【記事転載】追悼、金順岳・キム・スンアクさん82歳
皆様
おはようございます。犯罪都教委&1.5悪都議と断固、闘う増田です! これはBCCでお送りしています。重複・長文、ご容赦を。
以下、韓国紙の報道を転送します。日本軍性奴隷被害者・強制労働被害者の方たちは高齢となり、日本政府のきちんとした謝罪や賠償金を受け取ることなく亡くなっていきます。このままでは、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」(日本国憲法前文)どころか、「われらは」不名誉な地位を占める!? ままになるのではないでしょうか?
「歴史を直視する」と公言なさった鳩山首相ですから、この政権下で、なんとか、植民地支配責任・戦争責任を認めて被害者に謝罪・補償をする法律を早く作らなくてはいけませんね。
http://www.chosunonline.com/news/20100104000009
朝鮮日報、記事入力 : 2010/01/04 08:28:54
■ 従軍慰安婦被害者の金順岳さん死去
日帝による植民地統治下で日本軍の従軍慰安婦として連行され、近年は当時の実態を積極的に証言してきた金順岳(キム・スンアク)さん(82)が2日午前、死去した。
金さんは現在の慶尚北道慶山市で小作農の家に3人兄弟の長女として生まれ、16歳の時に「繊維工場に就職させる」という言葉にだまされ、日本軍の慰安所に連れていかれた。その後、中国のハルビン、内モンゴル、北京などで2年あまりにわたり、日本軍に性的奴隷生活を強要された。金さんは解放後の1946年に鴨緑江を渡り帰国し、ソウル、群山、麗水、東豆川などを転々としながら苦しい生活を営んできた。
金さんは2000年に日本軍による従軍慰安婦被害者として登録し、韓国挺身隊問題対策協議会の集会で慰安婦の実態について証言してきた。07年2月には国会統一外交通商委員会に出席し、慰安婦の生活実態について証言。08年8月には慰安婦のつらい生活をつづった一代記『わたしの気持ちは誰も分からない』を出版した。
大邱市中区の病院に設けられた遺体安置所には、「挺身隊のおばあさんと共にある市民の集い」や挺身隊問題対策協議会のメンバー約50人が訪れた。中には大邱市在住の慰安婦被害者、イ・ヨンスさん(82)、シム・ダルヨンさん(83)ら4人の姿もあった。
ひつぎの前には白喜英(ペク・ヒヨン)女性部長官、丁世均(チョン・セギュン)民主党代表、朴宣映(パク・ソンヨン)自由先進党広報担当、大邱市民団体連帯会議などから献花があった。金さんの死去で、韓国政府に登録した慰安婦被害者のうち生存者は88人となった。
チェ・ソンジン記者 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
東亜日報…JANUARY 04, 2010 08:22
■ 「歴史の証人」がまたもや
日本軍慰安婦の被害者として昨年12月、大腸ガンの手術を受け、闘病していた金スンアクさん(写真)が2日、慶尚北道慶山(キョンサンブクド・キョンサン)の自宅で亡くなった。享年82歳。
1928年、慶山で生まれた金さんは、1943年、就職ができるという甘言に騙され、中国ハルビンや内モンゴルに連れられ、北京の日本軍慰安所で2年間余り、慰安婦として働かされながら苦難を経た。1946年に帰国した金さんは、01年、日本軍慰安婦による被害者として登録し、韓国挺身隊問題対策協議会が行う集会や国会証言などを通じ、日本軍慰安婦の実状を、国内外に知らせる活動を行ってきた。08年は、慰安婦としての人生を顧みた著書「私の気持ちは誰も分からない」を発売した。
金さんの死亡により、政府に登録されている慰安婦被害の生存女性は88人のみ残るようになった。
市民社会団体葬として行われる金さんの葬式は4日午後7時半、大邱市中区壽洞(テグシ・チュング・スドン)クァク病院の葬式場で告別式を行った後、慶尚北道永川市清通面(ヨンチョンシ・チョントンミョン)の大韓仏教・曹溪宗(チョゲジョン)の銀海寺(ウンへサ)で樹木葬として執り行われる。
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おはようございます。犯罪都教委&1.5悪都議と断固、闘う増田です! これはBCCでお送りしています。重複・長文、ご容赦を。
以下、韓国紙の報道を転送します。日本軍性奴隷被害者・強制労働被害者の方たちは高齢となり、日本政府のきちんとした謝罪や賠償金を受け取ることなく亡くなっていきます。このままでは、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」(日本国憲法前文)どころか、「われらは」不名誉な地位を占める!? ままになるのではないでしょうか?
