= 続・精神科医 野田正彰教授が分析する橋下徹 =
◆ 前大阪府知事はやっぱり「病気」である
続きは、発売中の『新潮45』12月号(続・「最も危険な政治家」橋下徹研究)でお読み下さい。
(略)
繰り出してくる破壊条例案、破壊構想を市民に理解してもらうために、当事者は批判せざるを得ないが、まるでもぐら叩きであり、後に残るのは虚しさだけである。
橋下徹には短い「今」しかない。過去から連続する自分(アイデンティティ)がない。ついこの前、まったく違うことを主張していたではないか。今言っていることと、まったく違う反社会的行動をとっていたではないか。そう呆れても、彼は非難されていることが十分に分らない。情報として受けとっても、感情のレベルで受けとめる能力を欠いている。
北野高校で教えた先生が、「嘘を平気で言う。バレても恥じない。信用できない。自分の利害にかかわることには理屈を考え出す」「話していても、壁に向って話しているような思いにこちらがなる。感情交流ができず、共感がない」と告げた、彼の人格の内実である。
この様な人には、彼の現在の主張に短く反論すると同時に、過去の言動を繰返し指摘し、人格の連続性がないことを思い知らさなければならない。
K・シュナイダーは精神病質人格を「その人格の異常性を自らが悩みとし、またはその異常性によって社会が悩むような異常人格」と定義し、正常と異常の価値規範や平均規準にあまりこだわらず、無体系的・記述的に十の類型を取り出した。
橋下は自らがその性格ゆえに悩むことなく、社会を悩まし続けている。橋下を問題にするとき、シュナイダーの「自己顕示欲求型精神病質」について書かれた僅か14頁(翻訳陣)の章を何度となく読んでおのがよい。
「虚談人は他人を欺むくと同時に、自分自身を欺く」、
問題になるのは、「内容空虚性、自己顕示欲、実際にそうであるよりもよく見えたいとの執着である。が、想像力およびある種の活動性も虚談的な自己顕示欲型の人の出現には欠きえないものである」、
「現実の根抵を棄去っていることはよく判っているが、彼らは虚談欲からその材料を熱心に紡ぎ続け、自分の営みについて結末をつけないのである」
といった分析をよく噛み締めておくべきであろう。
近年の「精神および行動の障害」分類では、演技性人格障害に当る。
(なお私の診断に対し、障害者差別だと誤解する人がいる。ここでの「精神障害」とはWHO国際分類およびアメリカ精神医学会のDSMが定義する、「個人の機能不全の一症状」の意味であり、疾患(disease)でも疾病(illness)でもない。ましてや先天性の疾患を示すものではない。)
前号ではWHO国際分類を紹介したので、今回はDSM4の「演技性人格障害」を挙げておこう。
《過度な情緒性と人の注意をひこうとする広範な様式で、成人期早期に始まり、種々の状況で明らかになる。以下のうち5つ(またはそれ以上)で示される。
(1)自分が注目の的になっていない状況では楽しくない。
(2)他者との交流は、しばしば不適切なほど、性的に誘惑的な、または挑発的な行動によって特徴づけられる。
(3)浅薄ですばやく変化する感情表出を示す。
(4)自分への関心を引くために絶えず身体的外見を用いる。
(5)過度に印象的だが内容の詳細がない話し方をする。
(6)自己演劇化、芝居がかった態度、誇張した情緒表現を示す。
(7)被暗示的、つまり他人または環境の影響を受けやすい。
(8)対人関係を、実際以Lに親留なものとみなす。》
彼のこれまでの言動は、5項目どころか、ことごとく当てはまる。しかし演技性人格障害だからといって、個人として非難されるべきだと述べているのではない。
この様な人が大阪府や大阪市の政治をもてあそび、独裁宣言までして破壊しようとしている。これ以上こうした人格が政治や司法の場で活動してはならない、私たちはそれに気付かねばならないから、あえて書いているのである。
橋下徹や維新の会との闘いは、暴力と良識との闘いである。
◆ 前大阪府知事はやっぱり「病気」である
