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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

成嶋隆教授の回答(5)

2010年12月11日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 ◎ 成嶋隆教授の回答(5)
 【Sさんのご質問】
 「学習指導要領」の法的拘束力について

 ① 旭川「学テ」の判決は絶対なのか
 文部省(文科省)は行政機関。「学指」はそこが出した告示に過ぎないのだから、それが教育内容について拘束することになれば、明らかに行政による教育への介入であり、教基法違反と考えるのだが。それでなければ、時の権力によって勝手に学習指導要領を「改正」することができてしまい、教育の中立性など保てない
 ② 改悪「教基法」でも「教育は、不当な支配に服することなく」は生き残り、「この法律及び他の法律の定める……」と続く(この文言は問題を含むが)。「学指」は法律ではないのだから、この点でも「学指」に拘束されるいわれはないと思うのだが……。
 ③ 高裁から、「学指」をどうとらえているのか問われているということだが、上記のような原則を述べた上で「百歩譲って……旭川学テでは」という形で陳述・回答していただきたいのですが……。
 【コメント】
 上記の質問のうち、①および③は、学習指導要領の法的性格に関わるものといえます。そこで、この点についての文科省の主張をあらためて確認しますと、たとえば小学校学習指導要領については次のように主張されています。
 ――「教育課程の国家基準である学習指導要領は、学校教育法〔2007年改正前〕の委任を受けた同法施行規則〔2007年改正前〕25条の再委任に基づく法規命令であり、事項により強弱はあるが、全体として法的拘束力を有する。」
 このような文科省の論理に対しては、早くから有力な批判が提起されていました。その要点は、講演でも指摘した「立法の委任の限界を超えている」ということです。
 つまり、学校教育法が「教科に関する事項」の決定を文科大臣に委任しているところ、文科省令である同法施行規則が「教科に関する事項」よりも広義の概念である「教育課程」の文言を用い、その教育課程の基準設定権を文科大臣に再委任している点、さらには文科省告示である学習指導要領が必ずしも教育課程の大綱的部分についての基準設定にとどまらず、教育課程の細目的部分についても定めている点など、学習指導要領に関する法制には大きな問題点があります。
 なお、「告示」という法形式については、「『告示』(国家行政組織法14条1項)は、行政機関のいろいろな行為を一般国民に知らせる『公示の形式』として官報の告示欄に掲載されたものにすぎない。したがって、すべて当然に法規・法源の性質をもつとは言えず、法規命令であるか否かは告示の内容によって決まる」(兼子仁『教育法〔新版〕』34頁)とされています。
 学習指導要領の「内容」が上記のようなものである限り、それが「告示」形式をとっていることは何ら法規性の根拠とはならないということです。
 ところで、この論点については、講演で指摘した2007年の学校教育法改正による「教科に関する事項」から「教育課程に関する事項」への文言の変更をどうみるか、という問題があります。
 この変更は、学習指導要領の法的根拠についての旧法の問題点(立法の委任の限界を超える違法がある)を、いわば立法的に「解決」し、先のような批判論を封じ込めることを意図したものです。
 しかしこの法改正は、図らずも、改正前の教育課程法制の問題点をいわば「反証」する結果となったことを見落としてはならないと思います。学習指導要領が、かくも脆弱な法的「根拠」に基づいていたことの問題性が改めて問われるべきです。
 なお、上記③の学テ最高裁判決の活用の問題ですが、講演でも述べたとおり、この判決は、学習指導要領の国旗国歌条項の文言が、「指導するものとする」という、より義務づけの度合いを強める表現に変えられた1989年改定の前、1976年に出された判決で、また、事案の性質上、(当時の)国旗国歌条項について特に言及したものではありません。
 その学テ判決が、当時の中学校学習指導要領を念頭に置いて、「法的拘束力をもつべきでない部分がある」、「地域および教師の自主的教育の余地を十分残しているはずである」、「教師に一方的な教育内容を強制していないはずである」などと制限的な判示を行っていたことは極めて重要です。
 この学テ判決に照らした場合、学習指導要領の国旗国歌条項が、上記のような限界を大きく踏み越えている(市川教授が指摘するように、「(1)学校で行われる各種学校行事のなかで、入学式と卒業式のみを取りあげ、具体的な指示をすることは、教育課程の大綱的基準としては、あまりにも細目にわたり、詳細に過ぎるので、法的拘束力をもって教師を強制するのに適切でない……、(2)地域および学校の実態に応じた学校行事の自主的な内容編成(日の丸・君が代ぬきの入学式・卒業式)の余地をなくし、(3)内容的には、国民世論が分かれていた係争問題について、一方的な一定の見解を生徒に教え込むことを強制する危険性があ……る。」)ことは明白です。
 難波判決が、国旗国歌条項自体の「法的効力」を認めつつも、同条項から起立・斉唱・ピアノ伴奏等の義務を導き出すことは困難だとしたのも、上記の点を考慮したものとみられます。
 Sさんが質問②で触れられた新教基法16条については、旧法10条1項後段の「直接責任」規定は削除されたが、前段の「不当な支配」の禁止規定は存置されたことをどうみるか、という論点があります。
 旧法下における同規定をめぐる論争においては、「法令に基づく教育行政機関の行為は『不当な支配』に該当しない」という行政解釈を打破することに主眼が置かれていました。教育法学界からは、上記の行為も「不当な支配」たりうるとの反論が対置され、学テ最高裁判決も後者の立場に立ちました
 「不当な支配」禁止規定が残っている以上、新法の下でも、基本的には上記のような解釈論により国家介入に歯止めをかけていくべきだと思われます。ただし、新法16条1項後段が「この法律及びその他の法律に基づいて……」という文言に変えられたことから、上記のような主張を展開するのが困難となったことは否めません。
『予防訴訟をすすめる会』
http://www7b.biglobe.ne.jp/~yobousoshou/index.htm

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