、全教育委員が納得する形で光村が採択されました。
傍聴した市民から「教育委員がのびのびと自分の意見を出していた」「雰囲気が明るくなった」という感想が寄せられ、「今までがんばってきて、よかったね」と報告集会を終えたとのことでした。
◆ 各地での前進
その後、採択地区ごとの報告があり、採択のすすめ方や市民への公開のしかたに関する各地での前進が明らかになりました。
清瀬では見本本の展示場所が2か所から3か所に増え、4町村合同で採択する西多摩地区では、奥多摩町にしか展示会場がなかったため、「他の町村でも展示してほしい」と要求を出し、檜原村で1週間、日の出町は1日だけでしたが、展示されることになりました。そこで「この日しか見られないから」とチラシを配って、皆で見に行きました。
小平では学校展示の後、市内6か所で展示されました。
あきる野・青梅では、教育委員会の傍聴席がこれまでの30席から100席に増えました。去年、80人集まって抽選になってしまったため、「来年はもっと増やしてほしい」と要求してきた成果です。
教育委員会の審議の様子も詳細に報告されました。昭島の教育委員会は、市民が参加しやすい時間(17時~20時)に開催され、教育委員は、アンケートに寄せられた市民の声に合わせて意見を述べていました。
清瀬では市民の意見が教育委員に、国分寺では傍聴者にも配布されました。
多摩では、ある委員が「市民の声と児童の実態からスタートしたい」と発言し、他の委員も「自己評価は、うまく表現できない子に不利になるのではないか」「政治家や頑張っている人ばかり出ているのは、いかがなものか」など、市民の意見を紹介しながら意見を述べていました。
国立の教育委員も「アンケートを参考に」と前置きして発言していました。
こうした形で、市民の意見が教育委員会の審議に反映されたことは、重要な前進です。
◆ 秘密裡に決めてしまった地区も
それに対し、教育委員会の前に非公開の会議を開き、事実上決めてしまっていた地区がありました。
府中では、配布された資料に原案として教科書会社の名前が示されており、その通りに決定されました。その原案を誰がどこでどのように決めたのか不明であり、重大な問題です。
武蔵野では、事前に非公開の臨時教育委員会が開かれ、そこでかなりつっこんで検討していた様子がうかがえました。
東大和は、委員が1回ずつ発言しただけで多数決で決定してしまい、十分な審議とは言えない状況でした。市民の展示会もこれまで17時までであったものが15時までにされるなど、課題が残りました。
その他、「市民の声が公開されたが、教科化に反対という意見は載っていなかった」(東久留米)、「市教委事務局に出した要望書の内容が紹介されたが、『日科は選ばないで』『自己評価がついている教科書は選ばないで』の2項目は紹介されなかった」(武蔵村山)など、問題もありました。
◆ 現場の教員の意見をもとにした採択を
「教育委員は『21時間も勉強した』などと自信をもって発言していたが、現場の先生の意見が尊重されるしくみになっていないことには全く問題を感じていない。これは重大な問題だ。学校意見をもとにした採択にしてほしいという請願を出したい」(日野)、
「学校からの報告書の様式が問題。どの社がいいか書けない」(狛江)、
「現場からの意見はよいことしか書けない」(調布、他)、
「担当校長が報告していたが、それが本当に現場の先生の意見を反映して作成されたものなのか、不明」(西多摩)
など、子どもたちと一緒に教科書を使う教員の意見をもとにした採択に改善させていくことが最も重要な課題であり、そのための時間を先生たちに保障するよう要求していく必要があると論議されました。
◆ 運動をひろげて
「教科書採択に関するすべての資料の開示請求をした」(狛江)、「見本本を図書館に常時開架するよう要求」(東久留米)、「採択された教科書を、市役所まで読みに行った」(日野)など、採択決定後のとりくみも交流されました。
「7月に採択してしまうが、もう少し時期を遅らせて、先生たちや市民が検討する時間を保障させたい」(西東京)など、来年度に向けての要求事項も明らかにされました。
三多摩各地ではこの間、市民や退職教職員などが中心になって学習会を開催し、とりくみをすすめてきました。
「新聞にチラシを折り込んで意見を書きに行くとりくみを市民によびかけた」(立川)、「教科書を考える会を、教育全般を考える会に発展させて学習と運動を広げてきた」(小金井)ことなど、現場の教職員を励ましてきました。
こうした運動を力にして、「道徳の教科化」に反対する声を大きくしていこうという意見もありました。
来年は小学校全科の教科書採択、再来年は中学校の採択があります。
各地のとりくみの交流と学習を重ねながら、どの子も人間として大切にされる、子どものための教育がすすめられるよう、運動を強めていきたいと思います。
(みずしままさあき)
『子どもと教科書全国ネット21ニュース 122号』(2018.10)
水島正明(子どもと教育を守る三多摩の会事務局)
「子どもと教育を守る三多摩の会」は、9月15日、今年の中学校「道徳」教科書の採択について交流する会を持ちました。多摩地域27採択区のうち20の地区の状況が報告されました。以下、その特徴を報告します。
◆ 様変わりした武蔵村山の教科書採択
冒頭、教育長が変わって採択の状況が様変わりした武蔵村山からの特別報告がありました。武蔵村山では、ずっと中学校社会科(歴史・公民)で育鵬社の教科書が採択されてきました。
採択のしかたも、最初の頃は学校からの意見を聞かず、公開の教育委員会の場での審議もせずに、事実上、教育長の独断で決めてしまうという非民主的なものでした。