続きは、発売中の『新潮45』12月号(続・「最も危険な政治家」橋下徹研究)でお読み下さい。
(略)
繰り出してくる破壊条例案、破壊構想を市民に理解してもらうために、当事者は批判せざるを得ないが、まるでもぐら叩きであり、後に残るのは虚しさだけである。
橋下徹には短い「今」しかない。過去から連続する自分(アイデンティティ)がない。ついこの前、まったく違うことを主張していたではないか。今言っていることと、まったく違う反社会的行動をとっていたではないか。そう呆れても、彼は非難されていることが十分に分らない。情報として受けとっても、感情のレベルで受けとめる能力を欠いている。
北野高校で教えた先生が、「嘘を平気で言う。バレても恥じない。信用できない。自分の利害にかかわることには理屈を考え出す」「話していても、壁に向って話しているような思いにこちらがなる。感情交流ができず、共感がない」と告げた、彼の人格の内実である。
この様な人には、彼の現在の主張に短く反論すると同時に、過去の言動を繰返し指摘し、人格の連続性がないことを思い知らさなければならない。
K・シュナイダーは精神病質人格を「その人格の異常性を自らが悩みとし、またはその異常性によって社会が悩むような異常人格」と定義し、正常と異常の価値規範や平均規準にあまりこだわらず、無体系的・記述的に十の類型を取り出した。
橋下は自らがその性格ゆえに悩むことなく、社会を悩まし続けている。橋下を問題にするとき、シュナイダーの「自己顕示欲求型精神病質」について書かれた僅か14頁(翻訳陣)の章を何度となく読んでおのがよい。
「虚談人は他人を欺むくと同時に、自分自身を欺く」、
問題になるのは、「内容空虚性、自己顕示欲、実際にそうであるよりもよく見えたいとの執着である。が、想像力およびある種の活動性も虚談的な自己顕示欲型の人の出現には欠きえないものである」、
「現実の根抵を棄去っていることはよく判っているが、彼らは虚談欲からその材料を熱心に紡ぎ続け、自分の営みについて結末をつけないのである」
といった分析をよく噛み締めておくべきであろう。
近年の「精神および行動の障害」分類では、演技性人格障害に当る。
(なお私の診断に対し、障害者差別だと誤解する人がいる。ここでの「精神障害」とはWHO国際分類およびアメリカ精神医学会のDSMが定義する、「個人の機能不全の一症状」の意味であり、疾患(disease)でも疾病(illness)でもない。ましてや先天性の疾患を示すものではない。)
前号ではWHO国際分類を紹介したので、今回はDSM4の「演技性人格障害」を挙げておこう。
《過度な情緒性と人の注意をひこうとする広範な様式で、成人期早期に始まり、種々の状況で明らかになる。以下のうち5つ(またはそれ以上)で示される。
(1)自分が注目の的になっていない状況では楽しくない。
(2)他者との交流は、しばしば不適切なほど、性的に誘惑的な、または挑発的な行動によって特徴づけられる。
(3)浅薄ですばやく変化する感情表出を示す。
(4)自分への関心を引くために絶えず身体的外見を用いる。
(5)過度に印象的だが内容の詳細がない話し方をする。
(6)自己演劇化、芝居がかった態度、誇張した情緒表現を示す。
(7)被暗示的、つまり他人または環境の影響を受けやすい。
(8)対人関係を、実際以Lに親留なものとみなす。》
彼のこれまでの言動は、5項目どころか、ことごとく当てはまる。しかし演技性人格障害だからといって、個人として非難されるべきだと述べているのではない。
この様な人が大阪府や大阪市の政治をもてあそび、独裁宣言までして破壊しようとしている。これ以上こうした人格が政治や司法の場で活動してはならない、私たちはそれに気付かねばならないから、あえて書いているのである。
橋下徹や維新の会との闘いは、暴力と良識との闘いである。
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