◆ 劣化した国会を両断
「反安保」の学者が再び怒りの声明 (日刊ゲンダイ)
早稲田大の長谷部教授(左)と法政大の山口教授
議会政治の劣化は目を覆うしかない――。昨夏の安保国会で立憲主義の破壊に危機感を抱き、声を上げた学者たちが、あれから1年、あまりにヒドすぎる国会論議にシビレを切らし、再び立ち上がった。
安倍政治に“NO”の学者らで作る「立憲デモクラシーの会」が12日、「議会政治の劣化と解散問題に関する見解」を発表し、衆院議員会館で会見した。
声明では、〈現在の政府・与党の振る舞いには、多様な利害、多様な見解を統合して、将来にわたる国民の利益を実現しようという態度は見受けられない〉とした上で、〈それを装おうとする努力さえない〉と断じた。
今の国会を見ても、TPP、年金カット法の強行採決、“読経”を含む審議時間わずか6時間で衆院を通過させたカジノ法案、首相自ら長い答弁で議論を避ける党首討論と、安倍政権は国会をなめきった対応のオンパレード。
それでいて、悪びれる様子はみじんもない。“暴挙”にしては淡々と事務的だ。
小森陽一教授(東大=日本文学)は「国会の空気は、議論することを冷笑し、侮蔑し、バカにしている。議論の取っ掛かりさえ無視されているのが今の国会だ」と憤る。
しかし、国民は怒ることなく、“容認”してしまっている。
山口二郎教授(法政大=政治学)は、安倍政治の自制心の欠如が一番の問題としながらも、「メディアがトップダウンやスピード感といった会社の経営のようなことを、政治にまで要求する風潮がある。結論に至るまで時間がかかる“審議”が軽んじられている」と指摘した。
内閣が持つ衆院の解散権に警鐘を鳴らすのは、長谷部恭男教授(早稲田大=憲法)だ。
「かつて解散する場合、大義はあるのかという抑制的な議論があったが、最近は見られなくなった。与党に有利な時に解散するのは当然だと言わんばかりだが、世界の潮流は解散権の行使を制約する方向だ」
今後、長年不問にされてきた解散権の慣行についても問題提起していくという。
学者の叫びは国民に届くのか。
『日刊ゲンダイ』(2016年12月13日)
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/195700
議会制民主主義における議会の役割は本来、特定の党派、特定の利害を超えた、国民全体に共通する中長期的利益を実現すること、ジャン-ジャック・ルソーのことばを借りるならば、「一般意思」を実現することにある。
一般意思の追求など偽善的スローガンにすぎないとのシニカルな見方もあるかも知れない。しかし、政治から偽善を取り去れば、残るのはその場その場における特殊利益むき出しの権力闘争のみである。
残念ながら、現在の政府・与党の振る舞いには、多様な利害、多様な見解を統合して、将来にわたる国民の利益を実現しようとする態度は見受けられない。それを装おうとする努力さえない。
非現実的な適用事例を挙げるのみで、必要性も合理性も説明することなく、いわゆる安保関連法制を強行採決につぐ強行採決によって制定した昨年の通常国会での行動はその典型である。
そうした振る舞いは、TPP関連法案、年金制度改革法案、カジノ法案の採決を、数々の懸念や疑問点にもかかわらず強行する近時の行動でも変わるところはない。数の力は、説明や説得の代わりにはならない。
国会が各党派の議席数の登録と計算の場にすぎないのであれば、審議などはじめから無用のはずである。政権中枢から発出される数々の暴言・失言を含め、議会政治の劣化は、目を覆うしかない状況にある。
数の力によって特定の党派、特定の見解を無理やりに実現しようとする現在の政府・与党の態度の背景には、与党によって有利な時機を選んで衆議院総選挙を施行する、長年にわたる政治慣行も控えている。
この政治慣行は、その一つの帰結として、解散風を吹かせることで与党内部を引き締めるとともに、野党に脅しをかける力を政府に与えることにもなる。むき出しの権力闘争の手段である。
小選挙区比例代表並立制の下での、政権中枢への権力の集中とあいまって、現在の政権は、選挙戦略で手に入れた両院の議席の多さを、世論での支持の広がりと見誤っているおそれもある。
しばしば誤解されることがあるが、議院内閣制の下では必ず、行政権に自由な議会解散権があるわけではない。ドイツ基本法に典型的に見られるように、「議院内閣制の合理化」の一環として、憲法典によって解散権の行使を厳しく制約する国も多い。
