13、違憲か合憲かと言われれば違憲であると判断する。
○理由1、「君が代」の歴史的事実及び創造理念
「君が代」が戦中の洗脳手段の一つであったことは間違いではないし実際そのように使われていた。また、現代では「君」とは天皇ではなく「あなた」という意味とするという意見もあるが、この君が代が作詞された理念は「天皇の世は永遠に続くものだ」というものだ。解釈を変えたところでそれは天皇賛歌に他ならない。それを知っているか、知らされてないかの違いだ。
○理由2、義務化と強制
「君が代」の斉唱及び伴奏の義務化は先の「君が代」の理念を知り、リベラルな社会に生きる今の人々にとってはとても耐え難いものである。もちろん「君が代」を歌ってもかまわない人は歌えばいいと思う。だがそれに対して抵抗があり、教育者として許容できない、歌わない場合は処分という(都教育委員会を通じた右翼な都知事)方針は不当な支配であるという考え方はとても理にかなつていると思う。
今の赤一点の国旗になったのは戦後だと聞く。それまでに日の丸から曙光が指す旭章旗なるものだった。国旗のデザインを変えたなら国歌もこの際新しくしてはどうか。今という時代にあった憲法がつくられるというなら是非今という時代に合った国歌を考えてほしいものだ。でも憲法が変わったら昔に戻るわけだから「君が代」のままにしたいのか。
14、今回の裁判が予防訴訟であったことをはじめて知った。
国歌斉唱が義務付けられるというのは国を愛する心を教育によって教え込むように思想の統制の要素が考えられる。いかに教職員といえども個人の思想や良心の自由は保障されるべきであると思う。また、国歌斉唱を強制され自身の意志を曲げて従う教職員を見ることは生徒の成長上良いとはいえないと思う。
本来国のシンボルとなる国旗・国歌だが、日本は皇国思想や軍国主義の精神的支柱として用いられてきたことがあり、手放しに受け入れられない問題がある。その点も考えて国歌斉唱を強制するべきではないと思う。
15、国歌斉唱や国旗については、愛国心、日本の道徳心を持つ上で最低限必要だと思う。
しかし、卒業式での壇上で必ずやらなければいけないことに関しては、納得がいかない。車椅子の方とか足が悪い人に、無理にたいへんな思いをしてもらいたくない。みんなが気持ちよく卒業するためだったらフロアで行なってもいい。日本人は形式にこだわりすぎる。もっと気持ちを大切にした愛国心には賛成だ。
16、式典などで国歌である君が代を歌わない教職員に対して処分を出すというのは、私はおかしいと思う。
国歌斉唱を職務命令とし、強制するのは問題だと思う。憲法で「思想及び良心の自由」が保障されているためにそれはしていけないことだ。
17、判決についてメディアや新聞をとおして知った。
我が家がとっている朝日新聞はこの判決をよしとしていたが、毎日・読売は中立的な意見を社説で述べていた。
国旗国歌法が制定されるまで、私は国歌の歌詞の意味も分からず、正式な式典で歌っていた。法が制定され、メディアが大きく取り上げられるまで、式の一環的なものとして受け入れてきた。
法が制定されていなければ、今回のような裁判は起こらなかったろうし、教職員の処分もなかったはずだ。
憲法に定められているように、人は思想良心の自由がある。ましてや教育という機関の中で、強制されるのは、私個人の意見であるが、いかがなものか。国旗国歌法が制定されされた由を明確にし、その法がなければ故人の考えのもので自由が存在していた。やはり、制限が加えられると、個人の自由な思想が奪われる。故に私も裁判の判決は正しかったと考える。
18、国旗国歌訴訟判決について、私も国歌を歌わなかったからと言って懲戒処分をするのは行過ぎていると思う。
宗教の信仰上反対するのも分からないではないが、日本国の歌である国歌なのだから皆に気持ちよく歌ってほしいに決まっているであろう。なので世界観が違う主義が違うからなどといつていたのでは、なんとなく子どもっぽいというか考えが甘いのではとも思う。このように国歌に対立があるのなら、いっそのこと国歌を皆が納得するようなものに変えてみてはいいのではないかとも考えさせられた。
19、私は学生時代、「何故君が代を歌うんですか」と先生と話しているのを聞いたことがある。
先生は「日本人の日本の国歌だから」といった話をしていたと思う。また「君が代」というのは日本の国歌ではあるが日本がどういうというより「天皇をたたえる歌」ともどこかできいたことがある。
私は前からたいした事ではないとは思っていたが「義務」だ「強制」だということになると話は変わってくる。先生のおっしゃるとおり教育基本法十条「教育は不当な支配に服することなく」を見事に打ち破っている。白黒はっきりさせねばならない法律というものではないか。
20、国歌斉唱義務不存在確認という詳しい内容は今回初めて聞いたことで、興味深かった。
