96の傍聴席に226人が押しかけた法廷は、結審に相応しく熱気を帯びたものとなった。原告団から2人が最終意見陳述を、弁護団から4人最終弁論を行った。中でも最後に立った澤藤統一郎弁護士の最終弁論は、異色のものだった。裁判官に「良心」と「勇気と気概」を呼びかける内容だが、これはピースリボン裁判の原告敗訴判決を単独法廷で書いた右陪席に向けたものであることは、事情通ならすぐピンと来たことだろう。司法の崇高な使命を訴えた魂の呼びかけは裁判官の心に響いただろうか。判決法廷の日程は追って連絡と言うことになった。
◎ 君が代解雇裁判結審法廷 ◎
◆原告最終意見陳述書
2006年12月27日
前都立新宿山吹高等学校通信制教諭 近藤光男
1 私たち10人の原告団は、国旗・国歌に対しての考え方について、それぞれが違った思いを持っています。しかし、2003年10月23日に出された東京都教育委員会の通達が、行政による教育への不当な支配であること、「指導」の域を超えた人間の思想・良心の自由を無視する強制であることの思いは共通しています。
2 私が、本日最終弁論の原告陳述人の一人として選ばれたのには理由があります。それは他の9人の方々と違い、38年間の教員生活を通して率先してず一つと国歌を歌い続けてきたこと、そして6年間の教頭という管理職経験をしたこともあり、教職員の方々に歌っていただけるようお願いをしてきた立場にあったことからです。論争になったことも一度ならずありました。
そのような私でさえも10.23通達、つまり国旗・国歌の強制命令に服従したら、この国は今よりももっと右傾化し、戦争のできる国へと時代を逆戻りさせてしまうという思いに駆られました。
私の担当教科は、保健体育です。体育の中でも柔道や空手などの武道を中心に教えてきました。戦時中、武道は国策として学校で必修化され、国に命を盲目的に捧げる精神・忠君愛国・滅私奉公と、兵力としての強靭な肉体とを養成することだけを目的としていました。
私はそのような体育・武道の歴史を研究する中で、これからの体育・武道は国のために利用されるものではなく、一人の人間として人間らしく生きる力を養うものとして捉えていかなければならないと信じています。
3 国家が教育を支配し、司法が行政に左右される社会は二度とあってはなりません。私たちの先達が犯したこのような国策の誤りを、私たちは忘れてはいけないと思います。それを忘れないことが歴史を理性的な方向へと導いてくれるのではないでしょうか。
戦時中に赤ん坊だった私は、焼夷弾による空襲で両足に傷を負いました。この傷痕は、ケロイドとして決して消えることはありません。この傷痕を見る度に、どれほど戦争を憎んだか…。戦争の被災体験をもつ者でなければ、なかなか理解できないことかもしれません。
今、政府は憲法を改悪し、戦争の出来る国をつくろうとしています。そのために教育基本法を改悪し、行政は教育への不当な支配を強めてています。戦前の教育がそうであったように、「戦争は教室から始まります」。つまり、教育が行政によって支配されたときに悲劇は再び繰り返されることになるのではないでしょうか。
4 偏狭な愛国心やナショナリズムではなく、真に国や郷土を愛する態度や心は大切だと思います。しかし、それは上から強制されるものではなく、愛されるに値する国がつくられたとき、自然に生まれてくるのではないでしょうか。
民主主義の社会においては、国家は個人のために存在するのであって、その逆ではありません。その国が存在する前に国民が存在すること、つまり「主権在民」を忘れてはなりません。憲法・教育基本法の下では、おかしいことを「おかしい」、まちがっていることをぼちがっている」と言うためにこそ、憲法があるはずです。
5 東京都は、憲法や教育基本法をあからさまに否定し、それらを先取りしたのように、私たちに対して不当な処分を行いました。
石原都知事は、2004年に最初の合格取消の時に、「今までの何かあれがあるんじゃないですか、データーがね、一回で免職するわけじゃないでしょ」と、あたかも私たちに前科があるような発言をし、本年9月21日における国歌斉唱義務不存在等確認訴訟j判決後の記者会見でも「いきなり首ということはないだろう」と、重ねて述べています。
しかし現実には、38年間でただ一度、たった40秒間静かに座っていただけで、私は首になりました。
再雇用は、退職後の私たちにとって最低限の生活保障であるだけでなく、生き甲斐でもあります。この2年半、生活の不安から夜も眠れないこともありました。
日本の未来を真剣に考えるとき、このようなことがあってはならないと思います。東京都の違憲・違法な行政の間違いをただし、真に美しい日本の未来を築く司法であること、安心して眠れる日々を与えてくださることを信じ、原告代表の一人である私の陳述とします。
◆原告最終意見陳述書
2006年12月27日
前都立小岩高等学校嘱託員 太田淑子
最終口頭弁論の貴重な時間のなかで、原告の1人として、意見陳述の機会を与えられたことに感謝いたします。