「武蔵村山子どもの教育と文化を育てる会」は、月に一度の事務局会と2か月に一度の例会、年に一度の教育集会などで学習・討論を深めるとともに、三多摩全域の市民、労働者の支援を得て、数度にわたり合計15万枚以上のチラシを市民に配布したり、宣伝カーを運行したりして、教科書採択をはじめとした武蔵村山の教育行政を批判し、憲法と1947教育基本法にもとづく教育をすすめてほしいという声を広げ、採択のしかたを少しずつ改善させてきました。
昨年の小学校「道徳」教科書の採択においては、教育委員の意見が東京書籍3、教育出版2であったにもかかわらず、教育長が「総合的に判断して、教育出版でいいですか」と強引に決定してしまい、傍聴者から「横暴だ」と声が上がるほどでした。
今年は、育鵬社採択以来のM氏が教育長として再任されず、交代した後の教育委員会でした。
光村を推す委員が多かったのですが、新教育長は別の教科書を推した委員に再度意見を求め、全教育委員が納得する形で光村が採択されました。
傍聴した市民から「教育委員がのびのびと自分の意見を出していた」「雰囲気が明るくなった」という感想が寄せられ、「今までがんばってきて、よかったね」と報告集会を終えたとのことでした。
◆ 各地での前進
その後、採択地区ごとの報告があり、採択のすすめ方や市民への公開のしかたに関する各地での前進が明らかになりました。
清瀬では見本本の展示場所が2か所から3か所に増え、4町村合同で採択する西多摩地区では、奥多摩町にしか展示会場がなかったため、「他の町村でも展示してほしい」と要求を出し、檜原村で1週間、日の出町は1日だけでしたが、展示されることになりました。そこで「この日しか見られないから」とチラシを配って、皆で見に行きました。
小平では学校展示の後、市内6か所で展示されました。
あきる野・青梅では、教育委員会の傍聴席がこれまでの30席から100席に増えました。去年、80人集まって抽選になってしまったため、「来年はもっと増やしてほしい」と要求してきた成果です。
教育委員会の審議の様子も詳細に報告されました。昭島の教育委員会は、市民が参加しやすい時間(17時~20時)に開催され、教育委員は、アンケートに寄せられた市民の声に合わせて意見を述べていました。
清瀬では市民の意見が教育委員に、国分寺では傍聴者にも配布されました。
多摩では、ある委員が「市民の声と児童の実態からスタートしたい」と発言し、他の委員も「自己評価は、うまく表現できない子に不利になるのではないか」「政治家や頑張っている人ばかり出ているのは、いかがなものか」など、市民の意見を紹介しながら意見を述べていました。
国立の教育委員も「アンケートを参考に」と前置きして発言していました。
こうした形で、市民の意見が教育委員会の審議に反映されたことは、重要な前進です。
◆ 秘密裡に決めてしまった地区も
それに対し、教育委員会の前に非公開の会議を開き、事実上決めてしまっていた地区がありました。
府中では、配布された資料に原案として教科書会社の名前が示されており、その通りに決定されました。その原案を誰がどこでどのように決めたのか不明であり、重大な問題です。
武蔵野では、事前に非公開の臨時教育委員会が開かれ、そこでかなりつっこんで検討していた様子がうかがえました。
東大和は、委員が1回ずつ発言しただけで多数決で決定してしまい、十分な審議とは言えない状況でした。市民の展示会もこれまで17時までであったものが15時までにされるなど、課題が残りました。
その他、「市民の声が公開されたが、教科化に反対という意見は載っていなかった」(東久留米)、「市教委事務局に出した要望書の内容が紹介されたが、『日科は選ばないで』『自己評価がついている教科書は選ばないで』の2項目は紹介されなかった」(武蔵村山)など、問題もありました。
◆ 現場の教員の意見をもとにした採択を
「教育委員は『21時間も勉強した』などと自信をもって発言していたが、現場の先生の意見が尊重されるしくみになっていないことには全く問題を感じていない。これは重大な問題だ。学校意見をもとにした採択にしてほしいという請願を出したい」(日野)、
「学校からの報告書の様式が問題。どの社がいいか書けない」(狛江)、
「現場からの意見はよいことしか書けない」(調布、他)、
「担当校長が報告していたが、それが本当に現場の先生の意見を反映して作成されたものなのか、不明」(西多摩)
など、子どもたちと一緒に教科書を使う教員の意見をもとにした採択に改善させていくことが最も重要な課題であり、そのための時間を先生たちに保障するよう要求していく必要があると論議されました。
◆ 運動をひろげて
「教科書採択に関するすべての資料の開示請求をした」(狛江)、「見本本を図書館に常時開架するよう要求」(東久留米)、「採択された教科書を、市役所まで読みに行った」(日野)など、採択決定後のとりくみも交流されました。
「7月に採択してしまうが、もう少し時期を遅らせて、先生たちや市民が検討する時間を保障させたい」(西東京)など、来年度に向けての要求事項も明らかにされました。
三多摩各地ではこの間、市民や退職教職員などが中心になって学習会を開催し、とりくみをすすめてきました。
「新聞にチラシを折り込んで意見を書きに行くとりくみを市民によびかけた」(立川)、「教科書を考える会を、教育全般を考える会に発展させて学習と運動を広げてきた」(小金井)ことなど、現場の教職員を励ましてきました。
こうした運動を力にして、「道徳の教科化」に反対する声を大きくしていこうという意見もありました。
来年は小学校全科の教科書採択、再来年は中学校の採択があります。
各地のとりくみの交流と学習を重ねながら、どの子も人間として大切にされる、子どものための教育がすすめられるよう、運動を強めていきたいと思います。
(みずしままさあき)
『子どもと教科書全国ネット21ニュース 122号』(2018.10)
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