「歴史を直視する」と公言なさった鳩山首相ですから、この政権下で、なんとか、植民地支配責任・戦争責任を認めて被害者に謝罪・補償をする法律を早く作らなくてはいけませんね。
http://www.chosunonline.com/news/20100104000009
朝鮮日報、記事入力 : 2010/01/04 08:28:54
■ 従軍慰安婦被害者の金順岳さん死去
日帝による植民地統治下で日本軍の従軍慰安婦として連行され、近年は当時の実態を積極的に証言してきた金順岳(キム・スンアク)さん(82)が2日午前、死去した。
金さんは現在の慶尚北道慶山市で小作農の家に3人兄弟の長女として生まれ、16歳の時に「繊維工場に就職させる」という言葉にだまされ、日本軍の慰安所に連れていかれた。その後、中国のハルビン、内モンゴル、北京などで2年あまりにわたり、日本軍に性的奴隷生活を強要された。金さんは解放後の1946年に鴨緑江を渡り帰国し、ソウル、群山、麗水、東豆川などを転々としながら苦しい生活を営んできた。
金さんは2000年に日本軍による従軍慰安婦被害者として登録し、韓国挺身隊問題対策協議会の集会で慰安婦の実態について証言してきた。07年2月には国会統一外交通商委員会に出席し、慰安婦の生活実態について証言。08年8月には慰安婦のつらい生活をつづった一代記『わたしの気持ちは誰も分からない』を出版した。
大邱市中区の病院に設けられた遺体安置所には、「挺身隊のおばあさんと共にある市民の集い」や挺身隊問題対策協議会のメンバー約50人が訪れた。中には大邱市在住の慰安婦被害者、イ・ヨンスさん(82)、シム・ダルヨンさん(83)ら4人の姿もあった。
ひつぎの前には白喜英(ペク・ヒヨン)女性部長官、丁世均(チョン・セギュン)民主党代表、朴宣映(パク・ソンヨン)自由先進党広報担当、大邱市民団体連帯会議などから献花があった。金さんの死去で、韓国政府に登録した慰安婦被害者のうち生存者は88人となった。
チェ・ソンジン記者 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
東亜日報…JANUARY 04, 2010 08:22
■ 「歴史の証人」がまたもや
日本軍慰安婦の被害者として昨年12月、大腸ガンの手術を受け、闘病していた金スンアクさん(写真)が2日、慶尚北道慶山(キョンサンブクド・キョンサン)の自宅で亡くなった。享年82歳。
1928年、慶山で生まれた金さんは、1943年、就職ができるという甘言に騙され、中国ハルビンや内モンゴルに連れられ、北京の日本軍慰安所で2年間余り、慰安婦として働かされながら苦難を経た。1946年に帰国した金さんは、01年、日本軍慰安婦による被害者として登録し、韓国挺身隊問題対策協議会が行う集会や国会証言などを通じ、日本軍慰安婦の実状を、国内外に知らせる活動を行ってきた。08年は、慰安婦としての人生を顧みた著書「私の気持ちは誰も分からない」を発売した。
金さんの死亡により、政府に登録されている慰安婦被害の生存女性は88人のみ残るようになった。
市民社会団体葬として行われる金さんの葬式は4日午後7時半、大邱市中区壽洞(テグシ・チュング・スドン)クァク病院の葬式場で告別式を行った後、慶尚北道永川市清通面(ヨンチョンシ・チョントンミョン)の大韓仏教・曹溪宗(チョゲジョン)の銀海寺(ウンへサ)で樹木葬として執り行われる。
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