さらに、議院内閣制の母国であり、その典型例とされるイギリスでは、2011年9月15日成立した立法期固定法(The Fixed-term Parliaments Act 2011)により、次の選挙の期日を2015年5月7日と定めるとともに、その後の総選挙は、直近の総選挙から5年目の5月の最初の木曜日に施行することを原則とするにいたった。
議院内閣制である以上は、内閣あるいは首相が自由に議会を解散できるという主張自体は、ますます説得力を失いつつある。政府与党が自らにとって最も有利な時期に総選挙を施行する党利に基づく解散権の行使は、もともと議会の解散が稀なフランスでは「イギリス流の解散 dissolution anglaise」と否定的に語られる。
日本の議会政治がその本来の姿へ回帰するためには、長年にわたって疑われることのなかった解散権に関する慣行の是非も改めて検討の対象とする必要があろう。
2016年12月12日
立憲デモクラシーの会
http://constitutionaldemocracyjapan.tumblr.com/post/154372016841/%E8%AD%B0%E4%BC%9A%E6%94%BF%E6%B2%BB%E3%81%AE%E5%8A%A3%E5%8C%96%E3%81%A8%E8%A7%A3%E6%95%A3%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E8%A6%8B%E8%A7%A3
※1212緊急記者会見 立憲デモクラシーの会(動画57分)
https://youtu.be/fPJpMchvgtk
冒頭 ~ 山口二郎氏(共同代表・法政大学教授・政治学)
5分~ 長谷部恭男氏(早稲田大学教授・憲法学)
9分~ 小森陽一氏(東京大学教授・日本文学)
13分~ 千葉眞氏(国際基督教大学特任教授・政治学)
22分~ 西谷修氏(立教大学特任教授・哲学)
37分~ 質疑応答
「反安保」の学者が再び怒りの声明 (日刊ゲンダイ)
早稲田大の長谷部教授(左)と法政大の山口教授
議会政治の劣化は目を覆うしかない――。昨夏の安保国会で立憲主義の破壊に危機感を抱き、声を上げた学者たちが、あれから1年、あまりにヒドすぎる国会論議にシビレを切らし、再び立ち上がった。
安倍政治に“NO”の学者らで作る「立憲デモクラシーの会」が12日、「議会政治の劣化と解散問題に関する見解」を発表し、衆院議員会館で会見した。
声明では、〈現在の政府・与党の振る舞いには、多様な利害、多様な見解を統合して、将来にわたる国民の利益を実現しようという態度は見受けられない〉とした上で、〈それを装おうとする努力さえない〉と断じた。
今の国会を見ても、TPP、年金カット法の強行採決、“読経”を含む審議時間わずか6時間で衆院を通過させたカジノ法案、首相自ら長い答弁で議論を避ける党首討論と、安倍政権は国会をなめきった対応のオンパレード。
それでいて、悪びれる様子はみじんもない。“暴挙”にしては淡々と事務的だ。
小森陽一教授(東大=日本文学)は「国会の空気は、議論することを冷笑し、侮蔑し、バカにしている。議論の取っ掛かりさえ無視されているのが今の国会だ」と憤る。
しかし、国民は怒ることなく、“容認”してしまっている。
山口二郎教授(法政大=政治学)は、安倍政治の自制心の欠如が一番の問題としながらも、「メディアがトップダウンやスピード感といった会社の経営のようなことを、政治にまで要求する風潮がある。結論に至るまで時間がかかる“審議”が軽んじられている」と指摘した。
内閣が持つ衆院の解散権に警鐘を鳴らすのは、長谷部恭男教授(早稲田大=憲法)だ。
「かつて解散する場合、大義はあるのかという抑制的な議論があったが、最近は見られなくなった。与党に有利な時に解散するのは当然だと言わんばかりだが、世界の潮流は解散権の行使を制約する方向だ」
今後、長年不問にされてきた解散権の慣行についても問題提起していくという。
学者の叫びは国民に届くのか。
『日刊ゲンダイ』(2016年12月13日)
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/195700
