☆ 東京「君が代」3次訴訟・控訴審判決12月4日(金)14:00~東京高裁101号
私は個性を大切に、全ての人の尊厳が守られる学校を目指し、差別も苛めも無い平和な社会を願い、教員として34年目を迎えています。憲法の民主主義・人権尊重・平和主義と、「教え子を再び戦場に送らない」という反省を胸に生きてきました。
私は戒告処分、減給10分の1・1月、同・6月という3回の処分を受けました。本件裁判では戒告処分の取消しを求めています。
10・23通達以降、「君が代」起立斉唱の件のみにとどまらず、教育現場の隅々で上意下達体制が定着し、現場への締め付けが強化され「何を言っても無駄」という雰囲気がまんえんしています。このような中で、以前はなかった校長ら管理職よるパワーハラスメントが横行するようにもなっています。
たとえば、3年前に、私の知り合いの新規採用教員が校長から何度もパワハラを受けた末に、正式採用前に免職されたことがありました。これは裁判となり、ひどいパワハラの実態が明らかになり、本人は復職を果たすことができました。しかし、東京では毎年100名ほどの新規採用教員が職場を去っています。この割合は全国平均の3倍にあたる数字なのです。
また昨年、同僚の若い教員が、女生徒との一部のメールに問題があるとし、免職処分になりました。これも裁判となり、提訴後、裁判所から処分執行停止が言い渡されることになりましたが、法廷で明らかになったのは、裁判所に提出された校長の陳述書が、都教委の管理主事が強要して書かせたものだったこと、教員本人が提出した自認書も、管理主事が強要して書かせたものだったこと等です。
同じく昨年、私の勤務校で校長から「土曜授業の実施」が提案され、職員の同意が得られず白紙撤回したことがありましたが、校長が「実施できない」「撤回する」と言ったにもかかわらずその後何度も再提案され、最後の提案は推薦入試の結果発表後でした。新入生は事前に土曜授業があることも知らされず、入学して初めて知る事態となっては学校の混乱は計り知れません。この背景には、都教委の東部学校経営支援センターから校長に土曜授業の実施が強要された事実がありました。都教委は、「土曜授業が実施出来なければ、校長に辞めてもらう。」とか「反対する教員は、異動させれば良い。」などと校長に迫り不当な介入をしたのです。
その間、都教委は職員会議の録音を提出させる等して、反対した教員たちを根こそぎ異動させたのです。こんな異動は前代未聞です。生徒の為、良い教育の為という視点が全く欠如しています。
このように学校現場は荒廃し、特に若い先生達は失敗を恐れ、上司に目をつけられないよう、言われるままに仕事を無難にこなすことに集中するしかありません。創意工夫し、より適切な指導方法で実践することが出来ないのです。この状態が続けば、生徒も教員も、思考停止人間にされてしまいます。都教委のある若い役人は「私達もおかしいと思うことはあるが、すべて都教委人事部からの指示に従うしかないんです。」と言っていました。
私は昨年度、1学年の担任で、新年度は引きつづき2年生の担任となることを希望していて、校長もそう考えていましたが、都教委によって異動させられました。
私に対して校長が良い業績評価をしても、都教委の圧力で「学校経営」は常に低評価です。校長が担任として人事を考えても、都教委の圧力で「担任外し」が行われます。3年間付き合う予定で担任をしていても、都教委の人事介入で強制異動されます。校長権限など無に等しい状態です。
昨年度担任したクラスの生徒たちから、「先生、異動しないで!」「私達が都教委に言ってやる!」と嬉しい言葉を掛けられながらも、結局は不本意な異動をさせられました。異動後も、生徒たちから「勉強教えて」「悩み聞いて」等と連絡があり、面倒を見たり、相談に乗ったりしてます。
何より長年経験したキャリアで、「こうしたい」「ああしたい」と思っても、その実践が出来ない現実に、大きな苦痛と虚無感が襲ってきます。
同僚も管理職も行政も、皆が協力して生徒に寄り添い、彼等の幸福の為に精一杯指導・支援出来ることを望みますので、裁判官の皆様には、私どもの訴えに十分耳を傾け、生徒を第一に考える教育が再び出来るように、憲法の精神を守って判断して頂けることを望んで、陳述を終わります。
◎ 意 見 陳 述 書