個人的な意見としては、これを義務として強制すべきではないと思うし、国旗や国歌については、色々な考え方を持つ人がいるわけだから、それらの意見は尊重しなければならないだろう。しかし、卒業式や入学式などで、起立を拒むことで、一番気分を悪くするのは、生徒であることを理解してほしいところでもある。自分の生徒わ祝う式をぶちこわしにしていると思えてならない。言い方は悪いが公立校の教師や地方公務員は「国の手先」なのだから本来このようなもめごとをしてはいけないのではないか。主張ばかりして相手のこと、生徒のことが見えていない教師は、それこそ指導力不足なのではないだろうか。原告側にいた教師の年齢層は比較的高かったように思えるが、ひとりよがりな授業をして、学級崩壊していそうといってしまえば言いすぎだが、から回っている気がしてならない。生徒と主張、優先順位間違えてませんか、といつた印象を感じた。
21、国旗国歌をめぐる意見に関しては一概にイエスともノーとも答えることが難しい。
私自身がまだそれに関する知識を広域に把握できていないが、否定する人がいる以上、その人権を保障してあげるべきではあると思う。しかし愛国心が皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱であったにしろ、自身がこの国に属している自覚を養うという点で一義的なものと考えたとき、シンボルとなる国旗国歌はあっても良いような気がする。だから命令ということに問題があると思った。教師と言う立場で生徒に自らの意見を押し付けるのはよくない。そのため私であれば生徒に混乱を与えない程度に意志を表明したい。「やらなきゃいけない」は拘束が強いように感じた。
22、難しく固く考えすぎだと思う。
義務や強制という言葉に敏感に反応しすぎているだけな気がする。国旗国歌が戦争を思い出させ、思想良心の自由を侵害する。宗教上の信仰に準じた世界観や主義主張、オリンピック、ワールドカップになれば、日本!日本!となって選手と一緒になって君が代を歌い、日本が負ければ肩をおとす。夜中まで応援するのは当たり前です。校歌と国歌、全く違うようで似ていると思う。学び、笑い、泣いて楽しんだ場所の伝統ある歌。卒業では胸をはって歌い涙する。日本も胸をはり美しい国、すばらしい国と思えるならば心から歌えると思う。オリンピックワールドカップのように。
23、国旗国歌を懲戒処分してまで強制させることを行き過ぎていると感じている私にとって、裁判所が下した結論は一応納得しているものの、思想良心をかかげて国旗国歌を拒否する教員がこれから先、増加していくとしたら、その行いを生徒がどう受け止めるだろう。
そう思うと不安がよぎる。なぜなら教員が拒否することによって生徒たちもそれらを拒否し始め、最終的に国旗、国歌を廃除してしまうことになってしまうかも知れないと懸念するからだ。
初めに書いたように処分までして強制させることには反対だが、生徒に日本が戦時に普及させた皇国思想や軍国主義思想が誕生した歴史的背景を考えさせる為にも国旗国歌の存在をつぶしてはならないと思う。
24、確かに懲戒処分をしてまで起立させ、斉唱させることはないと思うが、私はそんなに頑なに国歌を拒む理由も正直理解できない。
ただそういう人もいるのが現実。難しい問題だと思う。
25、都教員は都の職員であり、都のきまりごとにさからってはいけないのではないだろうか。
たとえ自らが歌わないとしても、生徒にまでそれを強制するのはいかがなものであろう。ピアノ伴奏は自分が歌う歌わないに関係ないのではないか。現に私の友達に国歌を歌わずボーと立っていたため今でも国歌が歌えないという子がいる。どこの国の国歌の歌詞も昔のままもの凄い歌詞のところが多いだろう。国歌だけ反対し「思想が」というのは勝手だが、他の面での反対に加わっているだろうか。加わっているとは思えない。身近な何かに自分たちの立場を使って反対するのはどうかとおもう。
26、私個人的意見として、思想がどうあれ君が代を歌わない人はおかしいと思います。
君が代は国の歌であり、歌わない人は非国民であり、裁きを受けるのが当然であると思います。ましてや学校の教員という立場であり、このような態度をとったら子供に悪影響を及ぼしかねないのではないでしょうか。
27、愛国心と天皇を奉ることは違うはずなのに、それをかけちがえている人が多すぎるように思う。
国を愛することは、自分の生まれた国を好きになり、伝統を守っていったり、郷土を大切にしていったりすることではないだろうか。児童や生徒がまず自分の国を愛することをきちんと教育の中にくみこんでいけば、何故国を愛することが大切なのか、天皇や国家を尊重する態度を養わなければならないのかが自覚できるようになるだろう。しかし、最も重要なのはそれを教える側である大人が自分自身日本人としての自覚を備えているかどうかということだと思う。
○理由1、「君が代」の歴史的事実及び創造理念