私がこの法廷で訴えたいことは、ただひとつです。子どもたちが、明るくのびのびと学び、希望をもって育つことの出来る学校をつくるために、いま、何が大切なのか、何が必要なのかを、子どもたちの顔を思い浮かべながら、考えて下さいと言うことです。
私は、思います。いまいちばん大切なことは、教師自身が心を開き、自らの弱さも含めて、生徒の前で正直な思いを語りかけることであり、生徒たちが教師に相談したい、話したいと思ったとき、その信号を見落とすことなくキャッチし、生徒の話に耳を傾けることだと思っています。ところが現実には、ただただ忙しく、生徒とじっくり話す時間がとれなくなったと言うのです。
また、子どもたちの世界では、「目立ちたくない、大多数の人との違いを知られたくない」といった空気が蔓延しています。これはまさに民主主義の危機です。人間の好みや感覚は、そして物事の考え方も、人それぞれの顔が違うように、違って当たり前なんだと言うことを、あらゆる揚で知らせていくことが大切です。教師が、生徒の前で、建前の発言や行動ばかりをしていたのでは、子どもたちの民主主義的な感覚は育ちません。生徒たちにとって教師は、大人の見本です。お互いの意見の違いを尊重しながらも、目標に向かって行動する、その知恵と熱意を見せていくことは、とても重要なことです。
さらに、少数意見を大切にすることは、特に子ども社会に於いてはそう容易なことではありません。教師の援護が必要です。それらの子どもが自力で立ち上がれるまで、寄り添ってあげることが教師の役目だと私は思っています。この意味からも、「10.23通達」以前には、多くの都立高校で行われてきた「内心の自由の説明」は、質の高い学習だったと言えます。これを禁止してきた都教委の教育観は理解できません。
正直言って、私は、2004年3月、卒業式の国歌斉唱で起立しなかったその時は、たいそうなことを考えていたのわけではありません。卒業生のためのものであるべき卒業式が、「日の丸・君が代」のための儀式になっていること、処分をちらっかせてまで強制をしようとすることへの疑問、なによりも、これから社会に旅立つ希望と不安を抱いている卒業生の目の前で、自分の良心を押しつぶしての起立は出来なかっただけなのです。
でも、二年と六ヶ月にわたる裁判を続ける中で、この裁判の結果は、単に原告10人の事だけではないと強く思うようになりました。、現在とても息苦しくなってきている学校を、さらに、「教職員に対し、一方的な一定の理論や観念を生徒に教え込むことを強制する」ことを許すのでなく、子どもも教職員も、安心して本音で語り合える学校にするための判決こそが求められていると考えます。東京都の教育行政の行き過ぎを正す司法の判断を期待いたします。
◎ 君が代解雇裁判結審法廷 ◎
◆原告最終意見陳述書
2006年12月27日
前都立新宿山吹高等学校通信制教諭 近藤光男
1 私たち10人の原告団は、国旗・国歌に対しての考え方について、それぞれが違った思いを持っています。しかし、2003年10月23日に出された東京都教育委員会の通達が、行政による教育への不当な支配であること、「指導」の域を超えた人間の思想・良心の自由を無視する強制であることの思いは共通しています。
2 私が、本日最終弁論の原告陳述人の一人として選ばれたのには理由があります。それは他の9人の方々と違い、38年間の教員生活を通して率先してず一つと国歌を歌い続けてきたこと、そして6年間の教頭という管理職経験をしたこともあり、教職員の方々に歌っていただけるようお願いをしてきた立場にあったことからです。論争になったことも一度ならずありました。
そのような私でさえも10.23通達、つまり国旗・国歌の強制命令に服従したら、この国は今よりももっと右傾化し、戦争のできる国へと時代を逆戻りさせてしまうという思いに駆られました。
私の担当教科は、保健体育です。体育の中でも柔道や空手などの武道を中心に教えてきました。戦時中、武道は国策として学校で必修化され、国に命を盲目的に捧げる精神・忠君愛国・滅私奉公と、兵力としての強靭な肉体とを養成することだけを目的としていました。
私はそのような体育・武道の歴史を研究する中で、これからの体育・武道は国のために利用されるものではなく、一人の人間として人間らしく生きる力を養うものとして捉えていかなければならないと信じています。
3 国家が教育を支配し、司法が行政に左右される社会は二度とあってはなりません。私たちの先達が犯したこのような国策の誤りを、私たちは忘れてはいけないと思います。それを忘れないことが歴史を理性的な方向へと導いてくれるのではないでしょうか。
戦時中に赤ん坊だった私は、焼夷弾による空襲で両足に傷を負いました。この傷痕は、ケロイドとして決して消えることはありません。この傷痕を見る度に、どれほど戦争を憎んだか…。戦争の被災体験をもつ者でなければ、なかなか理解できないことかもしれません。
