《東京新聞「視点」私はこう見る》
◆ 安保法制違憲訴訟
「戦争が起きる」想像力を
「安保法制は違憲だ」ーそう訴えた裁判は、全国で計二十五件ある。十六の地裁、三つの高裁で判決が出ているが、原告はすべて敗訴だ。
判決理由は「いまだ我が国への武力攻撃が発生していない」「具体的な恐れが切迫していない」から、原告がいう不安や恐怖は「具体的危険ではない」という。だから裁判所は損害賠償請求などを退けてきた。
しかし、これらの判断には致命的な問題があると思っている。そもそも原告は憲法判断を求めているのに、その領域に裁判所は決して踏み込もうとしないからだ。あたかも、そこが裁判官の“危険領域”であるかのように…。
二〇一四年。当時の安倍晋三政権が集団的自衛権の行使はできないとしてきた従来の政府見解を百八十度、転換した閣議決定が出発点である。
「専守防衛」が任務だったはずの自衛隊が、他国の紛争にまで介入しうるー。戦後の平和国家が想像しなかった「解釈改憲」に対して、大半の憲法学者が「違憲だ」と声を上げた。それでも政府は安保法制の成立を押し切った。
当然ながら、学者や元内閣法制局長官らが法廷で原告側に立ち証言したりしている。
高名な憲法学者の長谷部恭男早大教授も意見書を出している。「具体的危険の発生が客観的に予見されない限り権利侵害があるとはいえない」という司法の判断基準に異議を唱えた。
長谷部氏は「通常の国賠事件では適切だが、本件では適切でない」と…。
「いったん政府が具体的行為をとるならば原告らを含む多くの国民に膨大で甚大かつ不可逆的被害が発生する危険がある」
つまり戦争が始まってからでは遅いということだ。当たり前である。
だから長谷部氏は確実に予測しえない場合でも「予防=事前配慮原則」に則(のっと)るべきだとの考えだ。
「事前配慮原則」は遺伝子工学や環境問題などで使われるという。
発生は不確実ではあるけれど、いったん発生すれば甚大で不可逆的な損害が発生するリスクに対して配慮せねばならない。
例えば、廃棄物の海洋投棄がなされてしまえば、深刻な環境破壊が起きてしまう。だから、予防的に国際条約で事前配慮原則に基づく規制があるのと同じだ。
それゆえ、戦争という国民の生命・身体に計り知れない損害を与えうるテーマに対して、「具体的危険がない」として裁判官が訴えを一蹴する姿勢には疑問を持つ。
「裁判所が国の行為の違法性について判断を控えるべきだとすることは、司法権の行使を放棄するに等しく、国民の裁判を受ける権利をないがしろにする」(長谷部氏)
「戦争が起きる」という想像力を持ってほしい。政治が勝手な理屈で国民にリスクを背負わせたのだから、むろん司法による違憲審査の対象ではないか。
『東京新聞』(2022年3月16日)
◆ 安保法制違憲訴訟
「戦争が起きる」想像力を
桐山桂一(論説委員)
「安保法制は違憲だ」ーそう訴えた裁判は、全国で計二十五件ある。十六の地裁、三つの高裁で判決が出ているが、原告はすべて敗訴だ。
判決理由は「いまだ我が国への武力攻撃が発生していない」「具体的な恐れが切迫していない」から、原告がいう不安や恐怖は「具体的危険ではない」という。だから裁判所は損害賠償請求などを退けてきた。
しかし、これらの判断には致命的な問題があると思っている。そもそも原告は憲法判断を求めているのに、その領域に裁判所は決して踏み込もうとしないからだ。あたかも、そこが裁判官の“危険領域”であるかのように…。
二〇一四年。当時の安倍晋三政権が集団的自衛権の行使はできないとしてきた従来の政府見解を百八十度、転換した閣議決定が出発点である。
「専守防衛」が任務だったはずの自衛隊が、他国の紛争にまで介入しうるー。戦後の平和国家が想像しなかった「解釈改憲」に対して、大半の憲法学者が「違憲だ」と声を上げた。それでも政府は安保法制の成立を押し切った。
当然ながら、学者や元内閣法制局長官らが法廷で原告側に立ち証言したりしている。
高名な憲法学者の長谷部恭男早大教授も意見書を出している。「具体的危険の発生が客観的に予見されない限り権利侵害があるとはいえない」という司法の判断基準に異議を唱えた。
長谷部氏は「通常の国賠事件では適切だが、本件では適切でない」と…。
「いったん政府が具体的行為をとるならば原告らを含む多くの国民に膨大で甚大かつ不可逆的被害が発生する危険がある」
つまり戦争が始まってからでは遅いということだ。当たり前である。
だから長谷部氏は確実に予測しえない場合でも「予防=事前配慮原則」に則(のっと)るべきだとの考えだ。
「事前配慮原則」は遺伝子工学や環境問題などで使われるという。
発生は不確実ではあるけれど、いったん発生すれば甚大で不可逆的な損害が発生するリスクに対して配慮せねばならない。
例えば、廃棄物の海洋投棄がなされてしまえば、深刻な環境破壊が起きてしまう。だから、予防的に国際条約で事前配慮原則に基づく規制があるのと同じだ。
それゆえ、戦争という国民の生命・身体に計り知れない損害を与えうるテーマに対して、「具体的危険がない」として裁判官が訴えを一蹴する姿勢には疑問を持つ。
「裁判所が国の行為の違法性について判断を控えるべきだとすることは、司法権の行使を放棄するに等しく、国民の裁判を受ける権利をないがしろにする」(長谷部氏)
「戦争が起きる」という想像力を持ってほしい。政治が勝手な理屈で国民にリスクを背負わせたのだから、むろん司法による違憲審査の対象ではないか。
『東京新聞』(2022年3月16日)
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