2015年9月3日 原告 I
私は個性を大切に、全ての人の尊厳が守られる学校を目指し、差別も苛めも無い平和な社会を願い、教員として34年目を迎えています。憲法の民主主義・人権尊重・平和主義と、「教え子を再び戦場に送らない」という反省を胸に生きてきました。
私は戒告処分、減給10分の1・1月、同・6月という3回の処分を受けました。本件裁判では戒告処分の取消しを求めています。
10・23通達以降、「君が代」起立斉唱の件のみにとどまらず、教育現場の隅々で上意下達体制が定着し、現場への締め付けが強化され「何を言っても無駄」という雰囲気がまんえんしています。このような中で、以前はなかった校長ら管理職よるパワーハラスメントが横行するようにもなっています。
たとえば、3年前に、私の知り合いの新規採用教員が校長から何度もパワハラを受けた末に、正式採用前に免職されたことがありました。これは裁判となり、ひどいパワハラの実態が明らかになり、本人は復職を果たすことができました。しかし、東京では毎年100名ほどの新規採用教員が職場を去っています。この割合は全国平均の3倍にあたる数字なのです。
また昨年、同僚の若い教員が、女生徒との一部のメールに問題があるとし、免職処分になりました。これも裁判となり、提訴後、裁判所から処分執行停止が言い渡されることになりましたが、法廷で明らかになったのは、裁判所に提出された校長の陳述書が、都教委の管理主事が強要して書かせたものだったこと、教員本人が提出した自認書も、管理主事が強要して書かせたものだったこと等です。
同じく昨年、私の勤務校で校長から「土曜授業の実施」が提案され、職員の同意が得られず白紙撤回したことがありましたが、校長が「実施できない」「撤回する」と言ったにもかかわらずその後何度も再提案され、最後の提案は推薦入試の結果発表後でした。新入生は事前に土曜授業があることも知らされず、入学して初めて知る事態となっては学校の混乱は計り知れません。この背景には、都教委の東部学校経営支援センターから校長に土曜授業の実施が強要された事実がありました。都教委は、「土曜授業が実施出来なければ、校長に辞めてもらう。」とか「反対する教員は、異動させれば良い。」などと校長に迫り不当な介入をしたのです。
その間、都教委は職員会議の録音を提出させる等して、反対した教員たちを根こそぎ異動させたのです。こんな異動は前代未聞です。生徒の為、良い教育の為という視点が全く欠如しています。
このように学校現場は荒廃し、特に若い先生達は失敗を恐れ、上司に目をつけられないよう、言われるままに仕事を無難にこなすことに集中するしかありません。創意工夫し、より適切な指導方法で実践することが出来ないのです。この状態が続けば、生徒も教員も、思考停止人間にされてしまいます。都教委のある若い役人は「私達もおかしいと思うことはあるが、すべて都教委人事部からの指示に従うしかないんです。」と言っていました。
私は昨年度、1学年の担任で、新年度は引きつづき2年生の担任となることを希望していて、校長もそう考えていましたが、都教委によって異動させられました。
私に対して校長が良い業績評価をしても、都教委の圧力で「学校経営」は常に低評価です。校長が担任として人事を考えても、都教委の圧力で「担任外し」が行われます。3年間付き合う予定で担任をしていても、都教委の人事介入で強制異動されます。校長権限など無に等しい状態です。
昨年度担任したクラスの生徒たちから、「先生、異動しないで!」「私達が都教委に言ってやる!」と嬉しい言葉を掛けられながらも、結局は不本意な異動をさせられました。異動後も、生徒たちから「勉強教えて」「悩み聞いて」等と連絡があり、面倒を見たり、相談に乗ったりしてます。
何より長年経験したキャリアで、「こうしたい」「ああしたい」と思っても、その実践が出来ない現実に、大きな苦痛と虚無感が襲ってきます。
同僚も管理職も行政も、皆が協力して生徒に寄り添い、彼等の幸福の為に精一杯指導・支援出来ることを望みますので、裁判官の皆様には、私どもの訴えに十分耳を傾け、生徒を第一に考える教育が再び出来るように、憲法の精神を守って判断して頂けることを望んで、陳述を終わります。
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