今、政府は憲法を改悪し、戦争の出来る国をつくろうとしています。そのために教育基本法を改悪し、行政は教育への不当な支配を強めてています。戦前の教育がそうであったように、「戦争は教室から始まります」。つまり、教育が行政によって支配されたときに悲劇は再び繰り返されることになるのではないでしょうか。
4 偏狭な愛国心やナショナリズムではなく、真に国や郷土を愛する態度や心は大切だと思います。しかし、それは上から強制されるものではなく、愛されるに値する国がつくられたとき、自然に生まれてくるのではないでしょうか。
民主主義の社会においては、国家は個人のために存在するのであって、その逆ではありません。その国が存在する前に国民が存在すること、つまり「主権在民」を忘れてはなりません。憲法・教育基本法の下では、おかしいことを「おかしい」、まちがっていることをぼちがっている」と言うためにこそ、憲法があるはずです。
5 東京都は、憲法や教育基本法をあからさまに否定し、それらを先取りしたのように、私たちに対して不当な処分を行いました。
石原都知事は、2004年に最初の合格取消の時に、「今までの何かあれがあるんじゃないですか、データーがね、一回で免職するわけじゃないでしょ」と、あたかも私たちに前科があるような発言をし、本年9月21日における国歌斉唱義務不存在等確認訴訟j判決後の記者会見でも「いきなり首ということはないだろう」と、重ねて述べています。
しかし現実には、38年間でただ一度、たった40秒間静かに座っていただけで、私は首になりました。
再雇用は、退職後の私たちにとって最低限の生活保障であるだけでなく、生き甲斐でもあります。この2年半、生活の不安から夜も眠れないこともありました。
日本の未来を真剣に考えるとき、このようなことがあってはならないと思います。東京都の違憲・違法な行政の間違いをただし、真に美しい日本の未来を築く司法であること、安心して眠れる日々を与えてくださることを信じ、原告代表の一人である私の陳述とします。
◆原告最終意見陳述書
2006年12月27日
前都立小岩高等学校嘱託員 太田淑子
最終口頭弁論の貴重な時間のなかで、原告の1人として、意見陳述の機会を与えられたことに感謝いたします。
私がこの法廷で訴えたいことは、ただひとつです。子どもたちが、明るくのびのびと学び、希望をもって育つことの出来る学校をつくるために、いま、何が大切なのか、何が必要なのかを、子どもたちの顔を思い浮かべながら、考えて下さいと言うことです。
私は、思います。いまいちばん大切なことは、教師自身が心を開き、自らの弱さも含めて、生徒の前で正直な思いを語りかけることであり、生徒たちが教師に相談したい、話したいと思ったとき、その信号を見落とすことなくキャッチし、生徒の話に耳を傾けることだと思っています。ところが現実には、ただただ忙しく、生徒とじっくり話す時間がとれなくなったと言うのです。
また、子どもたちの世界では、「目立ちたくない、大多数の人との違いを知られたくない」といった空気が蔓延しています。これはまさに民主主義の危機です。人間の好みや感覚は、そして物事の考え方も、人それぞれの顔が違うように、違って当たり前なんだと言うことを、あらゆる揚で知らせていくことが大切です。教師が、生徒の前で、建前の発言や行動ばかりをしていたのでは、子どもたちの民主主義的な感覚は育ちません。生徒たちにとって教師は、大人の見本です。お互いの意見の違いを尊重しながらも、目標に向かって行動する、その知恵と熱意を見せていくことは、とても重要なことです。
さらに、少数意見を大切にすることは、特に子ども社会に於いてはそう容易なことではありません。教師の援護が必要です。それらの子どもが自力で立ち上がれるまで、寄り添ってあげることが教師の役目だと私は思っています。この意味からも、「10.23通達」以前には、多くの都立高校で行われてきた「内心の自由の説明」は、質の高い学習だったと言えます。これを禁止してきた都教委の教育観は理解できません。
正直言って、私は、2004年3月、卒業式の国歌斉唱で起立しなかったその時は、たいそうなことを考えていたのわけではありません。卒業生のためのものであるべき卒業式が、「日の丸・君が代」のための儀式になっていること、処分をちらっかせてまで強制をしようとすることへの疑問、なによりも、これから社会に旅立つ希望と不安を抱いている卒業生の目の前で、自分の良心を押しつぶしての起立は出来なかっただけなのです。
でも、二年と六ヶ月にわたる裁判を続ける中で、この裁判の結果は、単に原告10人の事だけではないと強く思うようになりました。、現在とても息苦しくなってきている学校を、さらに、「教職員に対し、一方的な一定の理論や観念を生徒に教え込むことを強制する」ことを許すのでなく、子どもも教職員も、安心して本音で語り合える学校にするための判決こそが求められていると考えます。東京都の教育行政の行き過ぎを正す司法の判断を期待いたします。
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