「君が代」が戦中の洗脳手段の一つであったことは間違いではないし実際そのように使われていた。また、現代では「君」とは天皇ではなく「あなた」という意味とするという意見もあるが、この君が代が作詞された理念は「天皇の世は永遠に続くものだ」というものだ。解釈を変えたところでそれは天皇賛歌に他ならない。それを知っているか、知らされてないかの違いだ。
○理由2、義務化と強制
「君が代」の斉唱及び伴奏の義務化は先の「君が代」の理念を知り、リベラルな社会に生きる今の人々にとってはとても耐え難いものである。もちろん「君が代」を歌ってもかまわない人は歌えばいいと思う。だがそれに対して抵抗があり、教育者として許容できない、歌わない場合は処分という(都教育委員会を通じた右翼な都知事)方針は不当な支配であるという考え方はとても理にかなつていると思う。
今の赤一点の国旗になったのは戦後だと聞く。それまでに日の丸から曙光が指す旭章旗なるものだった。国旗のデザインを変えたなら国歌もこの際新しくしてはどうか。今という時代にあった憲法がつくられるというなら是非今という時代に合った国歌を考えてほしいものだ。でも憲法が変わったら昔に戻るわけだから「君が代」のままにしたいのか。
14、今回の裁判が予防訴訟であったことをはじめて知った。
国歌斉唱が義務付けられるというのは国を愛する心を教育によって教え込むように思想の統制の要素が考えられる。いかに教職員といえども個人の思想や良心の自由は保障されるべきであると思う。また、国歌斉唱を強制され自身の意志を曲げて従う教職員を見ることは生徒の成長上良いとはいえないと思う。
本来国のシンボルとなる国旗・国歌だが、日本は皇国思想や軍国主義の精神的支柱として用いられてきたことがあり、手放しに受け入れられない問題がある。その点も考えて国歌斉唱を強制するべきではないと思う。
15、国歌斉唱や国旗については、愛国心、日本の道徳心を持つ上で最低限必要だと思う。
しかし、卒業式での壇上で必ずやらなければいけないことに関しては、納得がいかない。車椅子の方とか足が悪い人に、無理にたいへんな思いをしてもらいたくない。みんなが気持ちよく卒業するためだったらフロアで行なってもいい。日本人は形式にこだわりすぎる。もっと気持ちを大切にした愛国心には賛成だ。
16、式典などで国歌である君が代を歌わない教職員に対して処分を出すというのは、私はおかしいと思う。
国歌斉唱を職務命令とし、強制するのは問題だと思う。憲法で「思想及び良心の自由」が保障されているためにそれはしていけないことだ。
17、判決についてメディアや新聞をとおして知った。
我が家がとっている朝日新聞はこの判決をよしとしていたが、毎日・読売は中立的な意見を社説で述べていた。
国旗国歌法が制定されるまで、私は国歌の歌詞の意味も分からず、正式な式典で歌っていた。法が制定され、メディアが大きく取り上げられるまで、式の一環的なものとして受け入れてきた。
法が制定されていなければ、今回のような裁判は起こらなかったろうし、教職員の処分もなかったはずだ。
憲法に定められているように、人は思想良心の自由がある。ましてや教育という機関の中で、強制されるのは、私個人の意見であるが、いかがなものか。国旗国歌法が制定されされた由を明確にし、その法がなければ故人の考えのもので自由が存在していた。やはり、制限が加えられると、個人の自由な思想が奪われる。故に私も裁判の判決は正しかったと考える。
18、国旗国歌訴訟判決について、私も国歌を歌わなかったからと言って懲戒処分をするのは行過ぎていると思う。
宗教の信仰上反対するのも分からないではないが、日本国の歌である国歌なのだから皆に気持ちよく歌ってほしいに決まっているであろう。なので世界観が違う主義が違うからなどといつていたのでは、なんとなく子どもっぽいというか考えが甘いのではとも思う。このように国歌に対立があるのなら、いっそのこと国歌を皆が納得するようなものに変えてみてはいいのではないかとも考えさせられた。
19、私は学生時代、「何故君が代を歌うんですか」と先生と話しているのを聞いたことがある。
先生は「日本人の日本の国歌だから」といった話をしていたと思う。また「君が代」というのは日本の国歌ではあるが日本がどういうというより「天皇をたたえる歌」ともどこかできいたことがある。
私は前からたいした事ではないとは思っていたが「義務」だ「強制」だということになると話は変わってくる。先生のおっしゃるとおり教育基本法十条「教育は不当な支配に服することなく」を見事に打ち破っている。白黒はっきりさせねばならない法律というものではないか。
20、国歌斉唱義務不存在確認という詳しい内容は今回初めて聞いたことで、興味深かった。
