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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

自らの誤判の再審を訴えた元裁判官の思いは未だ実らず

2020年11月25日 | 平和憲法
 ◆ 元裁判官の涙 (東京新聞【本音のコラム】)
鎌田 慧(かまたさとし・ルポライター)

 元裁判官熊本典道さんの死については「こちら特報部」でも取り上げられたが、死刑を決定した裁判官と死刑を宣告された袴田巌さんとの「恩讐(おんしゅう)の彼方(かなた)に」の交流は、裁判制度の悲劇だ。
 熊本さんは袴田さんの無実を信じていながら、世論を虞(おそ)れる裁判長を説得できず死刑の判決文を書いた。
 判決の七カ月後、裁判官を辞任、弁護士に転職したが、酒に溺れた。北欧を彷徨(さまよ)い、冬のフィヨルドで死のうと思った。
 「『被告人立って』。主文言い渡しの直前まで無罪を信じていた、とあとで聞きました。袴田君の肩がガッと落ちて…。その瞬間から、私は石見さん(裁判長)がなにを読んだか覚えていない」
 十三年前、取材でお会いしたとき、熊本さんは涙を浮かべて語った。
 家族と離別。福岡市の木造アパート、小さな卓袱(ちゃぶ)台を前に落魄(らくはく)の一人暮らし。日弁連の会費も払えないほどながら、司法試験同期トップの面影はまだ強く残っていた。
 「熊本さんを恨んでいませんか」。袴田さんの姉秀子さん(87)に聞いたことがある。「いいえ、黙っていればいられたのに」と不憫(ふびん)そうに言った。
 裁判官が誤判を告白。自分で再審を訴えるなど希有(けう)のことだ。

 「熊本さんが亡くなったよ」。秀子さんが教えても巌さんは「ウソだ」と認めない。拘禁性障害はまだ重い。
 再審開始決定も取り消し。いまだ死刑囚だ。(ルポライター)

『東京新聞』(2020年11月24日【本音のコラム】)

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