◎ 議会政治の劣化と解散問題に関する見解
議会制民主主義における議会の役割は本来、特定の党派、特定の利害を超えた、国民全体に共通する中長期的利益を実現すること、ジャン-ジャック・ルソーのことばを借りるならば、「一般意思」を実現することにある。
一般意思の追求など偽善的スローガンにすぎないとのシニカルな見方もあるかも知れない。しかし、政治から偽善を取り去れば、残るのはその場その場における特殊利益むき出しの権力闘争のみである。
残念ながら、現在の政府・与党の振る舞いには、多様な利害、多様な見解を統合して、将来にわたる国民の利益を実現しようとする態度は見受けられない。それを装おうとする努力さえない。
非現実的な適用事例を挙げるのみで、必要性も合理性も説明することなく、いわゆる安保関連法制を強行採決につぐ強行採決によって制定した昨年の通常国会での行動はその典型である。
そうした振る舞いは、TPP関連法案、年金制度改革法案、カジノ法案の採決を、数々の懸念や疑問点にもかかわらず強行する近時の行動でも変わるところはない。数の力は、説明や説得の代わりにはならない。
国会が各党派の議席数の登録と計算の場にすぎないのであれば、審議などはじめから無用のはずである。政権中枢から発出される数々の暴言・失言を含め、議会政治の劣化は、目を覆うしかない状況にある。
数の力によって特定の党派、特定の見解を無理やりに実現しようとする現在の政府・与党の態度の背景には、与党によって有利な時機を選んで衆議院総選挙を施行する、長年にわたる政治慣行も控えている。
この政治慣行は、その一つの帰結として、解散風を吹かせることで与党内部を引き締めるとともに、野党に脅しをかける力を政府に与えることにもなる。むき出しの権力闘争の手段である。
小選挙区比例代表並立制の下での、政権中枢への権力の集中とあいまって、現在の政権は、選挙戦略で手に入れた両院の議席の多さを、世論での支持の広がりと見誤っているおそれもある。
しばしば誤解されることがあるが、議院内閣制の下では必ず、行政権に自由な議会解散権があるわけではない。ドイツ基本法に典型的に見られるように、「議院内閣制の合理化」の一環として、憲法典によって解散権の行使を厳しく制約する国も多い。
さらに、議院内閣制の母国であり、その典型例とされるイギリスでは、2011年9月15日成立した立法期固定法(The Fixed-term Parliaments Act 2011)により、次の選挙の期日を2015年5月7日と定めるとともに、その後の総選挙は、直近の総選挙から5年目の5月の最初の木曜日に施行することを原則とするにいたった。
議院内閣制である以上は、内閣あるいは首相が自由に議会を解散できるという主張自体は、ますます説得力を失いつつある。政府与党が自らにとって最も有利な時期に総選挙を施行する党利に基づく解散権の行使は、もともと議会の解散が稀なフランスでは「イギリス流の解散 dissolution anglaise」と否定的に語られる。
日本の議会政治がその本来の姿へ回帰するためには、長年にわたって疑われることのなかった解散権に関する慣行の是非も改めて検討の対象とする必要があろう。
2016年12月12日
立憲デモクラシーの会
http://constitutionaldemocracyjapan.tumblr.com/post/154372016841/%E8%AD%B0%E4%BC%9A%E6%94%BF%E6%B2%BB%E3%81%AE%E5%8A%A3%E5%8C%96%E3%81%A8%E8%A7%A3%E6%95%A3%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E8%A6%8B%E8%A7%A3
※1212緊急記者会見 立憲デモクラシーの会(動画57分)
https://youtu.be/fPJpMchvgtk
冒頭 ~ 山口二郎氏(共同代表・法政大学教授・政治学)
5分~ 長谷部恭男氏(早稲田大学教授・憲法学)
9分~ 小森陽一氏(東京大学教授・日本文学)
13分~ 千葉眞氏(国際基督教大学特任教授・政治学)
22分~ 西谷修氏(立教大学特任教授・哲学)
37分~ 質疑応答
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