個人的な意見としては、これを義務として強制すべきではないと思うし、国旗や国歌については、色々な考え方を持つ人がいるわけだから、それらの意見は尊重しなければならないだろう。しかし、卒業式や入学式などで、起立を拒むことで、一番気分を悪くするのは、生徒であることを理解してほしいところでもある。自分の生徒わ祝う式をぶちこわしにしていると思えてならない。言い方は悪いが公立校の教師や地方公務員は「国の手先」なのだから本来このようなもめごとをしてはいけないのではないか。主張ばかりして相手のこと、生徒のことが見えていない教師は、それこそ指導力不足なのではないだろうか。原告側にいた教師の年齢層は比較的高かったように思えるが、ひとりよがりな授業をして、学級崩壊していそうといってしまえば言いすぎだが、から回っている気がしてならない。生徒と主張、優先順位間違えてませんか、といつた印象を感じた。
21、国旗国歌をめぐる意見に関しては一概にイエスともノーとも答えることが難しい。
私自身がまだそれに関する知識を広域に把握できていないが、否定する人がいる以上、その人権を保障してあげるべきではあると思う。しかし愛国心が皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱であったにしろ、自身がこの国に属している自覚を養うという点で一義的なものと考えたとき、シンボルとなる国旗国歌はあっても良いような気がする。だから命令ということに問題があると思った。教師と言う立場で生徒に自らの意見を押し付けるのはよくない。そのため私であれば生徒に混乱を与えない程度に意志を表明したい。「やらなきゃいけない」は拘束が強いように感じた。
22、難しく固く考えすぎだと思う。
義務や強制という言葉に敏感に反応しすぎているだけな気がする。国旗国歌が戦争を思い出させ、思想良心の自由を侵害する。宗教上の信仰に準じた世界観や主義主張、オリンピック、ワールドカップになれば、日本!日本!となって選手と一緒になって君が代を歌い、日本が負ければ肩をおとす。夜中まで応援するのは当たり前です。校歌と国歌、全く違うようで似ていると思う。学び、笑い、泣いて楽しんだ場所の伝統ある歌。卒業では胸をはって歌い涙する。日本も胸をはり美しい国、すばらしい国と思えるならば心から歌えると思う。オリンピックワールドカップのように。
23、国旗国歌を懲戒処分してまで強制させることを行き過ぎていると感じている私にとって、裁判所が下した結論は一応納得しているものの、思想良心をかかげて国旗国歌を拒否する教員がこれから先、増加していくとしたら、その行いを生徒がどう受け止めるだろう。
そう思うと不安がよぎる。なぜなら教員が拒否することによって生徒たちもそれらを拒否し始め、最終的に国旗、国歌を廃除してしまうことになってしまうかも知れないと懸念するからだ。
初めに書いたように処分までして強制させることには反対だが、生徒に日本が戦時に普及させた皇国思想や軍国主義思想が誕生した歴史的背景を考えさせる為にも国旗国歌の存在をつぶしてはならないと思う。
24、確かに懲戒処分をしてまで起立させ、斉唱させることはないと思うが、私はそんなに頑なに国歌を拒む理由も正直理解できない。
ただそういう人もいるのが現実。難しい問題だと思う。
25、都教員は都の職員であり、都のきまりごとにさからってはいけないのではないだろうか。
たとえ自らが歌わないとしても、生徒にまでそれを強制するのはいかがなものであろう。ピアノ伴奏は自分が歌う歌わないに関係ないのではないか。現に私の友達に国歌を歌わずボーと立っていたため今でも国歌が歌えないという子がいる。どこの国の国歌の歌詞も昔のままもの凄い歌詞のところが多いだろう。国歌だけ反対し「思想が」というのは勝手だが、他の面での反対に加わっているだろうか。加わっているとは思えない。身近な何かに自分たちの立場を使って反対するのはどうかとおもう。
26、私個人的意見として、思想がどうあれ君が代を歌わない人はおかしいと思います。
君が代は国の歌であり、歌わない人は非国民であり、裁きを受けるのが当然であると思います。ましてや学校の教員という立場であり、このような態度をとったら子供に悪影響を及ぼしかねないのではないでしょうか。
27、愛国心と天皇を奉ることは違うはずなのに、それをかけちがえている人が多すぎるように思う。
国を愛することは、自分の生まれた国を好きになり、伝統を守っていったり、郷土を大切にしていったりすることではないだろうか。児童や生徒がまず自分の国を愛することをきちんと教育の中にくみこんでいけば、何故国を愛することが大切なのか、天皇や国家を尊重する態度を養わなければならないのかが自覚できるようになるだろう。しかし、最も重要なのはそれを教える側である大人が自分自身日本人としての自覚を備えているかどうかということだと思う。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます