《月刊救援から【人権とメディア】》
☆ 無実の大坂正明氏の保釈、高裁逆転無罪の支援を
浅野健一(アカデミックジャーナリスト)
一九七一年の沖縄返還協定批准の阻止闘争を闘い「殺人罪」をでっち上げられた大坂正明氏に対し、東京地裁(高橋康明裁判長、蛯原意右陪席裁判官、木村航晟左陪席裁判官)は昨年一二月二二日、懲役二十年の不当判決を言い渡した。
弁護側は即日控訴し、六月に控訴趣意書を提出する。
私は本紙一七年七月号に「大坂さん不当起訴の権力監視を」と題して、東京地検公安部の森中尚志検事(四月一日付で広島高検)による起訴を批判した。
その後、私は二〇年四月に下咽頭がんで咽頭・喉頭なとの全摘手術を受けて失声し、外での取材が難しい状況が続いていた。大坂氏に面会したいとずっと思ってきたが、救援会が面会を設定してくれ、四月九日、東京拘置所で初めて会えた。
私は「ユアトーン」という電気式人工喉頭を使って発声しており、同日午前、東拘に電話をして、事前に電気喉頭の使用を願い出た。二二年八月号に書いたが、無実の今市事件の勝又拓哉氏と千葉刑務所で面会した際、電気喉頭の使用を認めさせるのに一時間かかったので、事前に連絡した。
ところが、東拘庶務課員は「器具を実際に見てみないと判断できない」というだけで、面会の担当部署に繋ぐことを拒否した。係官の名前、役職を聞くと、「こういう場所だから、名前は言えない」と拒んだ。
「こういう場所」という表現は、問題がある。
東拘に着いて、面会申込書を提出した際、電気喉頭を見せたところ、受け付けの係官は「いいですよ」と言ったが、しばらくして、「内部で検討するので待ってほしい」と態度を変え、約四十分待たされた末、持ち込みが許可された。
面会室に入るとすぐに大坂氏が入室した。電気喉頭で挨拶すると、大坂氏は
「浅野さんは、『救援』で、私の不当逮捕とメディアの偏向報道について最初に詳しく書いてくれた。浅野さんの連載は毎月読んている」
「一審判決から四カ月になった。今は、弁護団と共に、控訴趣意書を書いている」
と話した。優しく品格のある人だ。
私は「私たちは七四、七五歳の全共闘世代。大坂さんの獄中ての闘いは、現在の沖縄における辺野古新基地、琉球弧の軍事化に反対する人民の闘いと連帯している」と話した。
大坂氏は「裁判闘争は厳しいが、自分の闘いのもつ位置が、現在、獄外で進んている反戦闘争、沖縄闘争、反イスラエル闘争なとの力になれば、と思って進んでいる」と応じた。
「獄中の医療体制か日本では酷い。体に悪いところはないか」と健康状態を聞くと、「喘息があるが、それ以外は健康た」と答えた。
大坂さんは「刑務所内医療の問題は、個別の取り組みと同時に、国家による拘束施設全体での医療体制の問題を暴く闘争が重要だと思う」と強調した。
私は「星野さんの医療問題、がん治療を受けられず裁判中に死亡した大川原化工機事件の元役員などの事例を英語で発信し、国際問題にしたい」と述べた。
話は尽きなかったか、制限時間が来た。
「また、来ますから。いろいろ不自由たと思うが、大坂さんの不屈の精神が多くの人民の支えになっている。前進してください」。
「浅野さんもお元気で」。
約二〇分の面会を終えた。
弁護団長の西村弁護士は四月一八日私の取材に「東京地裁の審理では、検察側は指名手配時に取った五人の供述調書以外の何の証拠も示せず、当時朝日新聞写真記者が撮った写真に大坂さんがまったく映っていないことも分かり、裁判て無罪を取れると思っていた。
ところが、咋年一二月二二日の判決の法廷に人った時、それまでの公判で、私に挨拶していた高橋裁判長か私に目を合わせなかったので、雰囲気が悪いなと感じた。そのとおり、唖然とする不当判決たった」と振り返った。
「当時一六~二十歳だったデモ参加者から事件後数カ月の間に取った供述調書のうち、二人は法廷で虚偽の調書たとはっきり証言。供述をある程度維持したA氏も、人違いでの供述だったことが明確になった。
検事の論告は事実の証明がまったくできず、裁判長が年内に判決期日を設定すると表明した際、『ちょっと待ってほしい。控訴を考えているので、協議の時間が間に合わないので、期日を年明けにしてほしい』と要望するなど、負けを覚悟していた。
西村氏は「検事の主張に乗っかるのてはなく、法廷での裁判をすべて否定するような判決だった。法廷での証人の発言は五十年以上経っていて、記憶の減退があり信用できない」
として、七二年二月から四月にかけて取った供述調書は事件に近いところで取られているから、その調書を基本に考えざるを得ないと判決の最初のところで宣言している。二審で必ず逆転無罪をとりたい」と述べた。
高橋裁判長は三月、東京高裁第六刑事部判事、蛯原裁判官は四月、名古屋地裁刑事第六部総括判事にそれぞれ栄転。木村裁判官も四月、神戸地裁尼崎支部第一民事部の判事補になっている。氏名を記憶したい。
地裁は一審で司法記者クラブに記者席十六席を用意し、報道各制が取材したが、大坂氏は事件現場にいなかったなどという証言はごく一部のメディアしか報じなかった。警察・検察・裁判所だけでなく企業メディアもでっち上げの共犯者だ。
『月刊救援』(2024年5月10日)
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